5 一緒に食事を
食堂で、シェイラはひたすらにテーブルの上を見つめていた。心を無にして、目の前に並ぶ金色のカトラリーの細かな模様を視線でなぞる。
そうしていないと向かいに座ったイーヴと目が合いそうなのだ。観察するように、じっと視線を向けられているのを感じて、どう反応すればいいのか分からない。
エルフェに手伝ってもらって着替えをしたあと、シェイラは広すぎる部屋で落ち着かなく過ごした。身体を柔らかく包み込むようなソファはとても座り心地が良かったし、エルフェが淹れてくれたお茶も、こんなに香り高く味の濃いお茶は初めてだと思うほどに美味しかった。
だけど、これまでのラグノリアでの生活との落差が激しくて、気持ちも身体もついていかない。生贄となるはずだった身なのに、分不相応な扱いを受けているのではという思いがどうしても頭から離れないのだ。
リラックスできないまま過ごしていると、日暮れと同時にエルフェが夕食の時間だと声をかけてきた。
部屋で一人で食事をとるものだと思っていたのに、案内された先はこれまた豪華な食堂。そこで待っていたのはイーヴで、シェイラと一緒に食事をするという。
テーブルは広く大きくて、向かいに座ったイーヴとの距離もかなりある。それでもじっと見つめる金の瞳は何を考えているのか分からなくて、シェイラはうつむいて視線を落とすことしかできずにいた。
「その、服は」
ふいにイーヴが声をあげたので、シェイラは一瞬身体を震わせて顔を上げた。
「はい」
「エルフェが選んだのか、その服は」
不似合いだと言われるのかと思ったが、見つめるイーヴの視線は案外柔らかい。シェイラは、黙ってこくこくとうなずいた。
「よく似合ってる。ただ、少しシェイラには大きいと聞いた。明日には仕立て屋を呼んで、身体に合うものを新しく作らせるから」
「そんな、このままで平気です。新しいものなんて……、必要ないです」
首を振るシェイラを見て、イーヴは少しテーブルに身を乗り出した。体格のいい彼がそうすると、それだけでシェイラとの距離がぐんと近づいたような気がする。驚いて思わず身を引くと、イーヴは慌てたように椅子に座り直した。
「ここは、ラグノリアとは違う。ドレージアの民は迎え入れた花嫁を大切にすると決めている。シェイラを生贄だと思う者は、ここにはいない」
イーヴの口から直接、生贄ではないと断言されて、シェイラは小さく息をのんだ。彼の言うことを、信じてもいいのだろうか。
「本当……に?」
それでもまだ不安に声を揺らしながら、シェイラはつぶやく。
「私は、生贄として喰われるのではないんですか?」
「喰う……? それはないな。そもそも竜族は、人を喰わん。竜に姿を変えることはできるが、それ以外はシェイラたち人間とそんなに変わらないぞ」
酷い誤解だなとイーヴは苦笑した。少し釣り上がったその目は冷たそうなのに、見つめる金の瞳は柔らかな色をしている。
「だからシェイラ、怯えないでくれ。俺はシェイラを喰ったりしないし、もちろん傷つけるようなこともしない。こんな顔だから仕方ないんだが、怖がらないでくれると……嬉しい」
そう言って笑みを浮かべたイーヴの表情は、やはり凄みがあって少し怖い。だけど、彼はラグノリアからここへ連れてくる時も、ずっとシェイラを気遣ってくれた。きっと優しい人なのだろう。
こくりとうなずいたシェイラを見て、イーヴの視線が更に柔らかくなったような気がした。
「さぁ、食事にしよう」
イーヴの合図で、テーブルの上には次々と料理が並べられていく。ラグノリアでも見たことのないようなご馳走の数々に、シェイラは驚いて目を瞬いた。
中でも目を惹くのは中央に盛りつけられた大きな塊肉。
こんがりと焼き色がついていて、食欲をそそるいい香りが漂ってくる。
「これ、私が食べていいんですか……?」
思わずつぶやくと、イーヴが当たり前だとうなずいた。
「どれも美味いぞ。肉は嫌いか?」
「いえ、好きだと思います。……多分」
シェイラの返答に、イーヴは訝しげに眉を顰めた。
「多分って何だ」
「あまり、食べたことがないんです。ラグノリアでは肉料理は、祭りの日と妹の誕生日に食べる特別なものだったから」
マリエルの誕生日には、シェイラも部屋から出て家族で食卓を囲むことが多かった。年に一度のその日と、建国記念の祭りの日に食べる肉料理は、シェイラにとって幸せな記憶だ。正直なところ食事の味よりも、マリエルと小さく微笑み合った記憶の方が鮮明なので、肉料理が好きかと聞かれても分からないのだけど。
そんな話を笑顔でしてみせたのに、イーヴは何故か苦い表情を浮かべている。今の話の何が良くなかっただろうかとシェイラは首をかしげた。
「誕生日は……シェイラも同じ日だろう」
低い声でつぶやかれたたその言葉に、シェイラは確かにとうなずく。
「そうですけど、聖女である妹の誕生日と何も持たない私の誕生日は同列ではありませんから」
「双子なら、誕生日は等しく祝われるものだと思うが」
「妹が聖女でなかったら、そうかもしれないですね」
聖女の誕生日と、生贄となるシェイラの誕生日のどちらを祝うかと言われれば、誰に聞いても同じ答えが返ってくるだろう。ラグノリアにとって聖女は、王族と同じくらいに尊い存在なのだから。
マリエルの誕生日を祝う名目で、その日ばかりはシェイラも部屋を出ることが許された。大好きな妹の顔を見ることだってできるその日はシェイラにはとても大切な日だったし、今も楽しい思い出として心の中に残っている。
なのにイーヴの表情が暗いままなので、シェイラは彼の表情が晴れるようにと更に明るい声をあげた。
「あとマリエルの誕生日以外は、いつも食事はひとりだったから、誰かと一緒に食べられるのは嬉しいです。しかもこんなご馳走、初めて」
「そう、か。なら、これからは毎日一緒に食事をしよう」
イーヴの言葉が嬉しくて、シェイラは笑顔でうなずいた。やっぱり彼は、優しい人だ。
「嫌いなものはないか? たくさん食べるといい」
椅子から立ち上がったイーヴが、次々と料理を取り分けてくれる。あっという間に皿の上にこんもりと肉を盛られて、シェイラは慌ててイーヴの腕を引いた。
「あの、私こんなにたくさん食べられません」
「少食だな。シェイラは細いし、もっと肉を食べるべきだ。ここでは肉料理は、特別なものじゃない。毎日だって食べられるぞ」
「あぁ、だから竜族の皆さんって身体が大きいんですね」
納得したようにうなずくと、イーヴは小さく笑ってぽんと頭を撫でてくれた。大きな手のぬくもりは、驚くほどに心地良かった。