28 悪意
「ふぅん、相変わらず人間は貧相な生き物ね。前のと同じでとっくに弱って死んでると思ったけど、おまえは案外しぶといのね」
頭の先から爪の先まで舐めるような視線を這わせて、ベルナデットは唇を歪めて笑う。こんなあからさまな悪意を向けられたことなど生まれて初めてで、シェイラは萎縮してうつむく。それを庇うようにして、ルベリアが前に出た。
「言葉が過ぎるわよ、ベルナデット。あたしたちの祖先を救ったラグノリアへの侮辱と受け取ってもいいのかしら」
「過去のことなんて、わたくしには関係ないもの。イーヴ様はね、将来はこのドレージアを背負って立つ方なのよ。こんな貧相で軟弱な生き物の世話に追われるなんて、あってはならないのよ」
ルベリアの言葉を鼻で笑って聞き流し、ベルナデットはシェイラをにらみつける。
「目障りだわ、どうしてこんなところを出歩いているの。せめて愛玩動物らしく、檻の中でおとなしくしていればいいものを」
吐き捨てるようにそう言ったベルナデットは、隣に控える黒服の男にちらりと目をやった。それに反応して、男がシェイラに近づいてくる。
「ちょっと、何をする気?」
「必要ないものは、排除すべきだわ。そもそもわたくしは、ラグノリアから花嫁を迎えるという慣習自体、不要だと思っているもの。イーヴ様には、もっと相応しい相手がいるはずでしょう」
「それがあなたでないことだけは確かね、ベルナデット」
守るようにシェイラの手を引いて、ルベリアが冷たい目でベルナデットを見る。ルベリアににらみつけられて、黒服の男は足を止めた。どうやらルベリアを押しのけてまでシェイラに近づくことはできないようだ。
「あなたの奔放なふるまいには、皆うんざりしているのよ。目に余るようなら、お祖父様に報告するわよ」
「ルベリアのその馬鹿みたいに真面目なところ、わたくし大っ嫌いだわ。そのちっぽけな人間が竜族の花嫁となるのを不快に思っているのは、わたくしだけではないのよ。そのことを、よく覚えておくのね」
苦々しい口調で吐き捨てると、ベルナデットはくるりと踵を返した。最後にシェイラを憎しみのこもった目で射貫くように見つめたあと、彼女は黒服の男たちに囲まれて立ち去った。
「ごめんね、シェイラ。嫌なものを見せてしまったわ」
ベルナデットの姿が見えなくなってから、ルベリアがようやく肩の力を抜いて息を吐く。
「ううん、平気」
「本当にあれは、我が黒竜一族の恥なのよ」
頭痛を堪えるように額を押さえながら、ルベリアがベルナデットの去っていった方向をにらみつける。
彼女は、ルベリアと同じ黒竜一族の娘なのだという。血の繋がりがあるなんて認めたくもないけれど、従姉なのだとルベリアはため息まじりに教えてくれた。
派手に装うことが大好きな浪費家のベルナデットは、甘やかされて育ったせいか我儘で、欲しいものは何でも手に入ると信じている。年の近いルベリアとは何かと比べられがちで、お互いに嫌いあっているから、会うのは良くて十数年に一度。
昔から幼馴染であるイーヴを気に入っているようだったけれど、先程の口調を考えると本気でイーヴを狙っているのかもしれないと、ルベリアは眉を顰めた。
「前にイーヴがソフィを迎えた時にも、何やら文句を言っていたのは覚えているの。年を考えると、自分がイーヴの妻になれると思い込んでいたんじゃないかしら。イーヴにはそんな気持ち、これっぽっちもなかったと思うけど」
面倒なことになりそうだわと、ルベリアは何度目かのため息を落とした。
「やっぱり私、あまり歓迎されてないのかな。このままイーヴの花嫁を名乗り続けていたら、嫌な気持ちになる人もいるんじゃない?」
先程のベルナデットの言葉を思い出して、シェイラは眉を下げる。あんな風にあからさまな憎悪の感情を向けられたことは初めてで、どうしても委縮してしまう。ドレージアに来てからは誰もがシェイラに優しくしてくれたし、ラグノリアでもいずれ生贄となるシェイラを憎む人なんていなかったから。
「そんなことないわ、シェイラ。あれが異質なだけよ。気にしないで」
「ありがとう、ルベリア」
肩を抱いて慰めてくれるルベリアの言葉にうなずいて、シェイラは胸のあたりにわだかまるもやもやとした感情を押し流すように唾を飲み込んだ。
「さ、気を取り直して買い物に行きましょうか。あたしのおすすめのお店があるのよ。きっとイーヴにぴったりのプレゼントが見つかるわ」
「うん、楽しみ!」
まだどこか気持ちはざわざわと落ち着かないけれど、シェイラは意識して明るい声を上げた。
◇
ルベリアに連れて行ってもらった店で、シェイラは金のバングルを購入した。悩みに悩んで選んだそれは、中央に青く透き通った石が埋め込まれている。色合いだけ見れば、イーヴの瞳と髪の色をあらわしているようにも思えるけれど、石の色はイーヴの髪よりももっと淡い青。それは、シェイラの瞳の色によく似ていた。
イーヴにもらった、彼の鱗から作られたバングルはシェイラの宝物。だからシェイラもせめて自分の色を忍ばせたバングルを贈りたいと思ったのだ。
「いい買い物ができたわね」
「イーヴ、喜んでくれるかな」
「そりゃもう、大喜びするに決まってるわ。シェイラが来てからイーヴはね、すごく柔らかい表情を浮かべるようになったの。前は、泣く子をさらに泣かせる強面だったのにね」
悪戯っぽく笑いながらそんなことを言うルベリアに、シェイラもつられて笑う。確かにイーヴの第一印象は怖い人だったけれど、今はもう彼がどれほど甘く優しい表情を浮かべるかをよく知っている。
「早く渡したいな」
きっと、イーヴは笑ってシェイラの頭を撫でてくれるだろう。誰もいないところでなら、キスもしてもらえるかもしれない。想像して思わずふにゃりと頬を緩めたシェイラを見て、ルベリアも嬉しそうに微笑んだ。
「なら、急いで帰りましょう。こっちを通った方が近道だわ」
そう言って、ルベリアはそれまで歩いていた道を右に曲がる。建物の裏手を通り過ぎて出た先は、左右にたくさんの店が立ち並ぶ大通り。買い物客でにぎわう中を突っ切っていくルベリアの背中を見失わないように、目を凝らしながら歩く。こんなにたくさんの人の中を歩くことなんて初めてで、うまく人波をかわせないシェイラはあちこちで人にぶつかってしまった。どうやら体格のいい竜族の人々にとって、小柄なシェイラの姿は視界に入りにくいらしい。
ぶつかるたびに足を止めて謝りつつ人波をかき分けていくうちに、ルベリアの背中がどんどん遠くなる。
「ルベリア、待っ――」
声を上げようとした時、背後から伸びてきた手がシェイラの口を塞いだ。鼻をつくような臭いに思わず眉を顰めると同時に、急激な眠気が襲ってくる。何が起きたのだと目を見開いていると、頭の上から黒い布をかぶせられた。視界を奪われた驚きに手足をばたつかせると身体を押さえつけられ、そのまま荷物のように抱えあげられる。
「……っ!」
誰か、と叫んだつもりだったのに、身体に力が入らなくて声が出せない。抗いがたい眠気に引きずられて、シェイラはそのまま意識を失った。




