33 救助隊 (1)
ただひたすらに救助が来るのを待ち続けるのは、不安で退屈な時間だ。
ヒュー博士は本棚の本を読んでいるけど、私にしてみると、目ぼしい本はすでに持ち去った後なので、読みたいものが何もない。それでも、何もしないよりはと思って、自国語で書かれた本を探して開いてみた。だけどやっぱり、つまらない。つまらなくて文字に集中できないから、さっぱり内容が頭に入ってこなかった。
じっくり本を読む気にはなれず、うろうろと本棚の前を歩き回ったり、テーブルの上で本を開いたと思ったら、すぐまた本棚に戻ったり。私の落ち着かない様子が気になったのか、博士が読んでいた本から顔を上げて声をかけてきた。
「退屈かい?」
「はい……」
正直にうなずいたものの、あまりにも子どもっぽくてきまりが悪い。
そんな私を見て、博士は小さく笑った。そして読んでいた本を閉じ、テーブルで腕組みをしながらひじをつく。
「君は、というか、君たちは、国を出るつもりはないのかね?」
私は博士の質問の意図を推し量りかね、首をかしげた。
「旅行って意味なら、今まさに出て来てますけど」
「いや。国外に移住、または亡命する意志はないのかって意味だね」
博士のように、ということだろうか。
そういう意味であれば、私は特に考えたことがない。たぶんライナスも一緒だ。彼が逃げ回っていたのはお姫さまからであって、国から逃げ出したいとまでは思っていなかっただろう。
父や博士のような事情であれば、国を出たくなる気持ちはわかる気がする。前の王さまは、確かにひどかった。あの王さまと直接関わりがあって振り回されたなら、国から逃げ出したくなるのも無理はない。でも私の場合は、ご領主さまの庇護下で暮らしていたから、直接的な被害は受けていないのだ。
両親と弟を亡くした事件の遠因は、王さまと言えるかもしれない。でも、直接的ではなかった。だからこの件に関しては、あの王さまに対する怒りよりも、その後ずっとお世話になり続けたご領主さまへの感謝の気持ちのほうが、私の中では大きい。
そんなわけで、私には亡命したいと思う動機が皆無なのだった。
私がそう説明すると、博士は「そうか」と微笑んだ。
「実はね、私がこの調査隊に参加したのは、ローデン家が正当な後継者を取り戻したと聞いたからなんだ」
「そうなんですか」
「うん。もし本人の意志に反して家に囚われているようなら、今度こそ逃亡を手助けしようと思ったんだよ。でも、どうやらその必要はなかったみたいだね」
「はい。でもお気遣い、ありがとうございます」
それで壮行会のときに、あんなに見られていたのか。
博士の手助けは特に必要ないけれども、その気持ちはうれしかった。
そのまま私と博士は、雑談に花を咲かせた。
博士は子ども時代の思い出や、国を出た後、どのように暮らしてきたのかを話してくれた。私からは、故郷でどんな暮らしをしていたのかを話す。
ヒュー博士の話は、どこか少しかわいそうな話が多い。
たまに兄と弟がいたずらをすると、親はろくに確認もせずに博士のしわざだと断じて叱りつけていたとか、そんな話ばかりだ。子どもの頃にそんな経験を何度もしたら、やさぐれた気持ちになってしまうのもよくわかる。
でも博士は、それをすべて笑い話にしてしまう。
のろし代わりの「解除」魔法を使う合間に、博士とおしゃべりを続けていたら、思いのほか時間の経つのが早かった。
でも、やっぱりライナスは来ない。
これはもう、自分たちで脱出を図るしかないと、私は覚悟を決めつつあった。
そのためには、なるべくしっかり睡眠をとって体を休め、体力を回復しておく必要がある。ヒュー博士には昼寝をしてもらい、なるべく夜も早く寝よう。交代で寝るならなおのこと、先に寝るほうは早く休まないといけない。
そんなふうに色々と頭の中で算段をつけていると、突然、外から大型魔獣の咆哮が聞こえてきて、飛び上がるほど驚いた。入り口の扉が振動するほどの、大音響だ。しかも、明らかに一体ではなく複数のものだった。
昼寝をしてもらっていたヒュー博士も、音に目が覚めたのか、跳ね起きた。
二人とも、入り口の扉を凝視する。
「何が起きた?」
「わかりません」
今のところ、異常はまだ音だけだ。でも、こわい。
咆哮は、一回だけではなかった。時間をおいて、何度か聞こえる。
やがて、外の扉に何か重い物がぶつかるような、にぶい音がした。続いてドーンという重低音が響き、入り口の扉もビリビリと音を立てて振動する。その重低音が数回、繰り返し聞こえた。やがて物音がしなくなり、もとの静けさが戻ってきた。
落ち着かない気持ちでヒュー博士を振り返ると、目が合う。博士はチラリと入り口のほうを見やってから、おもむろに口を開いた。
「様子を確認してこよう」
「はい」
手早く荷物をまとめ、上着をまとって、二人で図書室を出た。博士は足早にスタスタと中庭に通じる扉まで歩いて行ってしまう。追いかけようとしたら、振り向いて片手で押しとどめられた。
「念のため、少し離れていてくれたまえ。ついでに後ろを警戒しておいてくれるかな」
「わかりました」
もし何かあればすぐに図書室に駆け込めるよう身構えて、背後にも気を配りながら博士を見守る。
ヒュー博士は中庭に通じる扉に手をかけて、少しだけ開いて外の様子をうかがった。十分に確認してから、もう少し開く。上半身だけ外に乗り出して中庭の様子を確認した後、博士は私を振り向いた。
「大丈夫そうだ。おいで」
手招きに応じて、私も中庭に向かう。
扉の前には、以前はなかったはずの太い枝が落ちていた。さっきの音は、これが扉にぶつかった音だったのだろうか。扉が内開きでよかった。外開きだったら、開かなくなっていただろう。
中庭からは、トラ型の大型魔獣が姿を消していた。私たち以外、誰もいない。あの魔獣はどこへ行ってしまったのだろうかと、きょろきょろ辺りを見回す。すると、中庭には誰もいないのに、遠くからかすかに人の話し声が聞こえてくるではないか。それも数人いる。
私はあわてて、中庭の奥へと走った。
茂みをかき分け、顔をのぞかせる。中庭の端から下は切り立った崖になっていて、その崖下に馬に乗った三人連れの姿が見えた。果たして先頭にいるのは、私が待ち望んでいた人の姿だった。
私は声を張り上げて名を呼ぶ。
「ライ!」
 




