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天才打者の忘れ形見  作者: 砂糖醤油
4章 light off
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息も出来ない②

「では、一二のリズムでこの動きを繰り返してみましょう。いきますよ」


 道場体験、午後の部。

 講師の和泉(いずみ)の指導のもと、イベントは滞りなく行われていた。

 

「和泉さん、相変わらず楽しそうだなぁ」


 イベントの手伝いに来ていた塩谷(しおや)が道場の隅でひとりごちる。

 和泉の機嫌は声色を聞けば大体分かる。

 のんびりとしたやや高い声の時は上機嫌、そこから低くなるごとに機嫌のメーターが下がっていく感じだ。

 素人には相対的な高さが分からないだろうが、最高と最低を知っている塩谷にはそこら辺の判別が付く。


「それに、どこかの誰かさんも相変わらずなようで」


 塩谷の視線は和泉へ、そして入夏へと移る。

 今日のイベントは土日という事もあって子供の方が多く参加している。

 子供たちの中に交じって真剣に集中して取り組める人間は、そう多くはいないだろう。

 自分が強くなる手段にはとことん真摯(しんし)なところは入夏らしい。


「隣、座ってもよろしいですか?」


「え? あぁ、どうぞ」

 

 短髪の女性が、隅に座っている塩谷の元へと歩み寄ってくる。

 確か入夏からは佐藤(さとう)と紹介されていた人物だ。


「良い記事、書けそうですか」


「あぁ、あはは。今のところはまだなんとも」


「それもそうですね。目玉はこの後に控えてますし。やらないとは思いますけど、あんまり悪い記事は書かないで下さいね。こういうところって、周りからの評判が命みたいなとこあるんで」


「まさか! そんな事は書きませんよ! 嘘ついたら針千本飲ませたっていいですよ!」


「ははは。冗談ですよ」


「……あ、あ~冗談! これは失礼しました!」


 ははは、と佐藤も照れくさそうに笑顔を見せる。


「随分、入夏と仲良いんですね。あいつがプライベートで人を呼んでくるなんて初めてですよ」


「あ、そうなんですね! 失礼ですが、入夏さんとはいつからの付き合いで?」


「俺は高校からです。同じ野球部のよしみという事もあって今回のイベントに呼びました」


「あー、高校時代から。それじゃあ当時の入夏さんとは親しくされていたんですか?」


「比較的、って感じです。入夏の奴、他の部員と会話する事はあっても常に仲良くしていた相手はいませんでしたから。仲が良かったと言えるのは当時の同学年のまとめ役みたいな立場だった俺か、深瀬(ふかせ)くらいでしょうかね」


「深瀬投手とも仲が良かったんですか、それは初耳です」


「高校時代の大半はね、仲が良かったんですよ。深瀬が当時明るくて周りを引っ張っていくようなキャラだっていうのもあって、入夏も心地よく感じてたみたいですよ」


「じゃあ、その。やっぱり、仲たがいした原因っていうのは……」


「俺たちの最後の試合後の事です。考えうる限りほぼ最高の結果を残しながらも『もっと打たなければならなかった』と残した事が深瀬を激怒させてしまって。手は出さなかったから大事は免れたんですが、それ以降はもう……」


 あの気まずさを思い出すと、胸が締め付けられる気持ちになる。

 そんな塩谷の事を察してか、佐藤が一声入れた。


「そうなんですね。すみません、あまり気の進まない質問でしたよね」


「ただ、その一件に関しては入夏の言葉に納得できる部分もあったんです。佐藤さんは高校野球の投手の負担の大きさをご存知ですか?」


「……はい、具体的な数字を覚えているわけではありませんが、昔はチームで一番いい投手、エースが130球を越えても投げ続ける場面は何度も見た事があります。しかし、現在では高校野球でも投手分業が進んでいて負担が分散している事もあって、負担で言えば減少しているのではないでしょうか」


「そうですね。でもそれが出来るのはいい投手を2番手3番手で起用できる強豪校のみです。エースがいるチームが弱い場合、一点が命取りになる。一番得点のリスクが低いのはやはりエースですから。彼一人でなんとか、とする場合が現在でもあります」


 塩谷の言葉に、佐藤も沈黙で同調する。

 一人で投げ抜く、というのは美徳であると同時に危うさも孕んでいる。

 短期間に肩を酷使する場面が何度も続けば、ある程度頑丈な投手でさえどこかに異常をきたすようになる。

 ただ、その点に関して塩谷は是非を問うつもりはない。

 この先野球を続けていくかどうかも分からない中で、甲子園と言う夢の為に選手生命を捧げられるかどうか。

 それは本人の意思で決める事だ。外野にとやかく言われる筋合いなどないし、言うだけ野暮だ。


「千葉県の高校野球って、俗に言われる魔境なんですよ。強豪校がひしめき合っていて、毎年どこが優勝するか分からない。それで、ウチの高校は弱くはなかったけど、飛びぬけて強いわけでもなかった。トーナメント戦だから、負けたら終わりの気の抜けない試合が続く」


「……だから、深瀬選手にそのしわ寄せが来たと」


「そうです。1か月という短い期間、ほぼ一人で地方大会を投げ切った。大したもんですよ。入夏たちの貢献もありましたけど、やっぱり柱の投手である深瀬がいなかったら優勝まではいけなかった。でも、やっぱり限界はそう遠くはなかった。それはチームの一部、入夏や俺に分かるほどの異変だった」


 それでも、チームは深瀬に頼らざるを得なかった。

 そして甲子園大会。

 深瀬は初めて味方の失策抜きに大崩れした。

 ストレートをことごとく捉えられ7失点。

 深瀬にとってワーストの記録だった。

 相手が全国レベルというのももちろんあったのだろう。

 それでも良い時の真っ直ぐとはかけ離れた投球だったと、捕手を務めていた塩谷は振り返る。

 試合は入夏のあわやサイクルヒットという大暴れで追いすがったが、やはりエースが崩れると厳しいものがあった。


 入夏は人一倍責任感が強い男だ。

 エースが辛い時こそ支えるのがチームの役目である。

 それがエース一人に頼ったチームの背負うべき責務のはずだと、入夏は思ったのだろう。

 

「まぁ、つまり。あの発言に深瀬を貶める意図は全くなかった。全くと言っていい。そこは断言します。あいつの発言は、苦しんでいるエースを勝利に導くことができなかった自分の非力さを憂うものだった、という事です」


「入夏さんの言葉の裏にはそんな意味が隠れてたんですね」


「隠れていたというよりは……ただ直球過ぎただけです。要するに、多分知ってるとは思うんですけど、入夏って悪い奴じゃないんです」


 だから、と一つ間を置いて塩谷は言う。


「たまにでいいからあいつと話をしてやってくれませんか」


「話、ですか?」


「あいつ、弱音を吐かないんですよ。出来ない時とか、一人でどうにもならない時はすぐに助けを求める程度の事はやるんですけど……『やめたい』だとか、『辛い』だとかを他人の前で吐いた事を見た事が無いんです。別に、その生き方を否定したいわけじゃないんです。立派だと思いますし、それが今の入夏の強さを築いているのは揺るぎない事実です。けどそれは、深い海に潜り続けるようなものだ。ずっと空気を肺に貯め込んで潜り続けるのには限界がある。何より、息も出来ないくらい苦しい生き方だと思う。俺はあいつに活躍してほしいけど、そのために苦しんでほしくない。だから、誰かがあいつの弱音を受け止められる場所になってあげないといけないんです」


「……それは、塩谷さんじゃダメなんでしょうか? 私なんかより、高校時代の同級生の方が色々と話しやすい事があるんじゃないでしょうか」


 力なく塩谷は首を横に振る。


「ダメだったんですよ。高校から今に至るまで気にかけてはいたんですけど、あいつがそういう事を言った事は一度もありませんでした。心は開いていてくれているんだと思います。けど、やっぱりどこかに壁があるような気がするんです。お願いします。俺じゃなくてもいいんです。あいつの事を、影から支えてやってくれませんか」


 塩谷は頭を下げて懇願する。

 俺じゃなくていい。俺じゃなくてもいいんだ。

 心がずきりと痛む音がしたが、それでいい。

 あいつが酸素を吐き出す場所があれば、構わない。


 少しの沈黙の後、佐藤が首を縦に振った。


「私が力になれるのであれば。入夏選手のファンの一人として、お手伝いします」


「そうですか。…………ありがとうございます」


 入夏。

 お前はこんなファンが出来るほど強くなったんだぞ。

 だから、たまには楽しろよな。

 

 佐藤が塩谷の手を包み込むようにぎゅっと両手で握った。

 思わず塩谷は目を見開く。


「でも、一つだけ否定させてください。自分なんて、って思わなくてもいんです。あなただってきっと、入夏さんに頼られてると思いますよ」


「はは、そう見えますかね」


 照れくささをごまかすように塩谷は笑う。

 瞬間、ぶおんという大きな風切り音が道場内に響いた。


「おぉ、力強さのこもった振りですね」


 和泉の賞賛の声を皮切りに、参加者たちは拍手や様々な声を上げていた。

 その中心にいるのは入夏だ。

 集中しているのか、汗が額から滴り落ちていた。


「まったく、あいつは……人の気持ちも知らないで」


 塩谷は不満の声を漏らす。

 そう言いながら、塩谷も佐藤も困ったように笑っていた。

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