第3話「声を掛け続けるんだ、きっと一つは届くから」
この小説を読むときは、部屋を明るくして、画面から離れてね!
緑先輩とのお約束だぞ★
『問題発見、問題発見、至急現場に出動せよ。依頼者、千葉花子!』
緑先輩にダウンロードしてもらったアプリ特有のアラートが鳴る。俺と愛理が頷き、愛理はスーツに着替えて、ついでに部室の鍵をかけて現場に向かう。今回のシグナルは近くの二階の廊下の方からであり、あってみて、鳴らしたのがおめかしした女の子で、机にパソコンを置いて頭を抱えていた。
「助けを呼んだのは君だね? 私の名は、アンリミテッドアイ! とこちらは私の相棒だ」
彼女は俺を指してそういった。そして、その子に何があったのかを聞く。
「実は履歴書をデータで送付するために、セキュリティをくっつけたいの」
愛理の動きがぴたりと止まる。何かしら落ち着きのない彼女が、石造のようにピクリとも動かないのは珍しい。愛理はうろたえながら、事実上のお手上げを彼女に告げた。
「その手のことに関しては力になれそうもない、なんせ私は紙媒体専門だからな!」
言われたその子は目を見開き、首をかしげる。その場が一瞬にして凍り付き、雰囲気が悪い方向へと向かいそうなその時、ちょうどよいタイミングで救世主が通りかかった。
「それなら、ファイルから情報に行って、文章の保護を押すといいわ」
愛理の背後から、ゆうさんが現れた。パソコンをいじっていた子は頭を下げ、そのとおりにした。
ゆうさんはちょうど今、サークル室へ向かう途中だったらしかったので、三人で来た道を戻っていく。
「いやあ、これにて一件落着だな!」
ポジティブな彼女はさておき、ゆうさんが袋に入れて持っている大量のそれについて俺は言及した。
「ああ、これはシグナルバッチよ。出会って少しでも会話した人には渡しているわ。さっきの子も、以前何かで知り合った子ね」
ゆうさんは携帯と連動した時計を見て、早歩きになる。
「これをなるべく多くの人が持ってないと、私たちを呼ぶ人がいなくなっちゃうからね」
俺と愛理は顔を見合わせ、頭を傾ける。
「でも生半可な気持ちでやることじゃないわ、人をストーカーするためとか考えてるなら馬鹿よ、あく……塵芥君」
「芥です。ゴミでもストーカーでもないです」
その露骨な態度とセリフにむかついて反応したが、それ以上言っても仕方がないので黙っておくことにした。
丸いちゃぶ台に粗茶、少々のお菓子は昼食明けの俺らを眠らせに来ている。彼女はボードを強くたたき、みんなを注目させて発言する。
「サークルの宣伝活動が足りないわ!」
俺が答えられずに口ごもっていると、彼女はコホンと咳をし、話を続ける。
「危機感を持って。来年のサークル申請条件として、最低五人は必要なのよ? 緑先輩が卒業して抜けちゃうことを考えると、あと2人、正式な部員が必要なの」
愛理は静かに聞いており、緑先輩は眠そうながらに聞いている。彼女は緑先輩の机に音を立てて手を置き、彼女と顔を合わせていった。
「今手伝ってくれている人はみんな緑先輩の知り合いで4年生。卒業した次の年には私と愛理と芥だけですよ?」
その不安な形相に、緑先輩は笑顔で小刻みにうなづいてなだめる。目の下には隈がある。愛理は黙って、真剣な表情でそれを眺めている。
ならば、ここでゆうさんを俺がフォローするしかない。そう思って、俺の渾身の励ましを言ってやった。
「ゆうさん、俺もいるし一緒に頑張っていこうよ。今はまだ焦るときじゃないよ」
そう、今はそのときじゃない。これで今安心していいんだとゆうさんに思わせることができるはずだ。そう思っていた矢先、予想外にも彼女は、腕を組んで苛つき気味にこちらを見た。
「は? 何その言い方。面倒だからやりたくないって言ってるんじゃないでしょうね?」
訳が分からない。俺は優さんを励まそうとしただけなのに。俺の全身全霊の気遣いが、俺が楽をするために言ったことになっているのが何よりも許せない。
「そうはいってねえよ! ただ俺も愛理もいるから、一緒に頑張っていこうぜっていうことをだな……」
すると彼女は、頭を抱え、まくしたてるようにして喧嘩を吹っかけてきた。
「上級生を見下した言い方するわね。礼儀も知らないの君は?」
血が上り、奥歯に力が入る。なんだこいつ、そんなに俺を怒らせたいのか。自分だってできてないことがあるくせに。喧嘩したいなら望み通り買ってやる。
「てめえこそ、声が低くて元気ないように聞こえるぜ? もうちょっと喉を大切にしたら?」
それを言った途端、彼女は目を見開き、口をゆがめて身を固くする。そして、畏怖を含んだ視線を俺に向け、毒を吐く。
「努力で何とかできる部分を変えないあんたみたいなのが一番むかつくのよ!」
俺は今、俺が積み上げてきたものを否定されている。尊厳を踏みつけにされている。そう思うと目が熱くなってきて、瞬きをしてこらえるも、こらえきれずにあふれ出た。視界がもやもやしていても、甲高い声が俺と彼女の間に割って入ったのが分かった。
「そのぐらいにしておこうよゆうちゃん。明君はあなたに助け舟を出そうとしただけよ。言い方はまずかったかもしれないけど、その言い方はないんじゃない?」
彼女は緑先輩の方に「すみません」といい、次に俺の方をにらみつけた。
一通りの説明が終わり、休憩の時間となった。俺は愛理に声を掛け、二人で放送室の外へと出た。
「芥、お疲れさま」
その笑顔と、こちらを見ている瞳はやっぱり綺麗で、思わず目をそらしそうになる。同時にとても胸を温かくしてくれる。だけど、彼女の前ではダメだと分かっていても不平不満が出てくる。そんな俺の肩をたたき、彼女は暖かな笑みでこういった。
「あんまりゆうさんを、そして自分自身を責めるなよ」
胸が熱くなり、隈に熱が溜まる。彼女は近くの手すりに体をもたれさせ、下の階のどこかを見だした。そしてそのまま、俺に言った。
「今日はたまたますれ違った、それだけだ」
突飛すぎる発言に戸惑い、もう一度聞き返した。両手の平を向き合わせてまっすぐに伸ばし、目元に近づけてからまた離して手すりで遊ぶ。やがてゆうさんの俺らを呼ぶ声が聞こえてきた。彼女は手すりを押して、くるっとこちらの方を向き、柔らかい声で言った。
「声を掛け続けるんだ、きっと一つは届くから!」
そういって放送室に戻っていく彼女の背を、俺は何も言えずに見送った。彼女はきっと、うまく話せず衝突してばかりの俺を、彼女なりに励まそうとしてくれているのだ。愛理の言うとおり、今日はもう帰って頭を冷やそう。そう思って俺は放送室から遠ざかり、エレベーターのボタンを押してドアが開き、中へと入る。
「何階かな?」
俺は八階と答え、後ろを振り返った。そこには背の低い、白色の肌の綺麗な金髪の青年が、幼い笑みを浮かべて立っていた。
「あれが今の君の居場所だね、ちょっと見物させてもらったよ」
そいつは問いかけた問いに、自分で答える。
「でもその様子だと、みんなとの練習をバックレたってとこかな?」
感情のこもっていない台詞を言い、そいつは髪を揺らし、顎をあげて見下す。顎が手が足が震えだし、そいつに何か言おうとしても口の開かないそのもどかしさが、俺を刺し殺そうと迫ってくる。ゆっくり、じっくりと。その刹那に、彼は疑問を挟み込んだ。
「ん~、そんなに怯えられると悲しくなっちゃうなあ」
エレベーターの鐘が鳴り、扉が開く。得体の知れない青年が、そのまま俺を押し倒す。
「だ、誰なんだ、お前は一体!」
俺が弁解しようとした途端、彼は侮蔑するような視線を俺に向けて言った。
「そうそう、それが真っ先に浮かぶはずの疑問だよね?」
えぐり取られるように胸を刺され、俺は瞼が熱くなって、こらえきれなくなる。まただ、また泣くのかよ俺は。さらに青年は、付け加えるようにしていった。
「来週の木曜日、君たちのサークルと合同練習するんだ。よかったら見に来てはくれないか?」
彼女は両手で俺の手を掴み、満面の笑みをしていった。
「人がいっぱい来るから、心の準備はしておいて」
俺はその手を振り払って走った。後ろを振り返れど、奴は追ってこない。しかし終始こちらを不気味に見つめてくる表情が恐ろしくて、部屋へ戻った後、身を布団にくるめて縮こまった。嗚咽と涙と鼻水が止まらない。心が落ち着くまで、しばらくそうしていた。
生協でキャラメルコーンを買い、エレベーターで屋上へと上がった。糖質とジャンクフードなしの生活は、俺を死へといざなう。フェンスに囲まれた、誰もいないこの場所で、封を開けてキャラメルコーンを頬張ると、どんなことがあっても楽になれる。そんな志向のひと時の途中、突然背後から何者かに声を掛けられた。
「ここにいたのね芥……芥川君、もう勉強会も練習も終わっちゃったよ」
「芥です、文豪じゃありません」
短く言い返し、ぼーっと彼女を眺める。腕を組み、ミニスカートとフリルでピンクの上着をつけたゆうさんが、俺を睨みつけながら立っていた。
「さぼりで私の行きつけの場所に来るなんて、見上げた根性しているわ」
俺は何も言いかえせず、ただ頭を下げて謝った。
「貴重な時間を無駄にしてしまってごめんなさい」
彼女はふっとため息をつき、しばらくこちらを見た後、俺が買ったお菓子のキャラメルコーンを指さして言った。
「これを毎日食べているの?」
「食べてたら悪いんですか?」
反射的にそう聞いてしまった。その言い方を彼女は鋭く指摘してきた。
「悪い、って一言も言ってないわ。甘いわよね、キャラメルコーンは」
彼女は頭に手を当て、目を閉じてうなる。やがて、「誰もいないからいいか」と独り言を言い、もう一回俺に目を向け、話を始めた。
「私の声が低い理由、教えてあげる」
彼女は息を吸い込み、ゆっくりと吐いてそれを告白した。
「実はね。私は元々、体が男の子だったのよ」
頭上に雷を落とされたような感覚であった。乳房があって、くびれがあって、女物の服装も着ているのに。
「男の体……?」
彼女はそばに置いてある売り物の手鏡を持ち、覗き込みながら話す。あしらわれているような空虚な感覚になる。
「ホルモンを少しずつ打ってるの、声も少しずつだけど高くなってるって、勝手に思ってたいわね」
彼女は持ってきたエコバックの中身から、「アンリミテッドアイ」と書いてあった箱を取った(多分中には、ラムネ菓子と小さい人形が入っているやつ)。
「性転換に関しては、両親含め、親戚皆が受け入れてくれた」
彼女は唇を噛み、声を震わしながら、胸の内にあるものを吐露する。
「でも、男だったころの声の名残は残っている」
自分を落ち着かせるべく、深く息を吸い、吐いて口角をあげて笑みを作る。彼女は俺を見て、鋭い眼光を見せて言った。
「なんで私だけこんな目に合っているんだろう」
その言葉に、俺はさっきの自分を思い出し、気づかされた。あいつが悪いとそう結論付け、それで終わりにして逃げて、ここにきた。それらの行為はまさに、憎しみに流されている奴である。とたんにまた罪悪感が出てきた。俺は彼女の方を見た。彼女もまた憂いの目で、唇を結んで俺の方をじっと見ていたが、その空気に耐え切れず、俺から伝えなきゃいけないことを伝えた。
「今日は、傷つけるような悪口を言ってしまってごめんなさい」
彼女はきょとんとして俺の方を見る。そして思い出したように頷いて言った。
「あれは私も悪かったわ。きつい言い方してごめんなさいね」
やがて子どもじみた口調で、なんの躊躇もないような様子で。その後、一呼吸してからすぐ、彼女は吐息とともに本音を吐いた。
「敏感になっちゃうのよねえ。だって気持ち悪いでしょ、こんな女の子」
なんて声を掛けたらいいのだろう。俺の言った言葉で彼女は傷ついている。物を考えずに傷つけることはできても、励ますことはそうもいかない。下手なことを言ってしまったら余計に傷つける。だが、それは何も言わないことの理由づけにしかなっていない。逃げ癖のついた俺はきっとそうだ。
『声を掛け続けるんだ、きっと一つは届くから!』
その言葉を思い出したとたん、体中を熱が駆け巡り、俺に声を発する勇気をくれた。
「ゆうさん」
ゆうさんに一旦声を掛け、顔を見合わせる。ならば、テンプレでも何かを言おうと思い、彼女を励ますのに、どこかで聞いたことあるようなセリフを、俺は選んで言い放った。
「ゆうさんはゆうさんだ! 声とか関係なく、めっちゃ可愛いですよ」
すると彼女は、すぐに顔をそらし、俺に背を向けた。肩を震わせていて、彼女はしばらくの間そうしている。
やがて、こちらを向いたときには、漫勉の笑みを浮かべて言った。
「ありがとう……ちょっとだけ、嬉しかったわ」
空はオレンジ色になり、沈む夕日を背にして立つ彼女は、どこか儚いものを思わせた。
続
この作品に出てくる「アンリミテッドアイ」はフィクションです。作中でもフィクションです。