昭和に名を馳せたサレ夫が遺した名言
難しい言葉を使えば良いというものではない。読みにくい。だが、それが味となる場合もある。
易しい言葉を選べば良いというものでもない。これもまた読みにくい。だが、それで親しみやすくなる時もある。
単語は平易であっても、文そのものが難解なものもある。悪文という。だが、日常語が紡ぐ壮麗な詩歌というものもある。
単語は晦渋であっても、文全体になるとすっきりと明解なこともある。名文という。しかし、馴染みのない言葉が羅列されるばかりで理解しにくい駄文というものも存在する。
難しいことを易しく。
易しいことを深く。
子供の頃、どこかで読んだ言葉である。
ふと思い出して調べてみたら、劇作家・井上ひさしの言葉であった。
収録誌 The座.
巻号・年月 14 1989.9
出版 東京 : こまつ座, 1984-(逐次刊行物、座誌)
項目名 前口上
著者 井上ひさし
ページ pp.16-17
そして、とてつもなく長かった。
以下引用
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」
引用ここまで
唐突に思い出した。テレビのインタビューか何かで観たんだった。中学生くらいだったかな。井上ひさしと別役実が大好きだった頃である。
大人になって改めて読み返すと、この言葉、シメがいいですね。「そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」。いいよねえ。
井上ひさしはカリスマ的な人気を誇る劇団主宰者であった。出っ歯の変な顔で、自ら非モテを標榜していた。奥さんのこともブスだデブだとネタにして、お似合いの夫婦だと惚気ていた。経営にも関わる夫人で、オシドリ夫婦なんて思われていた。
ところがこの奥さん。若い団員と劇団のカネ持ってトンズラしちゃったのである。当時すごいスキャンダルだった。
ずいぶん持ってかれたらしいけど、こまつ座も井上ひさしも揺らぐ事なく、名声は続いた。直後のインタビューは焦燥していたようには思うが、スキャンダル離婚の翌年には再婚した。その奥方とは没年まで添い遂げた。意識的に「ゆかいなこと」として落とし込む生き方の勝利ではなかろうか。
今時の若い人はあまり興味がないようだけど、こまつ座は今でも健在だ。座誌も発刊されている。井上ひさしの言葉が新しく紡がれることはもうない。だが、そのことばは生きている。
なろうの利用者は、ほとんどがエンタメ小説を読み書きする人間だと思う。私もそうだ。「ゆかいなこと」を追い求め、朗らかに生き、そしてにこやかに人生の舞台を去りたいものである。
願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃
なんて詠んだ西行法師は、思惑通り釈迦入滅 (旧暦2/15、新暦3/15)の翌日に息を引き取ったという。
咲き誇る桜、輝く満月。華やかな夜桜を見上げて、憂き心なく愉快な人生を送る。なんと素晴らしいことではないか。先日開催された数年ぶりの花見当日、発熱して参加できない無念も、楽しそうな写真を見た残念も、怨念とせず「ゆかい」に。
ゆかいに。
ゆ、
あーっ!
旨いツマミでくだらない話をしてダラダラ酒呑みたかったんだよ!
桜も見たかったけどね!
花も団子も酒も好き。
おしまい。
お読みくださりありがとうございます