1話「出発に向けて」
この国に幾本か存在する大通りの外れに、それはひっそりと佇んでいた
表通りは常に人々で賑わい、商店や大道芸人が集まり、活気に溢れている。その裏側にあるのが裏通りだ。暗がりが多く、湿った空気が漂い、人々の足音もまばら。そこは、何らかの事情で表通りに出られない者たちの避難所のような場所だった。
裏通りには移民や迫害を受けた人々、貧困に苦しむ者たちが集まる。中には、この環境そのものを楽しむ者もいる。だが、彼らが皆悪人というわけではない。それぞれに事情があり、ここで生きるしか選択肢がないのだ。
そんな通りにも、希望を見出して勝負している商店がいくつか存在する。その多くは闇市のような性質を持ち、日の光の下に晒されると厄介事を招く商品を扱っている。有用なものも多いが、それ以上に粗悪品が並ぶことも多い。しかし、奇跡的に価値ある品を見つけられれば、それは人生を変えるほどの力を持つ。
裏通りのさらに奥、ほとんど人が訪れることもなく、荒廃した雰囲気の漂う一角に、一軒の家があった。その外観は粗末で、湿気を含んだ空気が壁に染みついているかのようだ。窓からの日差しもほとんど入らず、外から見ればただの廃屋に見えるだろう。
だが、その家の中は活気に満ちていた。埃っぽい空気の中で、数人の子供たちの若々しい声が響いている。
茶色みがかった短い髪をきっちりとまとめ、片耳には金属チェーンの飾りをつけた少女が一人。背中には横開きのリュックを背負っている。
「じっとしてなさいよ、ロイス! 今は集中が必要なところなんですの!」
その言葉を投げかける少女は、外見だけ見れば十歳ほどの可愛らしい容姿だが、その口調にはしっかりとした威圧感が漂っている。彼女のそばでは、机の周りをそわそわと歩き回る少年の姿があった。
ロイスは非常に分厚いレンズの眼鏡をかけている。その厚さは普通の眼鏡の三倍はありそうだ。フレームも重さに耐えられるよう太く頑丈に作られている。
そんな特徴的な眼鏡をかけた彼は、少女と同じ年頃に見える。眼鏡を外した時の印象が全く異なる人は珍しくないが、ロイスの場合は本当に眼鏡が顔の半分を覆っているため、「眼鏡が本体」という冗談が冗談に聞こえない。
「量子連結部分の魔法因子を参照した展開式はなぜこうならないんだ……この部分は、たしか、この数字が大きくなるからこうなるはずなんだが……何か他の法則性が存在していて僕がそれを見落としているのだろうか? あーーーーー先生に聞きたい!! 先生がいない!! どうすれば!! なぁエリス?」
「知らないですわよ!! 先生がいなくてそれが聞けないんだったら、ほかのことをして気を紛らわせたらいいと思いますわよ!」
埃っぽい部屋で動き回られるのは勘弁してほしい。そんな表情を浮かべながら、エリスは隣でウロウロするロイスを口酸っぱく注意する。
その二人の様子を横目で見ながら、数式で埋め尽くされたノートを睨みつけているもう一人の少年がいた。
彼は二人とは異なり、ほとんど表情を変えない。ロイスが時折彼の机に腕や足をぶつけたとしても、一切気にしていないようだった。それが我慢しているのか、本当に気にならないのかは測りかねるが、彼がロイスを注意することはなかった。
「興味のあることでわからないところがあったら、ほかのことに集中するなんてできないだろ!!」
「それはそうかもしれないですけれど、今この場所でそんなにドタバタされると非常に迷惑ですわ!」
「じゃあ分かった。エリスも一緒に考えてくれ」
「私がそんなに魔法のことについて知っているわけないでしょ!? どうせ、公式を忘れているか計算式のどこかでミスがあるんじゃないんですの?」
「んん~?」
ロイスは言われるがまま、先生直伝の教科書と自身のノートを机の上に広げた。そして片手で教科書を、もう片手でノートをめくりながら、公式や計算式のミスがないかを器用に探し始めた。
しばらくその作業が続き、ロイスがようやく落ち着きを取り戻した頃。この家唯一の扉が音を立てて開いた。
そこには、厳格な表情をした男性の姿があった。彼の腕には大きな紙袋と小さな箱が三つ掲げられている。
「ただいま。三人とも、おとなしく勉強していたか?」
扉をくぐった男性は、その厳しい表情とは裏腹に、非常に柔らかな声音で子供たちに言葉をかけた。