10 来訪者
その時、食堂のドアが勢いよく開いた。思わずそちらに目をやると、長い黒髪を高く結い上げた妖艶な女性が立っていた。くっきりとした目鼻立ちに、豊満な身体のラインを惜しげもなく晒す深紅のドレスを身に纏っている。
「ルベリア……?」
イーヴが小さくつぶやいて、額に手をやる。眉を顰めたその表情を見る限り、あまり嬉しくない来客のようだ。
こつこつとヒールの音を響かせながら、彼女はゆっくりと近づいてくる。長い睫毛に彩られた黒曜石のような瞳が観察するようにシェイラをじっと見つめていて、思わず身を縮めてしまう。
そんなシェイラの怯えた様子に気づいたのか、イーヴが席を立って守るようにシェイラの前に出た。
「何しに来た、ルベリア」
「イーヴが花嫁を迎えたって聞いたから、お祝いに来たのよ」
怒り滲ませるようなイーヴの低い声にも動じる様子を見せずに、ルベリアは興味津々といった様子でシェイラの顔をのぞき込む。
彼女の真っ赤な唇が弧を描くのを見て、シェイラは思わずイーヴのシャツの背中を掴んでしまった。竜族は人を喰わないとイーヴは言ったけれど、ルベリアの笑顔は少し怖い。
それを見て、ルベリアは驚いたように眉を上げる。
「驚いた。すごく信頼されてるじゃない、イーヴ」
「おまえの圧が怖すぎて、シェイラが怯えてるからだろ」
額に手をやったイーヴが、大きなため息をついてシェイラを振り返った。その表情は、微かに苦笑が混じっているものの、シェイラを安心させるように優しい。
「シェイラ、怖がらなくてもいい。こいつは、俺の幼馴染だ」
「幼馴染……?」
恐る恐るイーヴの背から顔をのぞかせると、ルベリアがにっこりと笑って手を振った。
「こんにちは、シェイラって呼んでいいかしら。小さくて可愛いわねぇ。素敵な花嫁をもらったわね、イーヴ」
軽やかなヒールの音を響かせて、ルベリアは更に近寄ってくると、イーヴを押しのけてシェイラの手を握った。
「イーヴとは昔からの腐れ縁なんだけどね、案外いいやつなのよ。こんな顔してるから、怖がられがちなんだけど。だから、シェイラも仲良くしてくれると嬉しいわ」
握られた手は少し強くて、見つめる瞳の強さにも少し圧倒されそうだけど、ルベリアが心からそう思っているのが伝わってきたから、シェイラはこくりとうなずいた。
「はい、イーヴが優しい人なのは、私も知ってます。花嫁として至らないことばかりだと思いますが、頑張ろうと思ってます!」
「ルベリア、言っておくが形だけの花嫁だからな。シェイラも、無理に何かをしようなんて考える必要はない」
訂正するようなイーヴの言葉に、シェイラは少しだけ唇を尖らせる。こんなにも良くしてもらっているのに、それではシェイラは何も返せない。
「形だけでも何でも、こうやって信頼されてるのを見られただけであたしは安心したわ。本当に良かったわねぇ、イーヴ」
しみじみとした口調でルベリアがつぶやく。その言葉には長年の二人の付き合いが垣間見えるような気がして、シェイラは少しだけ複雑な心境になった。
その気持ちが何故湧き起こるのか分からなくて、もやもやした気持ちを隠すようにシェイラは笑みを浮かべた。
「ねぇ、シェイラ。まだ外には出ていないんでしょう? あたしとお出かけしましょうよ。色々と案内するわよ」
「えっと……」
どうすればいいかと返事に迷ってイーヴを見上げると、優しい笑みが降ってきた。
「行きたいなら、行っておいで。だけど、まだ外に出るのが不安なら、無理はしなくていい」
自分で決めていいのだというようなその言葉に、シェイラは首をかしげて考え込む。少し圧の強めなルベリアに戸惑う気持ちはあるけれど、自由に外出なんて今までしたことがなかったから、行ってみたい気持ちはある。
しばらく考えたあと、シェイラはおずおずとルベリアを見上げた。
「あの、連れて行ってくださいますか? ルベリアさん」
「ルベリアでいいわよ。もちろんだわ、お出かけしましょうね、シェイラ」
嬉しそうに笑ったルベリアは、優しくシェイラの頭を撫でてくれた。
イーヴから、シェイラに用意した服が大きすぎるという話も聞き出したルベリアは、それならと彼女が懇意にしている仕立屋も外出の行き先に加えてくれた。
「本当に華奢ねぇ、シェイラ。あたし馬鹿力だから、気をつけないと怪我させちゃいそうだわ」
シェイラの手首に指をまわして、細いと驚きながらルベリアが苦笑する。
見るからに高級な店に連れて行かれてシェイラは内心慄いていたのだけど、金に糸目はつけなくていいとイーヴから言われているとルベリアは次々とドレスをオーダーしていく。
背も高くて派手な顔立ちのルベリアに最初は少し気後れしていたシェイラも、何かと話しかけてくれる彼女の明るさにあっという間に打ち解けた。
ラグノリアでの生活を聞いたルベリアは、やはりイーヴたちと同じように顔をしかめたあと、優しく抱き寄せてくれた。
「竜族がラグノリアから花嫁を迎える慣習自体を、考え直すべきかもしれないわね」
「でも、竜族の守りがないとラグノリアは崩壊してしまいます。そのために私はここに来たんですから」
困ったように眉を下げたシェイラの頭を撫でて、ルベリアは笑みを浮かべる。
「それについては問題ないわ。竜族は、一度交わした約束を違えることは決してしないから。そうね、あたしからも長に進言してみるわ。シェイラみたいな子を、これ以上増やしたくないもの」
シェイラをぎゅうっと更に強く抱きしめて、ルベリアは力強くうなずいた。彼女は黒竜の一族の末娘で、当主である祖父が今はドレージアの長を務めているらしい。
自分のことはともかく、生贄として育てられる子供がいなくなることは望ましいとシェイラも思う。生贄や花嫁といった慣習がなくても竜族がラグノリアを守ってくれるのなら、それが一番だ。
「ラグノリアを守ることが最優先ですけど、もしもこの慣習がなくなるなら……、嬉しいです」
シェイラのつぶやきに、ルベリアは笑ってうなずいてくれた。