第1話「上を見ろ、気分が変わる物理的手段だ!」
この小説を読むときは、部屋を明るくして、画面から離れてね!
緑先輩とのお約束だぞ★
終わりのない、どこまでも広がり続ける闇の中。
そこへスポットライトが照らされると、もとからあったかのごとく緞帳付きの豪華な舞台が現れ、その上で豪勢なドレスに身を包む女が現れる。
女は舞台の上から怒りの形相をあらわにし、まるでごみを見るような目で俺を一瞥する。
「待って、待ってくれえ!」
女は背を向け、舞台の奥へ溶け込むように消えていく。手を伸ばしても届かず、息ができずに苦しくなる。それでも立ち止まってほしくて、俺は彼女に手を伸ばした。
だが、瞬きしたその瞬間である。
気が付くと俺は、電気の消えた灰色の蛍光灯に向かって手を伸ばしていた。パジャマの裾に締め付けられる柔らかい二の腕が視界に入る。夢の中では引き締まっていたはずの俺の二の腕。布団を転がりうつぶせ、腕と脚を使って起き上がり、冷蔵庫の中の残っていたコーラ2リットルをラッパ飲みして体内へ流し込む。
「飲まなきゃあやってらんねえ」
好きなヒーロー番組のストラップが付いたお気に入りのバックに、灰色のノートパソコンを押仕込み、服そのままに自分の寮をでてエレベーターに乗る。ガラス越しに見える下の景色は、代り映えのない廊下と講堂。そして顔面偏差値の高いカップル。
「遺伝子勝ち組は羨ましいよ」
目の奥からこらえきれず、熱い物がにじみ出てくる。エレベーターの中、公衆の面前でみっともなく涙を流す。ひそひそと声が聞こえてくる気がした。
「いきなり泣き出すとか何歳だよ……」
そんなことは分かっている。本当に俺は嫌な奴になってしまった。頭の中の俺が、俺に言い聞かせてくるのだ。そのせいで気持ちが暗くなって、涙が唐突に出る。それがトイレの時ならまだマシ。しかしこうして人前で涙が出てきた時は、みっともなくて、下を向いてしまう。そうすると余計、後悔の念が次々と湧いてくる。もっとあの時こうすれば、もっとあの時、変わるための努力をすれば……。
「このハンカチ、使えよ」
少年のような声を掛けられ、背後から唐突に肩をたたかれた。振り返るとそこには、綺麗な脚の形にフィットした青のジーンズと、黒の下着に赤色のジャンパーを着た女性。ハンカチを俺に差し出し、優しい目で俺を見つめている。俺はその暖かなその瞳に、凍っていた心を溶かされた。ゆっくりと会釈をし、言葉に甘えてハンカチを受け取り、二度と出てこないように思いっきり顔を拭き取る。
「あ、ありがとう。ちゃんと洗濯して……」
言いかけて、そのハンカチに描かれていたイラストが目に入った。赤い装甲、1つ目のようなフィルターがついたマスク、黒い上腕筋とマントが特徴のヒーロー。
「アンリミテッドアイだ」
女はあたりを見回し、顔を赤くする。そして指パッチンをして手を上にあげ、天井を指さす。つられてその方向を見上げると、先のガラスの天井は青く澄んだ空模様が重なり合い、光沢を帯びたつややかなオブジェを作り上げていた。
「上を見ろ、気分が変わる物理的手段だ!」
感嘆の吐息とともに、彼女は俺の方を向いて、さわやかな笑みを見せて言った。
「愛理、私の本名は一番ヶ瀬愛理! よろしくな」
彼女はそう名乗る俺に手を振りながら、隠せない乳房を揺らし、軽く肩を回して背を向けた。そのクールな後姿は、先の景色に勝るものであった。俺は名前だけでも覚えてもらいたくて、わき目も降らず、聞こえるように叫んだ。
「俺は、遅咲芥!」
俺もとりあえず、軽く背伸びをして前を向き、また歩き始めてみることにした。
八号館の一番下の階にあるレトロだが広々と開けたカフェに俺は足を運び、店員さんに「いつもの」と言って、コーラを注文する。一気に飲み干して辺りを見渡し、上を見る。周りは静かで人が二、三人ほどしか座ってない。天井のガラス越しに見える空は雲で覆われている。
「帰ってネット動画見よう」
俺はもたれかかっていたブラウン色の机を押して立ち上がり、背もたれにかけていたバックに出していたパソコンを入れ、空になったカップをゴミ箱へと捨ててて立ち去ろうとした。
しかし、視界にとあるものが入り、思わず立ち止まった。それはいつもなら気にしなかった、ただスペースを取るだけの置物。決して立派でもなく、木製の教壇を積み上げて、色紙とガムテープでその周りを包んだような簡素な物。俺は衝動にかられ、それの近くまできた。
「ここ、今から使うからどいてくれる?」
立ち尽くして、動けずにいる俺に対し、金髪で眼鏡のスレンダーな女は、低い声質で鋭い剣幕を放っていた。彼女はもう一度男の人のような声で、今度は俺に対して罵声を浴びせた。
「言っていることが分からないのかしら? そこで突っ立っていたら迷惑なの。だから早くどいて、とっととどいて!」
その後は、今俺と会ったことをなかったことにするかのように、女は持っているメモ帳に何かを書き込み、耳から通っているヘッドホンマイクでどこかにいる誰かに合図を出した。何言っているかなんて聞こえないし、そんなつもりでいったともおもえないけど、自分はもう舞台の上にすら上がらせてもらえないと考えると、不意に瞼が熱くなっていく。
「な、なによ! なんで泣くの?」
この無神経で思いやりのかけらもない女に腹が立ち、自分でも衝動が抑えきれず、叫んでしまった。
「見ていただけじゃねえか!」
吐き出した鬱憤と、我に返った今の周囲の反応。目の前の彼女は、一瞬目を丸くするも、すぐさまそれをあざ笑うかのように指摘をした。
「いや邪魔してきたのそっちでしょ?」
思わず拳を振りかざし、そいつに当てようとしたが、よけられて流れるように背負い投げを食らった。自分が女を殴ろうとした恥辱間と、それでも自分が倒れている無力感が一緒くたになって襲ってくる。
その真剣な目に、嘘偽りは感じられなかった。それはいうなれば舞台の上に立つ側の人間の目。その目の奥に、思い出の中にいる女の子が見える。
「邪魔をしてすみませんでした」
俺はその女に背を向け、舞台から遠ざかろうとした。しかし俺の手を捕まえ、引き留める。見た目に似合わず、彼女の手は大きく、かなりの握力で握ってくる。俺は暑くなる瞼をぬぐい、単純な痛みとそれを我慢しながらやっとの思いで話す。
「すみません、でももうこれ以上ここにいると、多分俺は正気じゃいられません」
彼女は俺の話にかぶさってまで食い気味に言った。俺はトイレに行くのを我慢しすぎたかのように涙を漏らした。彼女は頭を抱えながら要件を話す。
「あなた、アンリミテッドアイって知ってる?」
俺が頷くと、彼女は頬を緩めて微笑を見せた。
「今からそのヒーローショーを、この舞台で行うの」
彼女は、舞台近くの前席(カフェの席)まで行き、腰掛を後ろに下げて手招きしてきた。
「ここがきっと見やすいわ」
彼女の行為が、先ほどの冷たい態度もあってさらに極まって、温かった。俺はもう一度深くお辞儀をする。彼女は無駄な肉ひとつない脚で、コツコツと音を立てて舞台の上に登った。俺はすぐさま涙をぬぐい、座って待つことにした。
三十分後、何人かの甲高い声が聞こえてきた。怒鳴りあっている声、あっちへこっちへ行ったり来たりして落ち着かない人、場所の陣取りをしあっている背の大きなお友達。
『良い子のみんなー、来てくれてありがとう!』
ノースリーブとミニスカという奇抜な格好をした童顔。彼女は特有のポーズを見せて、『みんな、お返事ありがとう!』といい、指パッチンをして舞台を手で指した。
『それじゃあ、大きな声で呼んでみよう。愛のために戦う眼光の戦士。私の名は!』
「「アンリミテッドアイ!」」
舞台の中心へ交差する様に煙が出てきて、どんなトリックか、はけ口がないはずの中央から、舞台の裏から、肩部にプロテクターと、黒スーツに覆われた上腕二頭筋の、マントをつけたマスクのヒーローがやってきた。かつ仮面の黒い面が瞳の形になっている特徴的なデザインをしている。彼は地面をけって後ろへ下がり、空中で2、3回くらいバク転をした。
「すげえ」
感嘆のあまりついてでた一言の声量が大きかったのか、舞台の上の彼に気づかれた。彼は舞台から飛び降り、俺の方へとやってきて手を差しだした。
「な、どうしたんだよ?」
しかしそう返した後、彼は胸に手をあてて、女性のようにきれいな甲高い声で囁いた。
「そこの少年、私とともに戦ってくれないか?」
その唐突な行動に俺は戸惑ったが、胸が熱くなった。俺が君たちと同じ、かっこいい舞台の一役者となれる。ゲストであっても、ワンシーンであってもそれは俺にとって、得たくてももう得難い物になってしまったのだ。大衆の視線がこちらへ向いたので、何かしらを答える。いや、応えようとした。
「お、れ、ここで奴らと、俺……ああ」
観客の目が凶器のように見え、彼ら一人一人が話すおしゃべりが、俺に対する不平不満に聞こえてくる。
「お兄ちゃん豚さんみたい」
「かっこ悪い」
きっと本当はそんなことを言ってはいない。それでも、頭の中でそれらの言葉が浮かんだら、一色に塗り染められていく。体が震えてきた。寒気がしてきた。ここから今すぐにでも逃げ出したい。
「アンリミテッドアイ」
せめて目の前の、俺を誘ってくれた目の前のヒーローに、お礼を言って別れよう。こんなとこに俺がいたら迷惑をかけてしまう。
「聞こえてくるんだよお、俺を否定する声がたくさん。もう手遅れなんだ! だから……だから」
言いかけたその時、彼(彼女)は俺の肩に強く手を置き、一つしかない大きな目をまっすぐ、俺に合わせて言い放った。
「その声は君の心を蝕む悪の怪人、ダマスカスがいるせいだ!」
彼(彼女)が唐突にそんなことを言い出す。大きいお友達たちは口々に我先にと、その怪人が誰かを言いまくる。
「ダマスカスだ!」
「アンリミテッドアイに意地悪する怪人! 原作再現ですねこれは!」
アンリミテッドアイは、「そうだ」とうなづいて見せる。心にしっくりと来てしまったその言葉を、その優しさを、忘れないように頭の中で反芻させる。頭の中が侵略され、心を乱すダマスカスに震えている俺の手を、ヒーローはしっかりと握ってくれた。
「大丈夫だ。一緒に、ゆっくり歩こう」
目の前のヒーローが差し伸べた手を、なんとか握り返して、一歩ずつ一歩ずつ、おんぼろな舞台へと向かう。足取りは重く、険しく、あの女の声だって聞こえてくる。涙はやまない、傷も深くなる。追い風もやまない、心は砕ける寸前。それでも今……、
俺のヒーロー、アンリミテッドアイが手を引いてくれるならば。
そう思って踏み出したその一歩。教壇の上に足を、俺は乗っけていた。瞬間、胸の灯がふつふつと沸き上がって、俺の心を渦巻いていた闇は消え去った。感化されたと言われてしまえばそれまでだ。
「うあああ、やめろアンリミテッドアイ~、俺様の計画が台無しだああ!」
オーバーリアクションに、全て吹っ切れるように大声で叫び、白目をむいて一旦項垂れる。その後、肩を震わし、頭を振って目をパッチリ開き、手のひらを見つめてこういう。
「あれ、俺は一体何をしていたんだ?」
それを見た子どもたちから、一気に歓声が巻き起こった。
「ダマスカスをやっつけた!」
そうしてみんなが喜んでいる間、アナウンスで声が聞こえてきた。
『ふははは、やるなアンリミテッドアイ。だがこれで俺様がやられたなどと思うなよ!』
舞台左から、茶色くて歪なコスチュームと、さび付いた剣が印象的な、ダマスカスのスーツを着た人が現れた。アンリミテッドアイは俺の肩に手を置いてこう言い残し、舞台へと向かう。
「ありがとう芥君、後は私に任せろ」
宙をバク転し、再び舞台へあがってダマスカスと対峙する。途端にダマスカスが剣を振り上げ切りかかってくる。それを身軽にかわし、背後にキックをお見舞いする。ひるんだすきに飛び上がってセリフを叫ぶ。
「揺るがぬ愛を拳に込め、いざ放つ!」
拳を肘ごと、目いっぱい後ろに引き、ダマスカスもそれに立ち向かおうとして剣を振り上げようとしたが、間に合わなかった。
「ラブソリュートパンチ!」
手前で寸止めし、バク転で距離を取るというアレンジだろう。怪人はよろめき、その場で倒れた。
「うわあ、まいったあ!」
怪人が倒れると、アンリミテッドアイは手でカメラを作る、決めポーズを行った。
「勝利のシャッターチャンス!」
再び大きなお友達の元気な声が聞こえてきた。そして彼(彼女)はさらばだといい、舞台左から退場していった。俺も密かにポーズを取らせてもらおうっと。
お話が終わり、出演者と裏方の人がそれぞれ顔を見せて挨拶を行う時間になった。観客席で俺はその様子を見させてもらう。敵役だった人はマスクをとり、その長い金髪をさらした。
その後、先ほどの金髪の女、そしてアンリミテッドアイが現れ、みんなに手を振る。すると、前から後ろへ伝播する様に、野太い歓声が上がった。
彼女は深く一礼した後、ヘルメットを頭から外す。そのさらさらした黒髪と、シュッとした顔つき。そして魅せられてしまったその笑顔。それは間違いなく、エレベーターで出会った女性。
俺は目を疑った。彼女はマイクを使わず、会場全体に響くようにして言った。
「まずはこの度、アンリミテッドアイのヒーローショーを見に来てくださり、誠にありがとうございます」
会場の不特定多数の子どもたちが、好き勝手な感想をくれた。そういった感想をくれる一人一人に、彼女はお辞儀をし、照れくさそうに指で鼻をかく。そんな具合に会場は笑顔と喝采で満たされていた。俺自身もまた、聞こえているかもわからないけど、精いっぱいの声で叫んだ。
「ありがとう、アンリミテッドアイ!」
正しくは一番ケ瀬愛理。言われた彼女は、こちらに気づいてくれたようで、静かにゆっくりとうなづく。そのあと見せた漫勉の笑みは、この世界のすべてを深く温かく包み込むようで。単刀直入に言えばこうだ。俺はどうやら、彼女に惚れてしまったらしい。
続
この作品に出てくる「アンリミテッドアイ」はフィクションです。作中でもフィクションです。




