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8 花嫁の務め

 誰もいない薄暗い廊下を、ランプを手にしてイーヴの部屋を目指す。昼間にエルフェから聞いていた通り、二階の奥の部屋の前で、シェイラは一度深呼吸をした。


 重厚なドアをそっとノックすると、中からイーヴの声がした。シェイラが名乗ると、驚いたような声と共にドアが勢いよく開く。

「シェイラ? どうした、眠れないのか」

 とにかく中に入れと言われて、シェイラはランプの火を消すとイーヴの部屋の中に足を踏み入れた。

 彼の部屋は、シェイラの部屋とはまた違って、黒を基調とした落ち着いた雰囲気の部屋だった。森の木々を思わせるしっとりとした香りが漂っているのは、何かを焚いているからだろうか。

「こんばんは、イーヴ。忙しかったですか?」

「いや、そろそろ眠ろうかと思っていたところだ」

 そう言って彼はソファへとシェイラを誘導する。テーブルの上にはボトルと氷の入ったグラスが置かれていて、ふわりとお酒の香りがした。

「何か飲むか」

 聞きながら、イーヴは部屋に備えつけられたミニキッチンにすでに立っている。小さくうなずくと、程なくしてシェイラの前にことりとカップが置かれた。

「ホットミルクだ。これできっとよく眠れる」

「ありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げてカップを口に運ぶと、優しい甘さが口の中に広がった。


「寝る前にお邪魔して、ごめんなさい」

 半分ほどホットミルクを飲んだあと、シェイラはカップを置いてイーヴを見上げた。隣でグラスに注いだお酒をちびちびと飲んでいたイーヴは、問題ないと言って首を振った。

「故郷を離れて心細い気持ちもあるだろう。シェイラさえ良ければ、今夜はここで寝ていいぞ。あとで部屋に運んでやるから」

 優しくぽんと頭を撫でられて、そのぬくもりに嬉しい気持ちになりつつ、シェイラは姿勢を正して座り直した。


「いえ、今夜お邪魔したのは、初夜だからです」

「しょや……初夜?」

 きょとんとしてシェイラの言葉を繰り返したイーヴは、一瞬でその意味を理解したようで、驚きに目を見開いたあと、激しく咽せ始めた。

「なん……で、そんな、ことを」

 動揺したように視線を泳がせるイーヴに詰め寄って、シェイラはまっすぐに見つめる。

「私は、イーヴの花嫁としてここに来たからです」

「いや、それは形だけだと言っただろう」

「だって、このままではイーヴにもラグノリアの皆にも申し訳ないです。せめて、花嫁としての務めを果たさせてください」

 そう言ってシェイラは、ソファから立ち上がると寝衣を脱ごうとした。途端に、わあぁとイーヴが悲鳴のような声をあげる。

構わずボタンを外そうとしたところで、腕を掴まれた。

「……シェイラ、そういうのは本当に必要ないから」

 視線をそらしつつ、イーヴがため息混じりにつぶやく。その頬が赤く見えるのは酒のせいなのか、それとも照れているのか。

「やっぱりこんな貧相な身体では、そそらないですかね。これでも胸は結構あるんじゃないかと思ってるんですけど」

「いや、その、そそるとかそそらないとかじゃなくてだな」

「私、思ったんです。成人になったその日に生贄として捧げられる意味は、こういうことだったんじゃないかなって。背はあんまり伸びなかったけど、ちゃんと成人してるんですよ」

 胸を張ってみせると、イーヴが頭を抱えてため息をついた。

「いや、そうじゃなくて」

「大丈夫です! 経験はないけど、本で読んだことはあるので大体の流れは分かってます。上手くできるかどうか分からないけど、頑張るので」

「だから……」

 低く唸って頭をがしがしと掻いたイーヴが、そばにあったブランケットを取り、ぐるぐると巻きつけるようにシェイラを包む。ふかふかのぬくもりに包まれるのは心地いいけれど、これでは初夜を全うできないという気持ちもある。

「別にこういうことをしなくても、竜族はラグノリアを守る。シェイラが負い目に感じることは何もない」

「でも」

 小さく唇を尖らせると、イーヴの大きなため息が響いた。

「あのな、シェイラ。そういうことは、本当に好きな相手とするものだ。初めてなら特に」

「そんな人、いないです」

「いつか誰かを好きになるかもしれない。その時まで自分の身体は大切にすべきだ」

 諭すような口調で言われて、シェイラの唇はますます尖っていく。


「好きな人なんて……考えたこともない」

 本で読んだように、誰かを愛することはあるのだろうか。誰かに愛されることはあるのだろうか。

 ぽつりとつぶやいて考え込んだシェイラの頭を、イーヴがぽんぽんと撫でる。

「子供はもう、寝る時間だ」

「だから、子供じゃないですってば」

 むうっと頬をふくらませて言うと、呆れたようなイーヴのため息が重なった。

「シェイラはいくつだ」

「二十に、なったところです」

 成人してるでしょうと胸を張ってみせると、イーヴが少し身を乗り出した。

「じゃあ、俺はいくつに見える?」

 問われて、シェイラは首をかしげつつイーヴの顔を見る。微かに顰められた眉に冷たく釣り上がった瞳。精悍な印象を与える彼は、二十代後半から三十代前半といったところだろうか。

 思ったままにそれを告げると、イーヴは小さく笑った。そして頭をぽんと撫でられて、揶揄うように金の目が細められる。

「残念。俺は今年で二百九十七歳だ」

「にひゃく……っ!?」

 驚きのあまり、裏返った声をあげたシェイラを見て、イーヴが肩を震わせて楽しそうに笑う。

「竜族はおよそ千年は生きるからな。だから、シェイラなんてまだまだお子様だ」

「う……っ、それは、そうかもしれないですけど」


 人間としては成人したはずなのに、竜族の彼から見ればまだまだ赤子のようなものなのだろう。シェイラが赤ん坊と結婚したり初夜を迎えるなんてことが考えられないのと同じで、イーヴにとってはシェイラは全くの対象外ということだ。

 そう考えると胸の奥が少しちくりと痛んだような気がして、シェイラは思わず胸を押さえた。

 なぜ胸が痛むのか、その理由はシェイラには分からない。こんな風に胸が痛むのは生まれて初めてだし、ここに来てから、シェイラの感情は色々なことで揺さぶられっぱなしだ。

「さあ、そろそろ寝よう。部屋まで送るから」

 立ち上がろうとしたイーヴの服の裾を、シェイラは無意識のうちに掴んでいた。驚いたように動きを止めたイーヴを見上げて、シェイラは掴んだ服の裾をぎゅっと握りしめる。


「今夜は初夜だから……何もなくても、一緒に夜を過ごしたいです」

「シェイラ」

「形だけでもいいんです。私がイーヴの花嫁だというなら、その務めを少しでも果たしたいです。別々に眠る初夜なんて、だめです」

 少し黙ったあと、イーヴは何かを決意したような表情でうなずいた。

「分かった。じゃあ、一緒に寝よう。ただ、何もせずに眠るだけだぞ」

「はい。それで充分です」

 こくりとうなずくと、イーヴがまるで褒めるように頭を撫でてくれる。

 そのぬくもりにホッとすると同時に眠気が襲ってきて、シェイラは小さく欠伸をした。それを見たイーヴがくすりと笑って髪を梳く。

 やっぱり子供扱いされているなと思うものの、慈しむような大きな手があたたかくて嬉しくて、離れたくないと思う。

 ベッドに入るよう促されて、その広さに驚きつつもシェイラは再び欠伸をして目を擦る。

「おやすみ、シェイラ」

 低い声で囁かれるのが、まるで子守歌のように耳の奥に浸透していく。おやすみなさい、と返事をしたつもりだったけれど、それが言葉になっていたかどうか分からない。

 半分夢うつつに、ここに来てからすごく幸せだと微笑んで、シェイラは眠りに落ちた。




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