09 勇者のまどろみ (6)
道中の俺の悩みは、民家の強奪まがいの占拠だけではなかった。それと同じくらい、いや、それ以上に、王女さまの俺への態度に悩まされた。
最初は食事に同席を求められるところから始まった。
それ自体は、まあ不自然ではない。こちらは勇者であり、討伐隊の中での実際の立場はさておき、討伐においては主戦力だ。王女さまと食事を共にしても、特におかしくはないだろう。お陰で王女さまとそのお付きの者たちが、占拠した村長宅でどれほど好き勝手していたかを目の当たりにしたわけなのだが。
しかしその食事がいつも、二人きりなのだ。
討伐隊の隊長とか、他にも相席してもおかしくない顔ぶれはいるはずなのに、なぜか常に二人きり。とても居心地が悪い。話が弾むわけもなく、機嫌よく王女さまが話し続けているのを、俺が適当に相づちを打つだけだ。適当に、と言っても、妙な話を振られてうっかり同意したりすることのないよう、それなりに注意を払い続けなくてはならないから、すごく疲れる。
はっきり言って、テントで携行食をかじってるほうがよほど気楽だ。なのになぜかそれは許されない。
王女さまの話す内容も、何かがかみ合わなくて、気持ち悪かった。
やたら容姿を褒めそやされるのだが、どう返してよいのかわからない。何しろ子どもの頃から馬鹿にされることはあっても、褒められたことなんて記憶にない。褒められたら礼を言うくらいの常識はあるものの、気持ち悪さは抜けない。
討伐が終わった後に勇者が賜る褒賞についても、王女さまはよく話題にした。
何でも、一代限りではあるが、領地を与えられるのだそうだ。領地と言っても要するに年金みたいなもので、死ぬまで領地収入が得られることになるというわけだ。
与えられるのは領地のみで、爵位はない。ただし勇者という称号そのものが、身分としては大公に相当する。つまり国王よりは下だが、公爵よりも上ということだ。
正直、そのあたりの話は俺にはあまり興味がなかった。もちろん、もらえるものはもらっておくが、そんなことよりフィミアのところに早く帰りたい。
そうした俺の違和感は、旅に出てひと月以上してからやっと原因がわかった。
あるとき王女さまは、こんなことを言ったのだ。
「勇者というから、ライナスに実際会ってみるまでは、容姿に難ありのむさ苦しい人だったらどうしようかと不安だったの。だけど、わたくしの夫となるにふさわしい見目の整ったかたで、本当に安心したわ」
「────は?」
いや、なんで俺が王女さまの夫となる前提になってるの?
故郷に婚約者がいるって、ちゃんと話してあったよね?
おかしな勘違いをされたままでは困るので、改めてフィミアのことを話しておく。
「いえ、俺には故郷に婚約者がいますので、そうしたお話はお受けすることができません」
「まあ、謙虚なかた。でも何度もお話ししたように、身分のことは問題になりませんのよ?」
別に謙虚でも何でもないし、身分の話なんかしてない。
あまりの話のかみ合わなさに、もどかしさを通り越して薄ら寒さを感じた。
「婚約者とは言っても、神殿でもう誓いは交わしてきたんですよ。これが結婚指輪です」
俺が手をかざして見せると、王女さまは眉をひそめた。
「でも結婚式はまだなのでしょう?」
「そうですね。だから対外的にはまだ婚約者なんです」
「でしたら大丈夫、何の問題もありませんことよ。そんなみすぼらしい指輪は、捨てておしまいになればよろしいわ」
何が大丈夫なのか、まったく意味がわからない。
フィミアの作ってくれた指輪をみすぼらしいなどとおとしめられて、普通なら頭にくるところなのだが、ここまで話が通じないともうどうしてよいのかわからない。俺はただ途方に暮れた。
「どうぞご安心なさって。歴代の勇者は、ひとりの例外もなく聖女と結ばれているのですもの。ライナスだけ例外などということには、決してならないでしょう。王家の名にかけて、わたくしが保証いたします」
俺は何を言われているんだろう。安心できる要素がかけらもない。
まるで勇者と聖女を結婚させることは、王家による決定事項だとでも言わんばかりだ。
王女さまと話していると、頭がおかしくなりそうだった。言質をとられては困るから、決して同意はできない。でも変に機嫌を損ねられても、討伐の支障になるばかりで面倒だ。
困り果てた俺は、何とか王女さまと距離をとることにした。
どうせこのかたは討伐に参加なんてするわけがないから、日中に移動するときは、最前線で露払いを務める俺とは顔を合わせる機会はない。朝晩の食事さえ共にするのを避ければよかった。
だから「食事をしながら討伐の打ち合わせをする」という口実で、一緒に露払いを務める前線の兵士たちのところに逃げ込んだ。さすがに完全に断るのも角が立つから、数日に一回くらいは王女さまと一緒に食事をした。だが夕食でなく朝食にすれば、一緒にいる時間はさほど長くない。顔を合わせる時間が短くなれば、俺の精神的な負担はかなり軽減された。
そんなふうに肉体疲労より圧倒的に精神疲労のほうが多い旅路ではあったが、一年近くかけて何とか魔王城にたどりついた。
魔王戦は、基本的には勇者との一騎打ちになる。他の人間が近づいても足手まといになるだけだからだ。魔王の住み処の少し手前に討伐隊を待機させ、ひとりで魔王戦に向かう。
魔王というのはなぜかとどめを刺すことのできない不死の存在のため、封印するしかない。だから十分に弱体化させた状態で、封印役が封印水晶を使用するというのが討伐手順だ。
神聖スキルにより魔王の持つスキルをすべて封じきってから、俺は封印の合図を出した。
そこで本来の手はずどおりなら、魔獣討伐係の兵士が王女さまの護衛として一緒にくるはずだった。なのになぜか、王女さまはたったひとりでやって来た。スキルはすべて封じてあるからあまり危険はないはずとはいえ、なぜそんな勝手なことをするのか。
何かとてもいやな予感がしてならなかったが、その予感は的中した。
戦闘の途中から俺の姿を模倣した魔王は、王女さまがひとりでこちらに歩み寄ってくるのを見て、俺と同じ顔に勝ち誇ったようにいやらしい笑みを浮かべた。そして王女さまに向かって、よくもまあ、しゃべることしゃべること。俺と同じくらい瀕死の状態のはずなのに、どうしてあんなに口が回るのか。
最終的に、王女さまは魔王に丸め込まれてしまった。
たぶん俺が徹頭徹尾、王女さまと結婚するつもりはないという態度を崩さなかったせいだと思う。彼女がほしかったのは「俺」じゃない。勇者の妻という名声と、勇者に与えられる褒賞を総取りしたかっただけだ。だから俺と同じ姿かたちで、彼女と結婚すると言う魔王のほうが、都合がよかったのだろう。
討伐隊に話を聞かれないよう彼女がひとりでやって来た時点で、もう俺の負けは確定していたのかもしれない。
でも、俺にはまだフィミアがいる。
賢く勇敢で、曲がったことの大嫌いな俺のフィー。
歴代の勇者たちは、ひとりの例外もなく故郷に大事なひとがいたが、討伐前に婚姻の誓いを交わしていたのは俺たちだけだった。きっと彼女は村の英雄にとどまらず、世界の英雄になる。
ほら、身体全体が白く暖かい光につつまれるのを感じる。封印解除のスキルだ。
フィーが来たんだ。
長く封印され続けてきた歴代の勇者たちも、俺と一緒に解放されようとしていた。しかしすでに肉体が朽ちている彼らは、解放されてももう魂しか残っていない。その魂は、ふわふわと天に還っていこうとしていた。どうか彼らが、大事なひとのもとに無事にたどり着けますように。
あなたたちの無念は、俺とフィミアが晴らすと約束しよう。
これからが本番だ。