32 欲しいもの
食事を終えたシェイラは、ソファに深く沈み込んだ。よく寝たせいか眠気は訪れそうにないので、読書でもしてゆっくり過ごすことにする。
エルフェによると、昨日の件でイーヴは色々と対応に追われているらしい。ラグノリアから迎えた花嫁を攫った上に娼館に売り飛ばそうとするなど前代未聞で、ベルナデットは重い罰を受けることになるそうだ。それがどんなものなのかは教えてもらえなかったけれど、二度とシェイラには会わせないとエルフェが力強く約束してくれた。
ぱらぱらと見るともなしに本のページを捲っていると、軽い音でドアが叩かれた。応答すると、心配そうな表情をしたルベリアがひょこりと顔をのぞかせた。
「シェイラ? 良かった、元気そうね」
「ルベリア!」
駆け寄ってきたルベリアは、ぎゅうっとシェイラを抱き寄せた。その腕は、小さく震えている。
「本当にごめんなさい、シェイラ。あたしが目を離したりしなければ……ううん、ベルナデットに会った時点で帰っていたら良かったわ」
「大丈夫、ルベリアのせいじゃないわ。それに、買い物に連れて行ってくれたのはすごく楽しかったもの」
答えながら、シェイラは購入したバングルをイーヴに渡しそびれていることに気づいて小さくため息をつく。自分の瞳の色を使ったバングルだなんて、想いを押しつけるような気がしてイーヴに渡すことすら躊躇ってしまう。
「やっぱりまだ体調が悪い? ベッドで休みましょうか」
シェイラのため息に気づいたのか、ルベリアが心配そうに首をかしげる。それに平気だと笑ってみせながら、シェイラは彼女の腕を掴んだ。
「あのね、ルベリアに聞きたいことがあって」
「何かしら。あたしに分かることなら、何でも聞いてちょうだい」
「番いの証って、ルベリアも知ってる?」
「えぇ、もちろんよ。生涯を共にする相手の首に刻む、最上級の誓いね。それがどうかした?」
ルベリアの説明を聞いてシェイラはうつむく。しばらく言葉を探すように言い淀んだあと、思い切って顔を上げて自らの首を指し示した。
「私ね、イーヴからもらってないの。それってやっぱり、私と生涯を共にする気はないってことだよね」
「シェイラ、それは」
「ううん、分かってるの。イーヴと私は寿命の長さが全然違うもの。間違いなく、私の方が先に年老いて死ぬから、ずっと一緒に過ごすことはできないものね」
あらためて口にすると、イーヴとの違いを認識して胸が痛む。一度唇を噛んで、それでもシェイラは笑顔を浮かべた。
「私が死んだらきっとイーヴは、他の人と結ばれるでしょう。好きな人の――イーヴの幸せを願わなきゃいけないって思ってはいるんだけど、やっぱりちょっと寂しくて」
「シェイラ、違うわ」
首を振ったルベリアが、まっすぐにシェイラの顔をのぞき込む。その表情は、怖いほどに真剣だ。
「あのね、もしもシェイラが番いの証をもらったら、あなたは人としての寿命を捨てることになるの」
「人としての……?」
「そう。竜族同士の場合はお互いの血を交換するんだけど、シェイラの場合はイーヴから竜族の血をもらうことになるわ。そうしたらあなたは、あたしたち竜族と同じ長さを生きることになる。それがどういうことだか分かる?」
ルベリアの問いに、シェイラは首をかしげて考え込んだ。何か身体に不都合が出たりするのだろうか。
しばらく黙りこくっても答えの出なかったシェイラを見て、ルベリアは微かに眉を下げて笑う。
「この先、八百年ほどを生きることになるのよ。それは、シェイラにとって途方もなく長い時間でしょう。ラグノリアのあなたの家族だって皆、先に死んでしまう」
「そんなの……、平気だわ。ずっとイーヴと一緒にいられるなら、人としての寿命なんて、いつでも捨てられる」
シェイラはゆっくりと首を振った。成人を迎えたあの日、シェイラは全てをラグノリアに置いてきた。妹のマリエルのことだけは少し気がかりだけど、彼女はきっと幸せに暮らすだろう。
「イーヴは、怖いのよ。シェイラが本当に自分を受け入れてくれるのか、まだ迷ってる。だから、番いの証のことだって言い出せずにいるのよ」
「私には、イーヴしかいないのに」
「ふふ、そうね。鱗で作ったバングルまで渡しておいて何を怖気づいているのか分からないけど、シェイラのことが大切でたまらないのよ。それだけは信じてあげて」
優しく笑ったルベリアに笑顔を返して、シェイラはイーヴのくれたバングルにそっと触れる。青く光るその色を見ると、シェイラはイーヴに会いたくてたまらなくなる。早く抱きしめてもらって、あのぬくもりに包まれたい。シェイラがどこよりも安心できる場所は、イーヴの腕の中なのだから。
「私がお願いしたら、イーヴは番いの証をくれると思う?」
「きっとね」
大きくうなずいて、ルベリアは笑う。
「イーヴってばあんないかつい顔しておきながら案外慎重だから、シェイラから動いていかないと変わらないかもしれないもの。またベルナデットみたいに妙なこと考える輩が出てくる前に、シェイラをしっかりとイーヴのものにしておかなきゃ」
力強いルベリアの言葉に、シェイラはうなずいた。
どうかうまくいきますようにと願いを込めて、シェイラは左腕のバングルにそっと口づけた。




