33 番いの証
イーヴが帰宅したという連絡を受けて、シェイラはルベリアに見送られながら彼の部屋へと向かった。
大きな黒いドアの前で一度深呼吸をして、シェイラは少し震える手で二回ノックをした。すぐに応答があってドアが開き、イーヴが顔を出す。
「おかえりなさい、イーヴ。中に入ってもいいですか?」
「あぁ、ただいま。もちろんだ」
抱き寄せられて額に軽く唇が触れたあと、シェイラは部屋の中へと招き入れられた。彼の部屋に漂う森林を思わせるしっとりとした緑の匂いは、少し速くなった鼓動を落ち着かせてくれるようだ。
「体調に問題はないか? 食事はちゃんと食べたか?」
「大丈夫。おかげさまで元気だし、しっかり食べました」
相変わらず過保護なイーヴの言葉に笑いつつ、シェイラはソファに座った。
「ちょうど何か飲もうかと思ってたところだったんだ。シェイラも飲むか?」
「ううん、今夜はやめときます。できればイーヴにも、お酒を飲む前に聞いてほしい話があるんだけど」
「話?」
お酒のボトルに伸ばしかけていたイーヴの手を止めるよに触れて、シェイラは上目遣いで微笑みかけた。そして彼の目の前に立った。
「イーヴにね、お願いがあります」
「お願い?」
首をかしげるイーヴに、シェイラは笑いかける。
「あのね、番いの証を……欲しいの」
「番いの、証。……本当に? シェイラは本当に欲しいと思うのか」
小さく息をのんでシェイラを見つめ返すイーヴの表情は、恐ろしいほどに真剣だ。その奥に微かに怯えの色が混じっていることに、シェイラは気づく。
「イーヴのことが好きなの。この先もずっとよ。もう離れたくない。私はイーヴとは違って、このままだとすぐに年老いて死んでしまうわ。そんなの、嫌なの」
「だけど、本当に分かってるのか? 番いの証を刻めば、シェイラは人間でなくなるんだぞ」
「イーヴのそばにいられるなら、人間であることに何の未練もないです」
問い詰めるように肩を掴むイーヴに、シェイラは笑ってみせる。
「だけど、もしも番いの証を刻んだら」
シェイラの肩を掴んだまま、イーヴはうつむいて絞り出すようにつぶやく。
「シェイラは、寿命が延びることになる」
「うん、分かってます。成人したら死ぬ覚悟で生きてきた私にとって、長生きは夢だったんですよ」
「少しじゃない、数百年単位で増えることになるんだ。シェイラにとっては、気の遠くなるほどに長い時だ」
「イーヴと同じくらい長生きできるんでしょう。この先数百年もずっと一緒にいられるなんて、幸せだわ」
「それだけじゃない、俺の――竜族の血をシェイラに与えることになる。きっと、シェイラの身体にも鱗があらわれると思う」
「ふふ、それは初耳だったけど、すごく素敵ですね。イーヴと同じ青い鱗だといいな」
「……っ、番いの証を刻むには、シェイラの首に噛みつく必要がある。痛みはないと思うが……」
「平気。イーヴになら、何をされても大丈夫。痛いのだってどんとこいです」
「だけど、血だって出る」
「怖くなんてないわ。このまま私が先に年老いて、死んでしまうことの方が怖いの」
肩に置かれたままの手に自分の手を重ねて、シェイラはイーヴの顔をのぞき込んだ。
「私はね、何も持っていなかったの。身体ひとつでドレージアに来て、本当にたくさんのものをもらったわ。こんなにも大切なものが増えるなんて、ラグノリアにいた時には思ってもみなかった」
片手でうつむいたイーヴの頰に触れると、彼はゆっくりと視線を上げた。不安に揺れる金の瞳を見つめて、シェイラは微笑む。
「そして私の一番大切なたったひとつは、間違いなくイーヴです。ずっとそばにいることを許してもらえるなら、私はあなたの唯一になりたい」
はっきりと告げると、イーヴの顔が泣き出しそうに歪んだ。そのまま、強く抱き寄せられる。
「本気、なんだな。一度刻めば、もう二度と取り消すことはできない。それでもいいのか」
「いいって、ずっと言ってる」
イーヴの背中に手を回して囁くと、抱きしめる腕が更に強くなった。同時に左の首筋に彼の唇が触れて、シェイラは小さく身体を震わせた。
「ここに、刻むことになる」
「分かったわ。覚悟はできてます、いつでもどうぞ」
決意を込めて見上げたら、苦笑を浮かべたイーヴと目が合った。
「いっそ潔いほどに迷いがないな」
「だって、私にはイーヴしかいないから」
笑顔でうなずくと、彼の指先が再び首筋を撫でた。目が合うと金の瞳が愛おしそうに細められて、それだけでうっとりするほどに幸せな気持ちになる。
「俺にも、シェイラだけだ。――だから」
最終確認をするような視線にうなずくと、肩にかかった髪をそっと払ってイーヴがシェイラの左の首筋に触れた。指先が撫でるだけで肌が粟立つほどに敏感になっていて、シェイラはそれを堪えるようにイーヴの腕に強く掴まった。
「愛してる、シェイラ。俺の、唯一」
囁いたイーヴが一度強く吸いついたあと、ゆっくりとシェイラの首筋に噛みついた。




