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9 はじめての朝

 朝、目覚めるとシェイラは自分がどこにいるのか分からなくて一瞬戸惑った。見上げた天井は黒っぽく、しっとりとした木の香りを嗅いでここがイーヴの部屋であることを思い出す。

 慌てて身体を起こすと、ソファの上で眠るイーヴの姿が目に入った。シェイラはベッドの真ん中で眠っていたようだし、彼の寝る場所を奪ってしまったことに思い至る。

 初夜だからと我儘を言って、結局イーヴに迷惑をかけてしまった。


「イーヴ」

 小さな声で呼びかけると、ぱちりと目が開いてシェイラのほうに視線が向けられた。月の光を溶かし込んだような金の瞳は、鋭いけれど美しい。

「起きたか、シェイラ。おはよう。よく眠れたか?」

「おはようございます。おかげさまでよく眠れました。だけどあの、イーヴはソファで寝ることになってしまいましたよね……」

 ごめんなさいと眉を下げてしゅんとするシェイラを見て、イーヴが笑いながらソファからベッドの方にやってくる。

「よく眠れたなら、それでいい。さあ、一度部屋に戻って着替えてこい。それから一緒に朝食を食べよう」

 わしゃわしゃと頭を撫でられて、寝ぐせのついた髪がさらに乱される。だけどそれが何だか嬉しくて、シェイラはくすくすと笑ってうなずいた。


 自室に戻ると、エルフェが迎えてくれた。部屋にいなかったことについては何も触れられないので、きっとイーヴから連絡がいっていたのだろう。

 昨日とはまた色の違う、可愛らしい服を着せてもらって、シェイラは嬉しくなって鏡の前でくるりと回ってみる。動くたびに身体に沿って柔らかく揺れる袖やスカートを見るだけで、シェイラの気持ちもふわふわと浮き上がるようだ。


 食堂に行くと、イーヴはすでにテーブルについていた。

 何か違和感があると思ったら、少しテーブルが小さくなっている。もちろんそれでも豪華なのだけど、椅子に座るとイーヴとの距離が昨日よりも近い。

 イーヴの前には見るからに苦そうなコーヒーが置いてあって、シェイラは思わず興味津々で身を乗り出してしまう。

「飲みたいのか?」

「ちょっと……興味があります。コーヒーって、一度飲んでみたかったんです」

 読んでいた本の中に登場したことはあったけれど、ラグノリアでシェイラに出されるのは水か、体調を崩した時の薬湯だけだったから。

 そう伝えるとまたイーヴの眉が顰められたけれど、彼は気を取り直したように小さく息を吐いてカップをシェイラに差し出した。

「一口、飲んでみるか」

「いいんですか?」

「苦いからな、覚悟して飲めよ。あと熱いから火傷するなよ」

「はい!」

 元気よく返事をして、シェイラはゆっくりとカップに口を近づけた。真っ黒な波打つ水面に、シェイラの顔が映る。苦みのある、だけどどこか果実を思わせる柔らかな香りが鼻腔をくすぐって、シェイラはすんと小さく鼻を鳴らした。

 恐る恐る、舐めるほどの量を口に含んでみたものの、シェイラの表情は眉を寄せて固まった。


「にがい……」

 薬湯の渋いような味とはまた違って、少し酸味のある苦さ。だけど、美味しいとは全く思えない。本の中に出てきたときは、どんな味がするのだろうとわくわくしたのに。イーヴだって平然とした顔で飲んでいたから、苦くても美味しいものだと思っていたのに実際は全然だった。

 涙を浮かべたシェイラを見て、イーヴは小さくふきだした。

「だから言っただろう、苦いと」

 笑いを堪えるように肩を震わせながら、イーヴはそばに控えるレジスに目配せをした。

「ミルクたっぷりで淹れてやってくれ」

「かしこまりました」

 うなずいたレジスがシェイラのもとに持ってきてくれたのは、薄い茶色をした液体。だけどほんのりコーヒーの香りがする。

「ミルクと砂糖を入れれば、シェイラも飲めるかもしれない」

 イーヴに促されて、シェイラはゆっくりとカップを口元に運ぶ。

 警戒していた苦みはミルクと砂糖でまろやかになり、風味だけが口に残る。微かに感じる苦みが、癖になりそうだ。

「美味しい!」

 思わず声を上げて微笑むと、イーヴもレジスも嬉しそうにうなずいた。まるで小さな子供を見つめるような視線が少し照れくさい。長い時を生きる竜族からみれば、自分はやはり幼子のようなものなのだろうと思いつつ、シェイラはほろ苦いコーヒーをまた一口飲んだ。

 

 そして運ばれてきた料理は、朝からこんなに食べるのかと思うほどに豪勢だ。今日も、大きな肉が皿の上にいくつも並んでいる。

「竜族の人は、朝からたくさん食べるんですね」

 見ているだけでお腹がいっぱいになりそうだとつぶやきながら、シェイラはパンとサラダを少量食べて満足してしまう。

 それでもラグノリアにいた頃に比べれば十分すぎるほどに贅沢なのだけど、イーヴはそれでは不満なようだ。

「シェイラはもっと肉を食え。大きくなれないぞ」

 皿の上の肉を次々と食べながら、イーヴがシェイラを見る。あっという間に料理の大半がなくなっていき、そのスピードと量にシェイラは思わず目を見張る。

「私はもう成人してるので、これ以上背は伸びないと思いますよ」

「背は伸びなくても、もう少し肉をつけるべきだ。シェイラは細すぎる」

 そう言って骨つき肉を差し出されて、シェイラはお腹いっぱいだと首を振る。

 イーヴはそれならと言って、またレジスに何事かを命じた。笑顔でうなずいたレジスが持ってきてくれたのは、デザートのケーキだった。たっぷりとシロップのしみ込んだスポンジの上に、甘酸っぱい香りのベリーのソースがかかっていて、見た目にも鮮やかだ。


 皿の上に切り分けてくれたレジスが、仕上げとばかりにクリームとチョコレートでデコレーションしてくれるから、その可愛さに思わず小さく歓声をあげてしまう。

 華やかな見た目と甘い香りに、お腹いっぱいだと言ったはずなのに食欲がわいてくる。

「甘いものは、別腹だろう」

 悪戯っぽく笑ったイーヴに、全て見透かされている気持ちになりつつも、シェイラはうなずいてフォークを手に取った。

 ベリーの酸味がしっとりとしたスポンジの甘さを引き立てて、いくらでも食べられてしまいそうだ。

 マリエルがこっそり分けてくれたお菓子も美味しかったけれど、隠れることなく堂々と食べられるのは嬉しいものだなと思う。

「美味しい……。美味しいものを誰かと一緒に食べるのって、幸せですね」

 嬉しくて緩む頬を押さえながらそう言うと、イーヴが優しく笑って頭を撫でてくれた。そばに控えるレジスも穏やかな笑みを浮かべて見つめていて、シェイラは心がほかほかするような気持ちになった。


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