幸運の女神は前にしか髪はありませんので、好機逃すべからず。
ウッド伯爵家の一室には伯爵夫妻と姉である令嬢と弟の世子、それに侍女の服装をした娘が集まる中、緊迫した空気が流れていた。
「いやよ!
あんな大きな傷のある
醜男の男の妻になるなんてありえないわ。
おまけに向こうは成り上がりの子爵じゃない。
貴族学校で一番の美人と言われ、名門の伯爵家の長女である私が嫁ぐ相手じゃない!」
過去には豪華な美術品が置かれていた応接室だが、今や売り払われて椅子と机しかない。
その寒々とした部屋の中に伯爵令嬢キャサリンの声が響き、それに対して父の伯爵の疲れたような声が応える。
「キャサリン、この縁組は父と母が我が家の繁栄とお前の幸せをよく考えて取り計らったものだ。
先方のエバンス子爵家は新興の家だが、今の王陛下の腹心。
王陛下の相続争いで王兄派に回り、領土を半減させられ碌な役職にも付かせてもらえない我が家には願ってもない縁談だ」
さらに母の伯爵夫人も言葉を続ける。
「相手となるハリーさんは初陣で敵の大軍を撃破し、軍才を示すとともに、内政でも堅実な手腕を見せ、王太子の覚えもめでたいと聞きます。
エバンス家は富裕な領土を与えられ、家も豊か。
しかし、ハリーさんは戦傷の顔の傷の為かまだ嫁が決まっていないそうです。
お前が嫁げば名門の格上の家で美貌の妻が来てくれたと大切にしてくれるでしょう」
「姉上、エバンス家と縁組ができれば僕も王宮に出仕できるように後援もしてもらえるし、そうなれば領地が減って困窮している家臣にも報いてやれる。
どうしても嫌なら仕方ないけれど、まずは一度会ってみればどうだろう。
ハリーさんは諸侯世子の集まりで話したことがあるけれど、豪放で男らしい、いい人だと思うよ」
弟の世子テリーも姉に言う。
「なによ!
そもそもお父様が王位継承戦で負けた方に付いたのが悪いのじゃない!
そのつけを私に回さないで!」
両親の説得に耳を貸さずにキャサリンはヒステリックに泣き叫んで部屋を出ていく。
はぁと伯爵夫妻と世子は溜息をついた。
「やはり嫌がったか。
いずれは他所に嫁に行くからとこれまで甘やかしたのが悪かったか。
最後は貴族の娘の務めとわかってくれないかと思ったのだが」
「あんなに嫌がるとは思わなかったわ。
誰か好きな人でもできたのかしら。
リーリア、何か知らない?」
伯爵夫人は後ろに佇んでいた侍女の格好をした娘の方を向く。
「はい奥様。
最近行った舞踏会でナラコット伯爵家の次男のロッドさんに言い寄られて、キャサリン様はご機嫌でした。
ロッドさんはこれまでも何度も近寄ってこられて、私が追い払っていたのですが、いよいよ露骨になってきました」
キャサリンのような派手な美人ではないが、リーリアは控えめながらも美しい目鼻立ちを伏せて答える。
その話に夫妻は驚いた。
「ナラコット伯爵だと!
あの無能で有名な家と縁など持っても百害あって一利なし。
あの家は前の王位継承戦でもどちらからも相手にされず蚊帳の外だったところだぞ」
「その上、あの次男と言えばジゴロと不行跡で有名な男。
ヤクザ者と付き合い、お金のある夫人と関係してその後に恐喝していると聞きました。
あんな男に言い寄られて気を良くするなんて」
夫人は卒倒せんばかり。
慌てて夫妻はキャサリンの部屋に走る。
「キャサリン、好きな人がいるなら教えて」
いつも泣くと両親がなだめに来たので、今回も同じかとキャサリンは部屋を開けて話す。
「ナラコット家のロッドさんはとても格好も良くて私と似合いだと思うの。
彼は次男なので、テリーをどこかに婿として出してロッドさんを我が家に迎えるか、それがダメなら我が家を分割して半分私にくださいな」
「馬鹿な!
あんな男を婿にだと。何を考えている!
しばらく頭を冷やせ!」
流石に娘に甘い伯爵も呆れ果て、キャサリンを外に出すなとリーリアに言いつけて、なおも娘に話しかけようとする妻を連れて荒々しく立ち去った。
部屋に残されたキャサリンは、慰めようとしたリーリアを突き飛ばして、出ていって!と怒鳴りつけた。
廊下に追い出されたリーリアに、世子テリーが話しかける。
「姉さんが、僕を追い出してロッドを婿にして家を継ぎたいと言ってたのが聞こえたよ。
姉さんが遊んていた間、僕がこれまでどれほど後継ぎ教育に頑張ってきたのか知らないはずはないだろうに、何を言っているのか。
リーリアも僕たちのいとこでありながら、姉さんの面倒を見させて悪いね。
姉さんが片付けば、どこかの騎士を世話するよ。
それとも僕の側室になるかい」
「いえ、私などはこの家に置いてもらえるだけでありがたいですわ」
リーリアが尻に伸びてきた手を静かに払いながら、遠慮深く言う。
彼女は伯爵の兄の子であったが、父が早く死んだことで叔父に養われ、キャサリンやテリーの姉のような、侍女のような中途半端な位置にある。
怒った伯爵から放っておけと命じられ、それから半日たって、翌日に流石に心配になったリーリアが様子を見に行くと、部屋はもぬけの殻であった。
慌てて伯爵夫妻が見に行くと、彼女の部屋にあった魔法の箒が無くなっていた。
魔法使いの教師に教えられて、多少魔法が使える彼女は箒に乗って家出したようだ。
「探せ!」
伯爵が狼狽して騒ぐ中に、魔法使いが、目深に帽子を被った男と連れ立って、キャサリンの授業の為にやってきた。
「先生、キャサリンが…」
伯爵夫妻からキャサリンが家出したことを聞いた魔法使いは、使い魔のカラスを飛ばして箒の後を追わせた。
戻ってきたカラスから聞き出した魔法使いは待ち受ける一同に伝えた。
「ホッグ市の歓楽街に行ったようですな」
ホッグ市と言えば、このあたりで一番の大都市で、その歓楽街はいかがわしい奴らが屯するところで有名だ。
「ロッドだな。
奴のねぐらがそこにあって、そこで博打をしたり女を引っ掛けていると聞く」
テリーが言うと、夫妻は真っ青になった。
「先生、キャサリンを助けに行ってください」
伯爵が頼むと、魔法使いは、生徒の保護は教師の仕事と快く引き受けた。
「俺も行こう。
あそこはならず者が屯している。
腕のたつ魔法使いでも一人では危ない」
帽子を目深に被った男が口を開いた。
「君は誰だ?」
伯爵の問いかけに男は答える。
「ハリー・エバンス。
こちらの家と縁談が持ち上がったと聞いたので、王命による盗賊退治の途中に寄って話をしようと思ったところだ。
宿で休ませている部下を連れてホッグ市に向かおう」
帽子を上げて見せた顔は大きな傷が残り、美男子からは遠かったが、そのイキイキとした眼と明るい表情は見る人を惹きつけるものがあった。
「私も行きます。
何かあれば私がキャサリンの面倒を見なければ」
リーリアがそう言って、ハリーに付いて行く。
その頃、ホッグ市の歓楽街にある『夜の暗闇』という店にキャサリンはいた。
「ロッドさんは居ませんか?」
彼からの手紙にここで待っているとあったのを頼りに彼女は訪ねてきた。
「おお、貴族の別嬪の姐ちゃんだな。
ロッド、お客だ。
また新しいカモが来たぞ」
店主らしき大男が店の後ろに声を掛ける。
(カモ?どういうことかしら)
キャサリンが疑問を頭に浮かべている間に、ロッドはやってきた。
その隣には色っぽい、胸を大きく開けたドレスを着たおんながついている。
キャサリンはその女に見向きもせずに、ロッドに抱きつき訴える。
「ロッドさん、私にハリー・エバンスとの結婚の話が来ているの。
あんなブサメンなど真っ平御免よ。
お父様とうまく交渉して、私と結婚して!」
「あらあら、ロッド、上玉を誑し込んだこと」
「うるせえ、ナンシー、お前は黙っていろ!
キャサリン、よく来たな。
まあ、一杯飲んでくれ。
おれがうまくやってやるよ」
そこでキャサリンは隣の女を見て言う。
「ロッドさん、その女は何?
ここに来れば父たちと交渉して結婚して領主になれると言ってたのに、あれは嘘?」
キャサリンは怯えながら聞く。
「嘘な理由があるか。
これからお前のオヤジと交渉して、お前と結婚しておれが伯爵になるのさ。
そうでなければお前は高級娼婦として売り飛ばす。
この器量と伯爵令嬢の身分ならさぞ高く売れるだろう。
おい、お前たち。
こいつに絶対に手を出すな。
下手なことをした奴は膾にして殺すぞ!」
いつの間にか集まってきたガラの悪い十数人の男たちにロッドは命じる。
「嫌よ!」
逃げようとするキャサリンをロッドはたやすく捕まえ、奥の小部屋に閉じ込めた。
その1時間後、店は大騒ぎとなっていた。
キャサリンは魔法で持っていた箒を暴れさせ、更に簡単なゴーレムを数体作って動かしていた。
「この魔女め!
こうなれば仲間を呼んでこい!
もう金はいい。
なんとしてもこの女を捕まえて痛い目にあわせてやるぞ」
ロッドの呼び掛けで、百名ほどのゴロツキが集まると、ゴーレムは破壊され、箒も取り押さえられる。
「たいしたことはないぜ!
あとはこの女だけだ!
捕まえたら好きにしていいんだな。
貴族の上玉とやれるとは運がいいぜ」
まだ魔法で抵抗するキャサリンだが多勢に無勢。
徐々に囲まれる。
「助けて!」
その声を聞いて、魔法使いが上からやってきた。
「やれやれ。
元気なのもいいが、お転婆が過ぎる。
父上や母上がとても心配されておるぞ」
「先生!」
彼の魔法で吹っ飛ばされたゴロツキだが、すぐに剣を持って囲んできた。
「魔法使いと言ってもこの人数に太刀打ちできるわけはない。
囲んで袋叩きにするぞ」
ロッドの声が響く。
そこに十数騎の騎兵が突っ込んできた。
「これは、悪漢に囲まれる美女と老人を助けるとは願ってもない登場場面だな」
先頭で槍を持ち、一人を串刺しにしながら、ハリーが剽げた声を上げる。
周りの騎兵も当たるを幸いにして、次々とゴロツキを斬殺していく。
馬に乗った騎兵に街のゴロツキごときがいくら数がいようが叶うはずもない。
蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う中、ハリーは一人の男を捕えた。
「ロッド・ナラコットだな。
これまでも何人もの貴族令嬢の行方不明に関わってきた疑いがある。
王宮に連行するぞ。
これでナラコット家も終わりだ」
キャサリンは、騎兵の後ろからやって来たリーリアに介抱されていたが、ハリーの声を聞いて、彼のところに歩む。
「助けてくれてありがとう。
あなたはどちら様ですか?」
それに横から縛られたロッドが口を出す。
「そいつがお前の嫌っていたハリー・エバンスだ。その顔の醜い傷を見ればすぐに分かる。
そいつはお前に惚れてもらうためにわざとお前をおれを陥れたんだ。
お前を襲えというのはそいつの命令だぞ」
「本当なの?」
「ああ、おれがキャサリンのことをどれだけ愛しているか何度も言っていただろう。
そいつに脅迫されて、おれが襲っているところを助けるからその協力をしろと脅されたんだ!」
数時間前まで愛した男が泣かんばかりに自分のことを見ている。
急な展開に混乱したキャサリンは思わずその言葉を信じた。
パシン!
キャサリンはハリーの頬を叩き、
「最低ね。あんたとなんか絶対に結婚しないわ!
ロッドを放しなさい」と大声で叫んだ。
「この女!」
周りの部下がいきり立つのを抑えて、ハリーはロッドを縄で縛らせて馬に乗り、魔法使いに挨拶をする。
「では先生。
おれは彼女に嫌われたようなので、このままこの男を引き渡して賊退治に向かいます。
それに彼女は探していた女とは違うことがわかりました。
またどこかで会いましょう」
そう言って去っていくハリーを、キャサリンは魔法使いとリーリアとともに見ていた。
「さて、伯爵夫妻が心配されている。帰るとするか。
しかし、キャサリン。
助けてくれた恩人にあの仕打ちはあるまい。
悪党のあんな戯言、信じるに値しないことはわかっているだろう。
結婚したくなければすることはないが、それとは別に受けた恩には礼で返すことは人として当たり前のこと。
今は混乱しているのかもしれないが、落ち着き次第、ハリーに感謝を伝えなさい」
魔法使いはそういった後に、独り言のように言う。
「それにしてもいい縁だと思ったがな。
ハリーと道すがらばったり会って話をしたが、貴族学校時代にウッドという家の娘と縁があり、その家の娘と聞いて、まだ早いと今まで断ってきた縁談に乗り気になったと言っていたが。
あやつは御面相は女受けしないかもしれないが、さっきの活躍を見てもわかる通り、難題に遭っても愉しく周りを照らす太陽のような男だ。
彼と暮らせば顔のことなど気にならなくなると思うぞ。
まあ、毛嫌いせずに一度付き合ってみてもいいんじゃないかとワシは思う」
「そうですか。でもあの顔は面食いの私には無理かも。
でも先生の言葉なので少し考えさせてください。
先生、私は直接家には帰らずに少し友人の家で頭を冷やしてから戻ります。
大丈夫なので、父母にはそう話してください」
「確かに今帰れば伯爵夫妻から質問攻めに合うだろうな。
良かろう。
しかし、その家から無事にしていると便りを出すことだ」
キャサリンはハリーとの貴族学校時代の縁など思い出せなかったが、美貌で有名だった彼女に言い寄る男は多く、そのうちの一人かもしれないと考える。
彼女は、その付近に住む親友の子爵家令嬢のケイトを訪ね、少し滞在させてもらうことにする。
与えられた一室でキャサリンはリーリアに命じた。
「お父様のところに行って、これまでロッドに騙されていたこと、ハリーに酷いことを言ったので謝罪と結婚前にお付き合いをして見てもいいということを伝えてきて。
あの傷のある顔や敵でも串刺しにするような野蛮な行動には我慢できないけれど、少しは付き合ってあげるのが礼儀よね。
うまく話してきてね」
「わかりました」
リーリアは何故か紅潮した顔で答えると、すぐに出立した。
それを見て安心したキャサリンはのんびりとケイトにこれまであったことを話すと、ケイトは面白がって付近の友人も呼んで皆で楽しくパーティを行う。
1ヶ月も滞在し、両親から早く戻ってくるように何度も使者が来たが、まだ早いと更に2週間ほど滞在してから、キャサリンも帰ることとする。
「嫌だけどあの醜男に少しは付き合わないとね」
そう言って笑うキャサリンに周囲の令嬢も笑い声を上げるが、一人の令嬢が真面目な顔で言う。
「キャサリン、あなたがハリーを振るなら、彼に私を推薦しておいてね。
私の父は戦場で彼に助けられて、ハリーのような婿が欲しいとよく言っているの。
私はあなたほど美人じゃないし、彼の顔も全然気にならないわ。
むしろあのくらい騎士らしいほうが好き。
だからよろしくね」
すると他の令嬢も口々に言い出した。
「それなら私の方が先よ。
貴族学校の遠乗りで置いていかれて困っていた私を助けてくれてから狙っていたのよ」
「彼はさっぱりしていて私の性格と合うと思っていたの。
それにあの新興の家を切り回すのはやり甲斐があるわ。
私の方が適任よ」
貴族令嬢の縁組は難しい。
家の家格や将来性、利害関係に過去の縁故といった家のバランスに加えて、相手に問題がないかや本人同士の相性もある。
ここに集まっていた令嬢の半分以上はまだ相手が決まっておらず、適齢期となってきた彼女達は内心焦りつつあった。
もちろん結婚は条件の良い貴族子息から決まっていく。
その中でハリーは残り少ない有望株。
そんな彼を顔が悪いからというだけで振るというキャサリンを友人達は内心嗤うとともに、落ちた獲物を奪おうと考えていたのだ。
(えっ、どういうこと??)
追い縋る友人を振り払うように馬車に乗ったキャサリンは冷静になって考える。
(ひょっとして私はみすみす大魚を逃そうとしていた?
あの男はみんなが欲しがるほどいい相手なの?)
混乱しながらも帰宅した時には、キャサリンはとりあえずこれ以上の物件が見つかるまでハリーをキープしようと思った。
(あそこでお付き合いをして上げるように言っておいて良かったわ。
あれからお父様達は何も言ってこないからリーリアはうまく言ってくれたのね)
屋敷に着いたキャサリンは誰の迎えもなくガランとした邸内に驚く。
「お父様達はどうしたの?」
忙しげに働く女中を捕まえて、キャサリンは聞く。
「お嬢様、お帰りなさい。
旦那様達は婚約の挨拶でエバンス家に行かれてます」
「えー、何を勝手に決めているの!
私はそんなこと承諾してないわ!」
キャサリンの叫びに女中は不思議そうに言う。
「キャサリンお嬢様の承諾はいらないと思いますが」
「何故私の婚約に私の承諾がいらないのよ!」
「いえ、今回の婚約はリーリアお嬢様ですから」
「はあ??」
そこにメイド長がやって来て、女中に注意する。
「フローラ、そんなところで油を売ってないの。
あれ、キャサリンお嬢様、いつお戻りになったのですか。
今忙しいので、お茶は出せませんよ」
そう言って去っていこうとするメイド長をキャサリンは引き止める。
「ちょっと待って。
リーリアがエバンス家に婚約ってどういうこと?」
「どうもこうも、お嬢様の我儘からでしょう。
騙した男を信じて、助けてくれた婚約者候補を平手打ちして罵倒する。
それを聞いて旦那様達は真っ青になってましたわ。
その挙げ句に、お友達の家に遊びに行くから、ハリー様にはしっかりと断ってくるようにリーリア様に言いつけられたのですよね。
お家の一大事を引き起こしておいてその行動に旦那様も奥様ももう言葉もないようでした。
まあ、キャサリン様のことはさておき、こんな好条件の婚姻をご破算どころか、多額の慰謝料を払って謝りに行くべきかと相談されていたところに、リーリア様が口火を切り、私が養女となって嫁ぐので、そのように申し出てくださいと言ってくださいました。
旦那様達は実の子でなければ駄目だろうと言いながらも、ダメ元で申し込み、更にリーリア様が先方に乗り込んでハリー様にキャサリン様の行動を謝罪の上、結婚のお願いをしたところ、貴族学校で知り合いだったことがわかり、ハリー様が快諾されたのです。
奥様がお金がかかったけれどリーリアも貴族学校に通わせていて良かったわと喜ばれていました。
晴れてリーリア様を正式な養女にする手続きを終えて、今日はエバンス家に婚約の挨拶に行かれてます。
その後には先方からお返しにご挨拶に来られるので掃除や飾りつけに忙しいのでキャサリン様のお用事をしている暇はありませんので」
そう言い捨てるとメイド長はもうキャサリンの方に目も向けずに足早に去っていく。
なんとなく感じていた屋敷の使用人の冷たい視線はそのせいか。
部屋でひっくり返ったキャサリンは、リーリアへの怒りが込み上げる。
姉のように思っていたのに、こんな裏切りをするなんて。
その夜、簡単なサンドイッチだけの夜食とぞんざいな扱いをされたキャサリンは翌日に上機嫌で帰ってきた父母や弟の顔を見ると、怒鳴りつけた。
「リーリア、あの嘘つき女はどこよ!
お父さん達もなんで勝手に婚約を決めるの?
私の意見を聞いてよ!」
ポカンとした家族に対して、キャサリンはハリーとの婚約を断った訳では無かったと言い募る。
「リーリア姉さんはエバンス家で気に入られて、向こうの家風に慣れるために当分滞在するそうだよ。
誰かさんと違ってちゃんと許可を取ってるから。
ところで今頃何を言ってるの。
今になってハリーさんが惜しくなったの。
姉さんがハリーさんを嫌っていたことは魔法使いの先生にも確認したよ。
謝って縁を繋げるならノンビリと遊び呆けていないでしょう。
まあ、エバンス家は、令嬢誘拐のロッドの逮捕に、国を騒がせた大山賊の討伐の成功でナラコット領の加増に伯爵への叙爵と今や大貴族だからな。
姉さんはともかく我が家はリーリア姉さんのお陰で縁を繋げられて良かったよ」
弟のテリーが見下したような顔でキャサリンを見て言う。
「全くだ。
キャサリンの所業で先方の夫人や姉君はカンカンだったが、貴族学校時代に初めての魔獣との戦いで深手を負ったハリー殿をリーリアが見つけて真摯に手当をしていたとはな。
高熱のハリー殿を数日間付きっきりで看病して、治ったら名乗らずに去ったとは、リーリアも粋なことをする」
「いい娘だとは思ってましたが、影で積んだ善行は後で報われるものです。
そこで落としていったハンカチに家名が書いてあったとは神の采配ですね」
夫妻もキャサリンのことなど眼中になく、リーリアのことを褒めそやした。
「もういい!」
誰も自分の味方はいないと思ったキャサリンは自室に向かおうとするが、その前に父から声をかけられる。
「キャサリン、ちょっと待ちなさい。
せめて婚約式に家族として同行しようとして使者を出したのだが、今思えばお前が来なくてよかった。
エバンス家の方々、特に女性陣はお前に会いたくないようだ。
今後、エバンス家のいるところでは顔を出さないように」
その言葉にキャサリンは愕然とする。
今や王宮の大官であるエバンス家に会いたくないと言われれば、もはや王宮や大貴族の行事には顔を出せない。
いや、それどころかそんな嫁を欲しがる貴族がいるだろうか。
困惑するキャサリンを横目に伯爵夫妻や弟は話に盛り上がる。
「次はテリーの結婚だな。
エバンス家の縁戚となればあちこちから声がかかるだろう。
我が家に利をもたらし、器量も良い嫁に来てほしいものだ」
テリーが結婚すれば小姑であるキャサリンはますます肩身が狭くなる。
帰って来る前の意気揚々とした気持ちと正反対にキャサリンの気持ちは沈み込んだ。
その頃、エバンス家の東屋では、剣の素振りをするハリーを見つめるリーリアがいた。
「こんなもの、見ていてもつまらないだろう」
と言うハリーに、リーリアは飲み物を渡し、吹き出す汗を拭ってやる。
「あなたの動く姿を見てるだけでとても楽しいわ。
これは学校時代からよ。
いつも元気に飛び回るあなたを見ていたから、大ケガをして倒れていたあなたもすぐに分かったわ」
「ハッハッハ
僕の一番カッコ悪いところを見られていたな。
でも、あの時薄らぐ意識の中で口移しに水を飲ませてくれた女の子を見て女神かと思ったよ。
そしてこれが僕の妻になる人だと。
君が名乗ってくれなかったからずいぶん遠回りになったけれど、会えたのは神が存在するということかな」
「そうね。
私達を神様が祝福してくれたのだと思うわ」
そう言って微笑むリーリアを、ハリーは愛しげに抱き寄せて口づけした。
(神様は自らを助く者を助ける。
お父様の死後に成人すれば後継ぎは私という約束を破って、叔父夫妻は当主の座に居座り、厄介払いに出した貴族学校でもお金を惜しんで私は貧乏生活だった。
貴族令嬢に似つかわしくない格好で虐められていた私を庇ってくれたのがハリーだった。
彼は忘れているようだけど。
ハリーのことが好きだったけれど、みすぼらしい服では会いに行けず、ケガの看病の後も立ち去るしかなかったわ。
せめてハンカチを置いて、私にいつか気づいてと祈っていたけれど、まさか家名をたどってキャサリンのところに行くなんて。
あの時に気づいて欲しかったけれど、叔父たちに侍女の服装をさせられた私は恥ずかしくて名乗り出られなかった。
でもあの従姉妹が本当に愚かでよかった。
あの娘が嫁げば、真実を明かして側室になって略奪してやろうと思っていたけれど、こんなにうまくいくとは、やっぱり神様はいるのかしら)
リーリアは嬉しげにハリーにしがみついて、もう一度キスをねだった。
後年、ハリーとリーリアは鴛鴦夫婦として五人の子供を儲けた。
武功を立てるハリーと内政に勤しむリーリアの力でエバンス家は更に発展し、侯爵まで登りつめ、リーリアの実家であるウッド家はエバンス家から送り込まれた養子に当主の座を譲ることになる。
なお、キャサリンはさんざん結婚相手を探すが、その悪評は社交界に鳴り響き、貴族の家には嫁げずに一介の騎士の家に嫁入りすることとなった。
彼女はその後ひたすらにリーリアのことを呪い続けた為か、その美貌はすぐに衰え、近寄る人もいなくなり、賢夫人として有名になったリーリアの比較として、愚かな貴族令嬢の末路として名を残すことになる。