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2 青い竜

 空を見上げたまま、マリエルが手に持った長い杖を数回地面に打ちつけた。竜の鱗を模した青い飾りが揺れて、しゃらん、と透き通った音が響く。

 祈りを込めるようにマリエルが杖を高く掲げると、杖自体が青く輝き始めた。青く光る杖を持ちながら、マリエルはくるくると舞い踊る。それは、竜を呼ぶための特別な舞。

 マリエルの動きに反応するように杖は輝きを増し、その光はまっすぐに空の上へと向かっていった。

 光の行方を追うように顔を上げると、真っ青な空にやがて小さな黒い点が見えた。


 爪の先ほどの大きさだったそれは、みるみるうちに大きくなり、竜の姿となる。大きく翼を広げた黒い影を見上げて、シェイラは圧倒されるように口を開いた。

 本で読んだり話を聞いたことはあっても、実際に竜を目にするのは初めてだ。シェイラの身体より数倍大きくて、全身は硬そうな鱗で覆われている。陽の光に反射したのか青い鱗が一瞬きらめいて、その美しさにシェイラは目を奪われた。


 大きく強く、何より美しい。

 あの竜に喰われるのなら悪くないと思いながら、シェイラはまっすぐに竜を見つめる。

 くわっと開いた口の中には、鋭利な歯が並んでいる。痛いのは嫌だから丸呑みだといいなと思いながら、シェイラは祈るように握った手に力を込めた。

 強く目を閉じたせいか、目蓋の裏に今までの出来事が次々と浮かんでは消える。走馬灯というやつだろうかと思いながら、シェイラは短い人生を振り返った。


 

 生まれた時から生贄となることが決まっていたシェイラは、伯爵家に生まれていながら、屋敷の奥にある部屋からほとんど出ることなく育った。

 いずれ来る別れの前に情が移るのを避けたかったのか、両親はシェイラの部屋に寄りつかず、ほとんど顔を合わせたことはない。

 部屋を訪ねてくる家庭教師から一応ひととおりの教育は受けたものの、読み書きやマナーレッスンなど、教えられたのは基礎的なことだけ。

 成人すれば生贄として喰われるシェイラよりも、聖女であるマリエルの方に力が入るのは当然のことだろう。彼女はいずれ、王族の誰かのもとに嫁ぐことが決まっていたから。

 物覚えの悪い方ではなかったシェイラは早々に教えられたことを完璧に覚えてしまい、あっという間に家庭教師も来なくなってしまった。だから、誰かと過ごすよりもひとりで過ごした時間のほうが長い。

 

 聖女の双子の片割れだからか、シェイラにも僅かながら力がある。結界の強化や森を歩く際のお守りとして使われる、竜鱗石と呼ばれる青い石に祈りを込めるのだけが、シェイラにできること。

 単調な日々の唯一の楽しみは、時々マリエルが人目を忍んで会いに来てくれることだった。

 必要以上の接触は禁じられていたからほとんど会話を交わすこともなかったけれど、彼女が囁くように『お姉様』と呼びかけてくれることが嬉しかった。


 幼い頃からその力を使って国を守っているマリエルは、聖女として皆に愛される心優しい少女だ。その優しさはシェイラにも向けられて、彼女は部屋にやってきては様々なものをこっそりと扉の外に置いていってくれた。

 美味しいお菓子や可愛い小物、そして本。

 シェイラの知らない世界を教えてくれる本は、何より嬉しい差し入れだった。お菓子のように食べてしまえばなくなることもなく、ページをめくると何度でも様々な世界に連れて行ってくれるから。

 シェイラの脳裏に、今までに読んできた様々な本が浮かんでは消える。

 マリエルの持ってきてくれる本は、お姫様の出てくるものが多かった。本物のお姫様を見たことはないけれど、きっとマリエルのような女の子のことをいうのだろうとシェイラは思う。


 ふと昨晩、マリエルの成人を祝う席に参加したことを思い出す。

 翌日には生贄となる娘にも最後にせめて幸せな思い出をということなのか、シェイラも参加を許された。華やかな場の空気に圧倒されて、壁際でそっと気配を消して佇むのが精一杯だったけれど。

 人々の祝福を受けて頬を染めて微笑む妹は、輝くように美しかった。集まった人々の前で王太子との婚約が決まったと大々的に発表されたから、いずれマリエルは本物のお姫様になるのだろう。優しげな王太子と寄り添う二人はとてもお似合いで、この国の未来が明るいであろうことをシェイラも感じ取っていた。


 妹の幸せのため、そしてこの国のために竜に喰われる。

 それが、何も持っていない自分にできる全て。

 どうして自分なのだろう、何故生贄に選ばれたのだろうと思ったこともあるけれど、きっとそういう運命なのだ。

 次に生まれ変わることがあれば、今度はマリエルのように皆に愛される人になりたいなと思いながら、シェイラはゆっくりと目を開けた。


 一際強い風と共に、青い竜がシェイラの目の前に降り立つ。

 近くで見ると見上げるほどに大きくて、やはり恐ろしい気持ちが湧き上がってくる。

 大きな金の瞳が鋭くシェイラを見据えていて、身体が勝手に震えだす。悲鳴をあげてしまわないようにシェイラはぐっと唇を噛むと、竜を迎えるように両腕を広げた。 

 それに応えるように大きく口を開けた竜は、一度低い声で唸った。小さく地面が震えるほどの唸り声に、身を縮めてしまいたくなるのを堪えてじっと竜を見つめ返すと、巨大な竜の姿が一瞬にしてかき消えた。

「……え?」

 思わず目を瞬くシェイラの前には、一人の男が立っていた。竜の鱗と同じ青い髪をした、若い男だ。

 少し釣りあがった目は険しいけれど、まっすぐにシェイラを見つめている。

 さっきの竜がこの男なのだろうかと戸惑うシェイラに向けて、男は右手を差し出した。

 そして、よく響く声でこう言った。

「迎えにきた、我が花嫁」


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