第8話「私たちを助けて、アンリミテッドアイ!」
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緑先輩とのお約束だぞ★
誰もが布団へもぐり、テレビをつけてポップコーンを頬張るような休日の朝、太陽にいじめられながら、俺はグラウンドを走る。
「後十周しなさい! もたもたしてると愛理を天子に取られちゃうわよ!」
緑先輩の話を聞きつけ、俺のダイエット計画に乱入してきた彼女によって、少しの休息も許されないような詰め込みメニューとなってしまった。いうなれば講義以外の時間、すべて体型を引き締めるために使われると言っても過言ではない。
「ほらほらあ、背中反っちゃってる。もっと床にくっつけて。じゃないと腹筋に効かないわよ!」
トレーニングスペースも使い、彼女の言われたとおりに訓練をこなす。俺は傭兵にでもなるのだろうかと自分の将来が疑わしくなるくらい、体の節々を痛めつけられる。しかも彼女の考える方法は理にかなっているものだから、妙な説得力と達成感で余計にやめられない。
「うう、苦しい、吐きそう」
冷水器の水を引くくらいに飲みまくり、ベンチに思わず背中をつけて仰向けになる。こんなことを、ゆうさんからあの話を聞いた日から一週間くらい続けている。
「愛理が天子を好きになる可能性か……」
考えれば考えるほどむしゃくしゃして、そういう時は率先して自分からダンベルを持った。それがよぎると、こじらせて何もかも嫌になって、大幅なカロリー摂取につながってしまう。だから上腕二頭筋を鍛えて、考えないようにするのだ。
「ふふ、たくましい腕になってきたじゃない。ポテンシャルは悪くないと思ってたのよねえ」
温かく、それでいてうっとりとした優さんの視線が俺を指す。あまりにも至近距離でまじまじと見つめてきたので、俺はダンベルを置いて文句を言った。
「あの、ちょっと離れてほしいんすけど」
そう言ったら、ゆうさんは「ごめんごめん」と顔を赤くして、ダンベルを手に取って離れた。彼女の細い腕にかけている負荷は三十キロ。へし折れてしまわないか心配になる。そんな他愛もないことを考えていると、ゆうさんが話を始めた。
「懐かしいわね、愛理ともこんな風に筋トレしてたの」
愛理というキーワードで、俺の意識のすべてがそこへ向かう。
「愛理は元々、とっても細い子だったの。声も小さくて、花をめでているような、そんな子だった。それはそれでとてもかわいかったんだけどね」
彼女はダンベルを持った腕を、ゆっくりと引き寄せ、ゆっくりとおろす。
「それが今から五か月前よ。何が言いたいかっていうとね、短期間で愛理は、今の愛理になったってことよ」
俺も愛理も好きなヒーロー、アンリミテッドアイ。そのイメージは、今はもうスーツの中に、愛理が入っているんじゃないかと思うほどだ。そう思わせるほどの身体と明るさを、俺がぐうたらしていた期間で手に入れた。
「俺も変身できるかな、愛理みたいに」
質問をした。というより、励ましてもらいたくてその問いかけをした。
「まあ、元男性の体だから、愛理や緑先輩より効果は早いんじゃないかしら?」
こうしてシェイプアップする一方で、アンリミテッドアイズの活動も週二~三の頻度で続いていた。とはいっても来るのは、俺とゆうさんと緑先輩くらい。愛理と天子は演劇サークルの活動で忙しいようだ。
「天子……ね」
つくづくあいつが何を考えているかわからなくなる。天子も好きなはずのアンリミテッドアイ。そのためのサークルで、緑先輩やゆうさんと話をしようともしない。
「まあまあ、演劇サークルはこの大学で1番シビアなサークルだし、しょうがないよ」
俺は拳を握りしめ、落ち着けず、その場で腕立て伏せをやることにした。颯爽と寮へ帰ろうと、早足気味にエレベーターへと向かう。もう無理、階段は無理、絶対無理、疲れた。いや、まだ疲れていない。そんなむだなうごきをして、 やっぱり階段をちゃんと使って帰ることに決めた。そうして階段の方へと歩く途中、ふと夜空を見上げる。すっかり日が沈み、星々が現れ始めている。
「俺、頑張っているなあ」
自分でつい、自分をほめる。こんな夜中まで頑張る俺は、なんか努力しているみたいで愉悦感に浸る。大きく息を吸い、目を閉じて、体のいい感じに出てる疲労を全身に染渡らせる。今日は、バスタブに入浴剤を入れて湯船につかろう。本気でそう思えるような夜であった。
その翌日も、次の日も、その次の日も、筋トレをこなす。時々厳しめの言葉を吐かれたときは緑先輩に優しくしてもらい、緑先輩に甘やかされすぎたときはゆうさんに厳しくしてもらった。そのバランスで、俺がトレーニングと特訓から逃げ出すことはなかった。
やがて、お腹がへこみ胸板の方が目立つようになってくると、今まで着るとコンプレックスを発症していた上着も着るのが楽しくなった。また、そのことがきっかけでいろんな洋服を試したくなり、気分転換に洋服を買いに行ったりもした。そうして鏡を見る機会が多くなった。
「俺ってかっこいい」
鏡を見てそう呟く機会が増えたことで、俺は自分にだんだんと自信を持てるようになってきた。
しかしあれから2か月、俺は1番会って話をしたい人に、一度も会えていなかった。
「愛理、大丈夫かなあ」
つい言葉として出してしまったのを、近くにいたゆうさんに聞かれた。
「確かに心配ね。時々メールをしているけれど、全然返事が返ってこないし」
言いながら、ちょくちょく俺の少しばかりたくましくなった腕を指でつついている。
「あの、真面目に受け止めてなさそうっすね、後輩の話を」
どうにもならない不安だけが膨れ上がっていく。煮え切らない俺に、緑先輩が提案をした。
「みんなで演劇サークルを見に行ってみよう。それが一番早いよ」
俺の意を汲み取ってくれたその言葉だけでも安心が得られた。
「それに、芥君、結構体つき変わったし。ナイスガイになっちゃって。これで愛理も一目ぼれするはず!」
そういって、俺もゆうさんも緑先輩も腰掛けていた椅子から立ち上がり、サークル室を出て鍵を閉めた。
相変わらず、大きな木造建築の扉と、立てかけられた演劇サークルと言う表札。他のサークルを押しつぶすような風格を醸し出し、扉の中から早口言葉が聞こえてくる。練習中で気が引けるが、何とか勇気を出して扉をノックすると、扉の向こうから「少し待ってほしい」旨を言われた。
「いまさらなんですけど、愛理がアンリミ研究サークルから距離を置いているとかはあったりしませんかねえ。そうだとしたら俺たち、来ない方が良かったのでは……」
緑先輩が、俺の唇に人差し指を当て、首を横に振って言う。
「君は愛理が心配でここへやってきたんでしょ? 自分の決断を信じて」
もやもやと霧がかかっている俺の脳裏を彼女の言葉がすっきりさせる。迷いはなくなり、とにかく待つことにした。しばらくして、扉が開き、中からやせこけた中年の男性が顔を出す。
「しばしの間お待たせしてしまって申し訳ない。突然の来訪だったもので」
緑先輩は、アポなしでやってきたことへの謝罪をしたのち、さっそく本題に入る。
「取り合っていただきありがとうございます。愛理さんはいらっしゃいますでしょうか」
男は首を傾げ、稽古中の発声練習の聞こえる方を見る。やがて首を横に振り、「今日もいません」と答えた。
「今日も、と言いますと?」
その不可解な接続詞に対して優さんが言及すると、彼はこう答えた。
「ええ、かれこれ一週間ほど前から姿を見せなくなりました」
瞬間、脳裏に彼女の笑顔が浮かび、それを真っ黒に塗り染めていく男の姿が浮かんだ。その女は愛理と一緒にいたはずの奴で、愛理がアンリミテッドアイズに来なくなったきっかけになりうる奴。
「天子はどこですか?」
俺はいたって平静を装って、その男に尋ねた。すると男は目を細め、ゆっくりと笑みを浮かべ、左手を部室内へ向けて答えた。
「あの中で、熱心に稽古に励んでいるよ」
俺の頭の中は、途端に静かになった。開けられていた窓から、生暖かい強い風が吹き、サークル室の目に立て掛けられていた看板が音を立てて倒れる。熱が体全体に伝わっていき、体中の血が頭部へ登っていく。
「早崎天子を、呼んできてはいただけないでしょうか」
だんだんと、俺は早咲天子と言う人間を思い出してきた。そして、そいつは俺らの目の前に再び姿を現した。その、人の神経を逆なでする分厚いすまし顔で。コンプレックスであったその身長は変わらなくとも、確かに声は低く、それでいて腕や首の筋がより一層目立つようになっている。
「何の用ですか? 今練習中なんですけど」
俺がそいつに話しかける前に、緑先輩が間に挟まり、遮った。抑えきれなくなっていたそれが収まっていき、血の気が引いていく感覚で冷静になる。勿論、それはかろうじてとどまっているだけに過ぎないが。そして彼女は天子に対し、緑先輩はやんわりとした口調で尋ねた。
「練習を邪魔しちゃってごめんね。愛理の様子を知っている範囲で聞かせてほしいの。最近、顔を見ていなくてさ」
彼は疲れたように鼻で笑い、尋ねてくる。
「アンリミ研究サークルには来ていないんですか?」
緑先輩はやんわりとした口調で、彼女にこたえる。
「そうなの。おまけにメールをしてもなかなか返事をしてくれなくて。だから、つい最近まで愛理と一緒にいた天子ちゃんなら、何か知っているかもしれないと思って尋ねたの」
天子は「そうなんですね」と物憂げな顔で言い、頭を抱え、深くため息をついて答えた。
「私が聞きたいくらいですよ緑先輩。なんなんですか? あのポンコツは」
その発言の直後、緑先輩が押し黙った。ここからその顔は見えないから、彼女が何を考えているかを知ることができない。そんな彼女とは別の方を見ながら、天子はぺらぺらと御託を並べる。
「最初は良く動くし、気が利く子だと思っていました。でもしばらくして、彼女はただ、落ち着くことができないだけってことが分かりました」
目の前にいるそいつは、「それはそうと」といい、俺たちに笑顔を向けて言い放った。
「え、怒ってますかー? 仲間を馬鹿にしやがってって感じですよねー? そうですよね? だとすればすごく閉鎖的なサークルなんですねー」
彼女は「だって」といい、彼は俺の方に近寄り、肩をポンとたたいて言った。
「しばらく来なかった僕の心配はしていなしね。僕もアンリミ研究サークルの一員なのになー、寂しいなー」
自分から俺のところに来てくれるとは、さぞこの鍛えた腕でぶん殴ってしまえば、いい悲鳴を上げてくれるだろうか。そう考えていたのに、次の瞬間そう思えなくなってしまった。
彼が目に、涙を浮かべていたのだ。
「天子……その顔どうしたんだ?」
性別は変わってもその表情は、高校の時に見たそれと同じ。俺の問いかけに、彼は肘で涙をぬぐい、疲れ切った笑みを浮かべ、俯いた。彼は背を向け、こう言い残した。
「僕は愛理にも、君にも、なにもしてあげられなかったよ」
言い切る前にドアをぴしゃりと閉められた。まるで一人を大勢でいじめたような、後味の悪さだけが残った。
俺たちは自分たちのサークル室へと戻る。緑先輩は放心状態で、ゆうさんは頭を抱えてうなっている。怒りと後悔と、罪悪感と無力感が、サークル室の中に充満する。ゆうさんがぼそりと呟く。
「もう少し、気にかけてあげるべきだったな」
緑先輩は何も言わず、俯いて黙ったままだ。俺も、彼女への後悔は少なからずある。なぜなら彼女は自白したのだ。選ぶ道を間違えたのだと。
「ああ、くそ!」
叫んで、思わず近くのケースをけってしまった。その拍子に、チャックの閉まってなかったそれは綺麗に開き、中の物が姿を現した。それはシグナルが鳴ったとき、愛理が良く来ていた、丁寧にたたまれたアンリミテッドアイのスーツ。それを見て、かなうはずもない妄想に思いをはせた。
『私はアンリミテッドアイ!』
その妄想に関して、突如、半ば空元気気味に、このスーツを着てみようと考え、それらを持って男子トイレへと赴いた。下をつけ、上をつけ、マスクをつけ、最後に一枚のマントを羽織り、再びサークル室に入室した。静まったその場所で声を出すのも勇気がいるが、しっかりとお腹を使い、張った声を出して二人の視線を引き付ける。
「迷える少年少女よ、私が来たからにはもう大丈夫だ!」
当然と言えば当然、返事は帰ってこない。だがそれでも俺は諦めない。
「君たちは今、下を向いている!」
息を大きく吸おうとすると、顔を覆っているマスクが引っ付く。だから喉からの声で何とか、演説をするように話す。
「だから上を向いて、物理的に気分を上げていこう!」
そういって指をさしたが、白い天井とオレンジっぽい蛍光灯があるだけ。緑先輩もゆうさんも目を点にして首をかしげてしまっている。やがて、緑先輩の体が震え、しまいには腹を抱えて大笑いし始めた。ゆうさんも、顔はこちらに見せなくとも、口元を抑え、肘を机につけて必死に笑いをこらえている。
「なにがおかしい、笑うんじゃない!」
緑先輩は笑い涙を指で拭って、手をたたいてほめだした。
「よ! さすがは私たちのヒーロー、アンリミテッドアイだね!」
馬鹿にしているのかと言おうとしたら、ゆうさんが笑顔で、嬉しそうにこちらを見ていた。とてもじゃないけど強い言葉を掛ける気にはならない。俺はコホンと咳笑いをし、
「とにかく、天子君は後回しだ。まずは愛理の様子を見に行きたいと思う」
と大きく体を動かし、ポーズをとった。こうしてスーツを着てみたとき、本当に俺は一つ、柵を思いついた。それはこの姿でないと決してかなわない。後は、彼女たちの応援が必要だ。
「君たち、私に力を貸してくれ」
両手を差し出す。間はあったけれども、ゆうさんも緑先輩もその手を握ってくれた。そして、緑先輩とゆうさんの2人から掛けられた一言によって、頭の中の霧はすべて晴れた。
「「私たちを助けて、アンリミテッドアイ!」」
俺は二人のその手を、より力強く握りしめ、確固たる意志を持って返事をした。
「承った!」
続
この作品に出てくる「アンリミテッドアイ」はフィクションです。作中でもフィクションです。




