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12 青い鱗

 エルフェやレジスのあとをついて回ったおかげで、屋敷内にも随分詳しくなった。シェイラの部屋から調理場に行くのには、中庭を横切るのが一番の近道だ。

 朝食をシェイラが準備したのだと伝えたら、イーヴはどんな顔をするだろう。驚くだろうか、それとも笑って頭を撫でてくれるだろうか。

 イーヴに頭を撫でてもらうのは、とても好きだ。アルバンもよく頭を撫でてくれるけれど、それよりももっと心がふわふわとした気持ちになる。


 中庭へ続く扉を開けると、花の香りが色濃く漂った。朝露にしっとりと濡れた花が、太陽の光を受けてきらきらと輝いているのがまるで宝石のようだ。朝食のテーブルに庭で摘んだ花を飾るのもいいかもしれないと思いついて、シェイラはあとでレジスに聞いてみようと決める。


 花壇を抜けて四阿の角を曲がれば調理場の裏口だ。まるで道案内をするように少しずついい匂いが強くなるのをたどりながら、シェイラは弾むような足取りで中庭を進む。

 背丈を越すほどによく伸びた蔓薔薇の茂みを抜けた瞬間、広く開けた芝生の上に誰かがいることに気づいてシェイラは足を止めた。こちらに背を向けているし上半身裸だけど、見覚えのある青い髪は間違いなくイーヴのもの。汗に濡れているせいかいつもより色濃い青が、妙に妖艶に見える。


「……イーヴ?」

「ん? あぁ、シェイラか。おはよう、随分早いな」

 振り返ったその顔はやはりイーヴで、額から垂れてきた汗を腕で拭って彼はそばのワゴンに置いてあったタオルを手に取った。

「すまん、汗くさいかもしれん」

 鍛錬中だったんだと申し訳なさそうにしながら、イーヴはごしごしと身体の汗を拭いていく。そのたびに腕の筋肉が収縮して、その力強い動きにシェイラは思わず見惚れてしまう。シェイラの腕が数本分もありそうな太い腕も、見事に割れた腹筋からも、目が離せない。


 シャツを羽織ろうとしたイーヴの胸元で何かがきらりと光って、シェイラの視線はそこに吸い寄せられた。しっとりと濡れた髪から垂れた汗が朝の光に反射したのだろうかと思ったが、柔らかな水というよりも、まるでガラスのような硬いものに反射した光のように見える。

 どこかでよく似た色を目にしたことがあると記憶をたどったシェイラの脳裏に、竜の姿のイーヴがよぎった。最初に会った時の、太陽の光にきらめいた青い鱗の硬質な輝き。


「それは、鱗……?」

 思わずつぶやいたシェイラの声に気づいたイーヴが、ハッとした表情になって胸元を押さえる。

「いや、あの……それは、うん。そうなんだが」

 歯切れの悪いイーヴの口調に、シェイラは首をかしげた。

「竜の姿をした時のイーヴの鱗と同じですね。すごく綺麗」

「綺麗……か」

「もっと近くで見ても、いいですか?」

 シェイラの問いにイーヴはぎこちなくうなずくと、ゆっくりと胸元を押さえた手を動かしてくれた。

 胸の中心、鎖骨の下あたりに青い鱗が数枚だけ輝いている。鱗の周囲は肌に溶け込むようになっていて、それが単に貼りつけたものではなく彼の体の一部であることを示している。

 吸い寄せられるように近づいたシェイラは、指先でそっと鱗に触れてみた。見た目の冷たさに反してあたたかいのは、イーヴの体温だろうか。


「……っシェイラ」

 驚いたように息をのんだイーヴに気づいて、シェイラは慌てて手を引っ込めた。

「ご、ごめんなさい。触っちゃだめでしたか」

「いや、だめではない……が、気持ち悪くないか? シェイラには、その……鱗など、ないだろう」

「確かに私には鱗はないけれど、イーヴの鱗はとっても綺麗だし、気持ち悪いわけがないですよ」

 許可を得て、シェイラはもう一度撫でるように鱗に触れる。ラグノリアで結界の維持のために力を込めていた竜鱗石も綺麗だったけれど、イーヴの鱗の美しさには敵わない。透き通るようなこの青い鱗を身に纏った竜の姿も、とても美しかったなと思い出してシェイラは微笑んだ。

「人の姿のイーヴの方が親近感はあるけど、竜の姿もすごく素敵だったもの。大きくて強そうで、かっこよかったです」

「シェイラは、竜の姿が怖くないのか」

「最初はちょっとびっくりしたけど、今は全然怖くないですよ。だってイーヴは、最初からすごく優しかったから」

 背に乗せたシェイラが落ちないようにしっかりつかまっていろと声をかけてくれたことも、道中寒いからと上着を貸してくれたことも、シェイラの名前を褒めてくれたことも。どれも忘れられない思い出だ。

 イーヴの背に乗って空を飛んだ時に頬に感じた風の冷たさも、ドレージアを初めて見た時の感動も、まだ鮮明に覚えている。

 あの時の浮遊感と、このあと喰われるのだと覚悟して少しの不安を抱いたことを思い返していると、ふと頭にあたたかなものが乗った。そのぬくもりに視線を上げると、シェイラの頭をそっと撫でたイーヴが何故か泣き出しそうな顔をしていた。


「……ありがとう、シェイラ」

「どうしたんですか、イーヴ。泣きそう?」

「いや、何というか……嬉しくて」

 首をかしげたシェイラに、イーヴが照れ隠しのように鼻をこすって笑う。

「俺はこんな顔だから、よく怖がられてしまうんだ。だから、シェイラが怖くないと言ってくれて、本当に嬉しい」

「ふふ、イーヴが嬉しいなら私も嬉しいです。夫婦は喜怒哀楽を分かち合うものですから」

 頭を撫でる大きな手のぬくもりに嬉しくなりながら、シェイラはさりげなく夫婦という言葉を織り交ぜてみる。イーヴがそれを否定することなく微笑んでうなずいてくれたことに、更に喜びが沸き起こった。

「そういえば竜族の人たちは、竜の姿にはあんまりならないんですか?」

 くしゃくしゃと頭を撫でる手に目を細めながら、シェイラはイーヴを見上げた。竜族の国だというのに、ドレージアに来てから一度もイーヴが竜の姿になったところを見かけていない。もしかして、シェイラを怖がらせないようにと気を使われているのではないだろうか。

 シェイラの考えは当たっていたようで、イーヴは少し困ったような表情で手を止めてしまった。

「基本的には人の姿で生活をするが、時々は竜になって空を飛ぶ……かな。そうしないと、何だか身体がむずむずするんだ」

「柔軟体操みたいなものですかね。私もラグノリアでは運動不足にならないように部屋でよくしてましたよ」

「まぁ、そんな感じだ。アルバンなんかは仕事終わりに毎晩空を飛んでるし、ルベリアもここへ来るときは基本的に空を飛んできているはずだ」

 毎日のようにやってくるから近所だと思っていたのだが、ルベリアの住む屋敷は人の足では半日ほどかかるほど離れた場所にあるらしい。竜の姿なら空を飛んであっという間に来れると聞かされて、シェイラは驚きつつもうなずいた。

「じゃあ、イーヴも?」

 シェイラの問いに、イーヴは何故かぴしりと固まってしまった。

「そりゃ、まぁ……俺も、時々は」

「また見てみたいです、イーヴの竜の姿」

 あの綺麗な竜をまた見たいと思わず口にしたら、イーヴは真剣な表情でシェイラの方に向き直った。

 

「本当に、見たいと思うか?」

 まるで問い詰めるかのように、イーヴはシェイラの肩を掴む。その手は決して痛くないけれど、まっすぐに見つめるイーヴの金の瞳から目が離せない。

「えぇと、イーヴが見せてくれるなら。無理にとは言わないですけど」

 シェイラは、イーヴの手に自らの手を重ねた。

 強い眼差しの裏に見え隠れするのは、怯えだろうか。怖がられることを恐れているようなイーヴに、シェイラは大丈夫だという意味を込めて微笑んだ。


「……分かった」

 低い声でつぶやいたイーヴが、覚悟を決めるように一度目を閉じる。次の瞬間、彼の姿は大きな竜に変わっていた。

 こうして見るのは二度目の竜の姿。青く透き通った鱗が、朝の光を反射してきらりと輝いている。見上げるほどに大きな姿も、口元からのぞく鋭い歯も、今のシェイラにとっては何ひとつ怖くない。

 人の姿をしていた時と同じ色をした金の瞳が、躊躇いがちにこちらを見つめている。

 シェイラは、そっと腕を広げるとイーヴに抱きついた。大きな竜の身体を抱きしめることはできないけれど、全身をぴたりとくっつけて頬を寄せる。

「ふふ、あったかい。イーヴはとても綺麗な竜ですね」

 イーヴは何も言わなかったけれど、返事の代わりに小さく鼻を鳴らした。その鼻息で、シェイラの髪がふわりと揺れる。

「また、空を飛んでみたいな。すごく気持ちよかったし、何だか自由になれたような気がしたの」

 生贄として部屋から出ない生活は決して不満ではなかったけれど、それでもイーヴの背に乗って空を飛んだ時は、外の世界へ飛び出していくような開放感があった。

 あまり陽の当たらない小さな部屋の中が世界の全てだったシェイラに、イーヴは世界の広さを教えてくれた。


「それなら、少し出かけるか」

 すぐそばで響いたイーヴの声に、シェイラは目を輝かせた。

「いいの!?」

「アルバンが朝食の支度をしてるから、あまり遠出はできないけどな」

 それでもいいなら、と言われて、シェイラはこくこくと何度もうなずいた。そんなシェイラに頬ずりするように鼻先を寄せたイーヴは、瞬きする一瞬でまた人の姿に戻った。

「空は冷えるからな、ちゃんと厚着をしてこい」

 そう言ってぽんと頭を撫でられて、シェイラは大きくうなずいた。

「急いで着替えてきます!」

 準備ができたらまた中庭に来るように言われ、シェイラは大急ぎで部屋に戻った。


 


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