34 ずっと一緒
「――っ、あ……」
かぷりと噛みついたイーヴの歯が肌に当たったのを自覚した瞬間、全身の血が沸騰したかのような心地に襲われて、シェイラは息を詰めた。血を吸われているような、逆に身体の中に何かが入ってくるような感覚に、全身が勝手に震える。
ちゅっと小さな音を響かせてイーヴの唇が離れていった時、シェイラはぐったりとして彼の身体にもたれかかった。首筋を噛まれただけなのに、痛みはなかったのに、身体に力が入らない。
「シェイラ、大丈夫か。恐らく身体の変化に慣れるまで少しかかると思うが」
「ん……、大丈夫です。身体に力が入らない、だけ」
浅い呼吸を繰り返しながら、シェイラはイーヴに口づけをねだる。柔らかく弧を描いた唇が、労わるように優しく重ねられた。
何度か触れるだけのキスを交わしているうちに、シェイラの身体に力が戻ってくる。それを確認して、イーヴが自分の左の首筋をそっと撫でた。
「シェイラも、俺に番いの証をくれるか」
「私にも、できるのかな」
「まずは強く吸いついて痕をつけ、場所を決めるんだ。それからそこに噛みついて、傷をつける。できるか」
色気をはらんだ目で見つめられて、シェイラは小さく息をのむとうなずいた。
そっと首筋に唇を寄せて、シェイラはまず軽く吸いついてみた。急所ともいえる場所をこんなに無防備に晒してくれるのは、それだけ信頼されている証だなと嬉しくなりながら、痕を残すように何度も吸いつく。筋張った首筋は皮膚が薄いのに、筋肉のせいか硬くてうまく痕を残せない。なんとか少しでも、と苦闘していると、くすぐったいのかイーヴの肩が震えた。
「難しいか。場所はそこで構わないから、ちょっと歯を立ててくれ」
「だって、痛いですよ」
「大丈夫だ。それに、シェイラがくれる痛みなら嬉しい」
思い切って嚙みつけと言われて、シェイラは恐る恐る彼の肌に歯を当てる。だけど弾力のある筋肉がしっかりと受け止めて、歯型すら残らなさそうだ。
「無理……イーヴ、硬いもん」
「褒められてると受け取ればいいのか、それは」
苦笑しながら、イーヴは分かったとうなずいた。そして自分で首筋に爪を立てると、小さな傷を作った。微かに血が滲んだ傷口を確認して、シェイラにそこに口をつけるよう促す。
シェイラは傷口をじっと見つめると、その傷を癒すようにそっと舌先で舐めた。血の味は分からないけれど、シェイラが触れた瞬間イーヴが小さく息を詰めた。
「シェイラ、傷口を吸って。きっとそれで番いの証が……」
イーヴの指示に従って、シェイラは傷口に唇を押し当てると強く吸い上げた。その瞬間、先ほどイーヴに首を噛まれた時と同じような強烈な感覚が背筋を駆け上がっていく。
すぐそばで、イーヴも何かに耐えるように小さく呻いた。
「身体が……熱い」
「大丈夫だ、じきに落ち着く」
深く息を吐いたイーヴは、安心させるようにシェイラの身体を抱きしめる。彼の言葉通り、しばらくすると体内の熱も落ち着いて、重怠かった手足も動くようになってきた。
「ありがとう、シェイラ。これで俺たちはずっと一緒だ。もう二度と、離さない」
そう言ってイーヴが再び首筋にキスを落とした。うなずいて笑いながら、シェイラもイーヴの首筋へと顔を寄せる。同じように口づけをしようとしたら、傷のあったはずの場所に青い痣が浮き上がっていることに気づいて目を瞬いた。
それはまるで空を翔ける竜のような形をしていて、シェイラは竜の姿の彼を思い浮かべる。人の姿のイーヴも、竜の姿のイーヴも、シェイラにとっては等しく愛しい存在。
そっと指先でその痣を撫でると、彼がくすぐったそうに目を細めてシェイラを見た。
「どうした、シェイラ」
「あのね、ほらここに、痣が……」
「うん? あぁ、番いの証だな。シェイラのここにもちゃんと刻まれてる」
イーヴが首筋を撫でて教えてくれるけれど、自分で見ることはできない。触れてみると、指先に少し違和感を覚えたので、それだろうか。
「見に行こうか」
くすりと笑ったイーヴが、シェイラを抱き上げた。落ちないようにしっかりと彼の首筋に掴まって、二人は鏡のある浴室へと向かった。
鏡の前で、イーヴはシェイラの首筋がよく見えるように身を乗り出した。
「ほら、見えるだろう」
「わぁ、本当……!」
彼の言葉通り、首筋には青い痣があり、それは確かにイーヴの首筋にあるものと同じだった。
「それからほら、ここにも」
囁いたイーヴが胸元を指さす。その指先を追って視線を向けると、胸の谷間のすぐ上あたりに、青く光る鱗が数枚浮き上がっていた。それはイーヴのものとよく似ていた。他の肌と同じように触れられた感覚があることから、ただ貼りつけたものではなく、シェイラの身体の一部であることが分かる。
「イーヴと、お揃いね」
嬉しくなって彼の胸元の鱗に口づけると、優しく頭を撫でられた。
「これでシェイラはもう、俺だけのものだ。ずっと離れないで」
「うん。イーヴも、ずっと私のそばにいてね。誰にも渡さないわ」
独占欲の強い言葉に笑いながらうなずき、同じような言葉を返すと、返事のように強く抱きしめられた。
何度も口づけを交わしながら、二人はベッドへと向かう。横たわったシェイラを見下ろして、イーヴがそっと頬を撫でた。
「シェイラ……、今夜は」
「うん。今夜こそは、イーヴとひとつになりたい。私の全てをイーヴのものにして欲しいの」
まだ少し躊躇うような彼の手を引き寄せて、シェイラははっきりと告げる。
番いの証を刻んでも、まだ足りない。身も心もイーヴでいっぱいにしてもらわなければ、満足できない。
自分の中にこんなにも欲深い気持ちがあったことに驚きつつも、それこそが番いの執着なのだろうと思う。
「本当にシェイラは……俺の予想をいつも飛び越えてくる」
「だって、好きなの。もっと深く、強くイーヴと結びつきたい」
「最高に可愛い誘い文句だな、シェイラ。……できるだけ、優しくすると約束するから」
「イーヴはいつだって優しいってこと、私が一番よく知ってるから大丈夫です」
そう言ってうなずくと、嬉しそうに微笑んだイーヴがゆっくりとシェイラを抱きしめた。
初めてお互いのぬくもりを分け合って過ごした夜は、本で読むよりもずっと素敵で、うっとりするほどに甘かった。
何度も愛を囁かれ、数えきれないほどにキスをした。
空が白んでくるころ、二人は寄り添って柔らかな眠りに落ちた。
◇
目を覚ますと、すでに部屋の中は明るかった。
うしろから抱きしめたイーヴの腕に気づいて、シェイラは昨晩のことを思い出す。
想いを伝えあい、番いの証を刻み、そして――。
嬉しさと恥ずかしさが入り混じって身もだえしたシェイラに気づいたのか、背後でイーヴが目覚める気配がした。
「おはよう、シェイラ」
「おはよう……ございます」
「身体はどうだ? その、少し……無理をさせてしまったから」
「だ、大丈夫です。元気いっぱいです」
見つめる瞳はいつも以上に甘くて、それは昨晩シェイラを見下ろしていた時と同じで、恥ずかしくて直視できない。
あわあわと視線を泳がせて、シェイラは結局毛布に顔を埋めて羞恥心をやり過ごすことにした。
眠りについたのが朝方だったせいか、今朝は随分と寝坊してしまった。いつもの朝食の時間を大幅に過ぎていることに焦ったシェイラだったが、いつの間にかイーヴが連絡を入れておいてくれたらしい。
まだ少し寝不足でぼんやりするシェイラを気遣ってか、食事もこの部屋でとることになった。
イーヴの膝の上で食事を終えたシェイラは、ふと大切なことを思い出して上着のポケットから小さな包みを取り出した。
「どうした? シェイラ」
「あのね、これをイーヴに渡したかったの」
「これは?」
首をかしげるイーヴの手のひらの上に包みを乗せて、開けるようにと促す。まるで壊れ物を扱うかのように慎重な手つきで包みを開いたイーヴは、中身を確認して目を見開いた。
「バングル、か」
「うん。イーヴも私にこのバングルをくれたでしょう。だから、私も何かお返しをしたくて」
「綺麗だ。着けても?」
「もちろんです」
そっと左腕にバングルを着けたイーヴは、じっと確認するように見つめて嬉しそうに笑う。
「ありがとう、シェイラ。大切にする。これ、まるでシェイラの瞳みたいだな」
中央に飾られた青い石を指して、イーヴが微笑む。言わなくても気づいてくれたことに嬉しさと照れくささが入り混じって、シェイラは緩んだ頬を隠すかのようにイーヴに抱きついた。




