22話「調査員」
次に目が覚めた時、自分が二階のベッドに寝かされていることに気づいた。
隣ではオークスとエリスが静かに寝息を立てている。二人とも、まるで長い戦いから解放されたかのような安らかな表情だ。
ロイスはまずエリスの無事を確かめた。あれだけの高温の中にいたにもかかわらず、火傷ひとつなく、髪も乱れていない。それを確認してようやく胸を撫で下ろした。
彼はベッドを静かに抜け出し、ネモがいるだろう一階へ向かった。
「お?おはよう、ロイス。意識が戻るのが早いな。よく眠れたかい?」
ホールの一角、窓際に腰掛けるネモがこちらに気づき、声をかける。彼女の背後には満天の星空が広がり、彼女のシルエットを柔らかく縁取っていた。その隣のテーブルには、冷めてしまった料理がいくつも並べられている。
「すみません、料理を無駄にしてしまって……」
ロイスは申し訳なさそうに目を伏せる。
「気にするな。もう一度温めれば食べられるものしか作ってない。それより、喉の調子はどうだい?」
その言葉に、ロイスはハッとした。喉の違和感がまったくないのだ。数時間前には、声を出すたびに血の味が口いっぱいに広がり、呼吸するたびに激痛が走っていたというのに。
「何ともないです。まるで最初から何もなかったみたいに……。ネモさんが治療を?」
「そうさ。あたしは昔、薬屋で働いてたんだよ」
「これだけ完璧に治療できる腕があったのに、どうして辞めたんですか?」
ロイスの問いに、ネモは一瞬だけ遠い目をした。彼女の視線は星空を彷徨い、最も暗い星を探しているかのようだった。
「それは……大人の事情ってやつさ」
背中越しに伝わる哀愁から、ロイスはそれ以上聞くべきではないと悟った。過去に何があったかは知らないが、それが彼女の心に深い影を落としているのは明らかだった。
「ともかく、無事ならいい。それで、何があったんだい?」
ロイスはネモに自分の知る限りのことを説明した。魔法に詳しくないであろうネモにも分かるよう、慎重に言葉を選びながら。
「なるほどね。だからあんなに暑かったのか」
「多分、エリスは炎系の魔法が得意なんだと思う。でも、あそこまで環境に影響を与える魔法があるなんて聞いたことがない」
ロイスの記憶の中にある授業内容と照らし合わせても、今回の現象はあまりに異常だった。もし研究機関の目に触れれば、エリスがどう扱われるか想像するだけで恐ろしい。
「わかったよ、口外はしない。でも、あの爆発音だけは消せないからね。そろそろ誰かが来るだろうさ」
ネモは店の入り口をちらりと見て、警備隊が来る可能性を示唆した。その瞬間、ロイスの頭に疑問が浮かぶ。
「え、俺たちが意識を失ってからどれくらい時間が経ったんですか?」
「10分も経ってない」
ネモの答えを聞いたロイスの表情が曇る。たった10分で子ども三人を二階に運び、治療まで完璧に施すなど、常識的にはありえない。疑念を抱いたまま、彼はネモをじっと見つめた。
その時だった。店の扉を叩く音が聞こえた。
「こんばんは。先ほどこちらで大きな音がしたと通報がありまして、調査に来ました」
屈強そうな男性一人と白衣を着た調査員らしき二人が姿を現した。男性は入り口付近に立ち、周囲を警戒している。調査員の二人は無遠慮に店内へと足を踏み入れた。
「ずいぶん図々しいな。入っていいとは言ってないぞ!」
ネモは二人の前に立ちはだかり、鋭い目つきでにらみつける。
「街中で爆発が起こったんですよ? 付近を調査するのは当然の義務でしょう?」
「調査することに異論はない。ただな、礼儀ってものがあるだろうが」
調査員たちは苛立った様子でネモを押しのけようとした。その態度に対し、ネモは動じることなく言葉を続ける。
「ここは礼儀のある人間が集う場所だ。その態度を改めない限り、協力なんてしてやらないよ」
ネモの揺るがない態度に、調査員たちも不機嫌そうに顔をしかめた。
「調査を拒むというのなら、それ相応の理由を聞かせてもらおうか」
「お前たちが気に食わないから、って理由じゃ不満か?」
その瞬間、空気がさらに張り詰めた。
「そっちがそういう気なら、この場所は後にして、ほかの場所を調査しな」
そう言って、ネモは二人の調査員を軽く突き飛ばした。彼女の力が強かったのか、調査員たちはバランスを崩して後ろにしりもちをついた。
「おい!お前!」
一人の調査員が怒りをあらわにしてネモに噛みつこうとしたが、もう一人が腕を掴んで静止させた。
「いい――――とんだ悪魔の家にでも踏み入ってしまったようだ。また後で来る」
「それが賢明だ。次はもう少し大人らしく振る舞えよ」
二人の調査員は憤りを露わにしながらも、入り口付近で待機していた屈強な男性に合図を送り、店を後にした。彼らが去った後、ホールには張り詰めた空気だけが残った。
「ネモさん、あの人たち、ただの調査員じゃないですよ」
ロイスの意見に、ネモは肩をすくめながら、窓際に戻って腰を下ろした。
「それはあたしだってわかってる。正体は――――ロイス君はわかっているんだろ?」
それを聞いて、ロイスは小さくうなずいた。