【番外編】いい夫婦の日
いい夫婦の日なので番外編。
ほんのりR15注意です。
いつもより早く目覚めたシェイラは、うしろからしっかりと抱きしめるイーヴの腕の中からこっそりと抜け出した。
本当はもう少しこのあたたかい身体に包まれて微睡んでいたいところだが、今日はすることがあるのだ。
手早く着替えを済ませたシェイラは、まだイーヴがぐっすりと眠っていることを確認すると、足音を忍ばせて部屋を出た。
向かった先は、調理場だ。すでに料理人のアルバンが支度を始めているようで、いい匂いが漂っている。
「おはようございます、アルバンさん」
「おう、おはよう嬢ちゃん。準備は整ってるぞ」
目尻の皺を深めて笑うアルバンは、料理の手を止めると作業台を指差した。そこには焼きたてのパンと、色とりどりの野菜と燻製肉が並べられていた。
今日はこれから、イーヴのために朝食を作るのだ。時々アルバンの手伝いをすることはあっても、しっかりと食事を作るのは初めてだ。
それでも今朝は、シェイラが彼のための食事を作りたいのだ。今日は、特別な日だから。
「パンの上にバターを塗って燻製肉を置いたら、このソースを少しだけかける。その上に野菜を好きなように乗せれば出来上がりだ。簡単だろう?」
「はい!」
張り切って腕まくりをしたシェイラは、パンの上に具材を丁寧に並べていく。凝った料理は作れないが、これくらいならシェイラにだってできる。
「……できた!」
得意げに顔を上げれば、アルバンがよくできたご褒美だと言って甘いフルーツを口に放り込んでくれた。
準備のできた朝食をカートにのせて、シェイラはイーヴの部屋を目指す。
パンと一緒に彼の好きなコーヒーも淹れてみた。過保護なアルバンは火傷しないかとヒヤヒヤしていたようだが、我ながら美味しく淹れられたと思う。
ベッドの上ではイーヴがまだ眠っているようだった。シェイラの方が先に眠ってしまうことの方が多いので、彼の寝顔を見るのは案外貴重だ。
少し眉を顰めたイーヴの寝顔をしばらく堪能したあと、シェイラは彼の耳元に顔を近づけた。
「イーヴ、起きて。朝ごはんですよ」
囁いてみるものの、彼はぐっすりと眠っているようだ。肩を揺さぶって起こそうかと考えて、シェイラはふと思いついた考えに小さく笑うと身を乗り出した。
穏やかな寝息を繰り返すイーヴに、そっと唇を重ねてみる。反応がなかったので二度三度と唇を押しつけていると、不意に背中に腕が回された。
「わ、イーヴ?」
「最高に幸せな目覚ましだな」
「おはようございます、イーヴ。朝ごはんの時間ですよ」
「こんな可愛い起こし方をされたら、食事より先にシェイラが食べたくなるんだが」
「今日は、だめ。私が朝食を作ったの。イーヴに食べてもらいたいんだもん」
再びキスをしようと顔を近づけてきた彼の唇に指先を置いて、シェイラは笑いかける。制止されたことで少し不満そうな表情を浮かべたイーヴだったが、シェイラが食事を作ったことを聞いて驚いたように目を丸くした。
「シェイラが作ったのか?」
「うん。今日はね、『いい夫婦の日』っていうんですって。昔、妹のマリエルに借りた本に載っていたんだけど、これからも仲のいい夫婦でいられるように、お互いに愛と感謝の気持ちを伝える日らしいの。私たちもいい夫婦でしょう? だから、いつもよくしてくれるイーヴに感謝の気持ちを込めて食事を作ったの」
「それなら尚更ベッドの上で愛を伝えたいところだが、シェイラの手料理には負けるな」
悪戯っぽくつぶやいて、イーヴはシェイラを抱き寄せたまま身体を起こした。そしてベッドサイドに置かれたカートを確認して、嬉しそうに笑みを浮かべた。
「これをシェイラが? すごいな、ものすごく美味しそうだ」
「コーヒーも私が淹れたんですよ」
得意げに胸を張ったシェイラを見て、イーヴは褒めるように頭を撫でてくれ、そっとこめかみに口づけてくれた。
「ありがとう、シェイラ。俺もシェイラに何か愛を込めた品を贈らなきゃな」
「イーヴからは、いつもたくさんもらってますよ」
「それでも、末永くいい夫婦でいるために、できることは何でもしたい」
「じゃあ、あとで二人でお出かけしたいです」
「行先は、いつものあの場所でいいか?」
「もちろんです!」
同じ場所を頭の中に思い浮かべていることを確認して、二人は顔を見合わせて笑った。
◇
イーヴの膝の上に座った状態で、シェイラは食事を終えた。
この体勢で食事をとることはよくあるが、今日はイーヴが一口食べるたびに大げさなほど喜びや味の感想を伝えてくれるので、妙に照れてしまう。
確かに自分でもよくできたと思ってはいたが、味つけはアルバンなのだから美味しくないわけがないのだ。
それでもイーヴは、シェイラが作ったという事実だけでいつもの倍は美味しいと絶賛してくれた。
あっという間に完食したイーヴは、デザートとして更に盛りつけられたフルーツを指さした。
「シェイラも食べるだろう?」
「うん。これ甘くて大好き」
「知ってる」
くすくすと笑いながら、イーヴが赤い果実を指先で摘まみ上げるとシェイラの口元に持ってきた。ぱくりと頬張れば、口の中に甘酸っぱい味が広がって幸せな気持ちになる。
彼に手ずから食べさせてもらうのは少し照れるけれど、大切にしてもらっているような気がして嬉しくもある。
気がつけば、皿の上にあったほとんどをシェイラが食べてしまっていた。
「私ばっかり食べてるし、イーヴも食べて」
「俺はいいよ。美味しそうに食べるシェイラの顔を見てるだけで充分だ」
甘い表情で見つめられて、シェイラは思わず熱を持った頬を押さえてうつむいた。いつだって彼は、こうして不意に甘い言葉でシェイラを動揺させる。
「せっかくだから、イーヴも食べればいいのに」
照れ隠しに早口でそう言って、今度は自分で果実を口に運ぶ。すると、イーヴが手を伸ばしてシェイラの頬に触れた。
「そうだな、せっかくだから食べようかな」
「ん……んん!?」
皿に盛られたものを食べるのかと思いきや、何故かイーヴはシェイラに唇を重ねてきた。あっという間に滑り込んできた舌が、シェイラの口の中から果実を奪い取る。お互いの舌の間で果実が潰れて、甘い味が口の中に広がった。
果汁ごと味わうように執拗に舌を絡められ、ようやく唇が離れていく頃には、シェイラはぐったりとイーヴに身体を預けていた。
「うん。確かに美味いな」
満足げに舌を舐める仕草が艶めいていて、シェイラは身体が熱くなるのを自覚しつつ、顔を見られないようにイーヴの胸に顔を埋めた。
「ほらシェイラ、最後の一つだ。口を開けて」
うつむいたはずなのに、頬に触れた手が掬うように顔を上向かせた。にっこりと笑ったイーヴが、シェイラの唇に果実を押し当てる。
このまま食べさせてもらえば、またさっきみたいな濃厚なキスが待っている気がするが、柔らかな果実は潰れて今にも真っ赤な果汁を滴らせそうだ。
仕方なくゆっくりと唇を開くと、それでいいと満足そうにうなずいたイーヴが果実をそっと口の中に運んでくれる。
何だか自分ばかりドキドキしているのが悔しくて、シェイラはイーヴの手首を掴むと彼の指先に残った果汁を舐め取った。
「……シェイラ」
ぴくりとイーヴの肩が震えたので、驚かせることには成功したようだ。微かに目元を赤く染めた顔は初めて見るような気がして、なんだか楽しくなってきたシェイラはそのまま彼の指先をちゅっと吸った。
「まさか、シェイラの方から誘われるとは」
「え?」
「食事も終えたし、やっぱりベッドの上でじっくりと愛を伝えなくちゃな」
そう言ってイーヴはシェイラを抱き上げるとベッドへと向かう。
「え、待って、お出かけは……?」
「昼からでも大丈夫だ。帰りには湖の島にも寄るつもりだろう? それなら日が暮れる頃の方が綺麗だ」
「それは……確かにそう、ですね」
あっという間に押し倒されたベッドの上で、シェイラは思わず納得してうなずいた。
大きな木のある島でゆっくり過ごしたあと、湖の島に行って湖面に映る星を見るのがいつもの流れ。
誰も来ない秘密の場所だからと囁くイーヴに流されて、うっかり外で愛し合ったこともあるが、やっぱり二人きりの部屋の中でそうする方が好きだ。
「時間はたっぷりあるだろう。動けなくなっても、背に乗せてやるから」
「動けなくなるのは困るので、手加減はしてほしいですけど」
そう言いつつシェイラはイーヴの首に腕を回した。これからベッドの上で甘い時間を過ごすことを、シェイラが受け入れたのが伝わったのだろう。彼の唇が笑みの形をとった。
「これからも俺たちがいい夫婦でいられるように、どれほど俺がシェイラを愛しているかをしっかりと伝えさせて」
優しい囁きと共に降ってきたキスを受け止めて、シェイラはイーヴに抱きつく腕に力を込めた。
◇
ぴったりと閉まったベッドのカーテンは、昼を過ぎる頃まで開くことはなかった。
屋敷の面々は、いつもと変わらず仲睦まじい夫婦を微笑ましく思いながらも、きっと疲れて動けなくなるシェイラの代わりに外出の支度を整えていた。
一つだけ誤算だったのは、料理人のアルバンがシェイラの体力回復の助けになればと滋養強壮効果の強い飲み物を用意したこと。
うっかりそれを口にしたイーヴが無駄に元気になってしまったせいで、翌日もシェイラはベッドから出られなくなってしまった。
(そして何故か、イーヴがレジスやルベリアに怒られることになったのだった)




