32 救難信号
順番に仮眠をとろうと言っていたのに、ヒュー博士は私が自分で目を覚ますまで寝かせておいてくれた。おかげで、たっぷり六時間も睡眠をとってしまった。仮眠とはとても呼べない。
私と交代で、博士が眠る。博士の睡眠時間は三時間。こちらは正真正銘の仮眠だった。
そして相変わらず、ライナスの姿はない。
「おはよう」
「おはようございます」
ヒュー博士は大きくあくびをしながら伸びをして起き上がり、あたりを見回した。
「やっぱり、まだか」
「はい」
まだ、というのは、もちろんライナスのことだ。博士はひげの伸びてきたあごをなでながら、ため息をついた。
「これはもう、想定が間違ってると考えたほうがよさそうだな」
「そうですね……」
ひと晩も経って、ライナスが私たちの不在に気づいていないはずがない。そして気づいているなら、私のところに転移して来ない理由がない。にもかかわらず、姿を現さないということは、ここには転移ができない可能性が高いのではないか。
もしそうなら、この場所でただじっと待ち続けていても、待っているのは衰弱死だけのような気がする。
私がぐるぐると考え込んでいると、ヒュー博士が声をかけてきた。
「まずは、食事にしようか」
「はい」
バスケットにたっぷり詰め込まれた食事は、まだ半分以上残っている。けれども、現状から考えて、なるべく節約して長く持たせたほうがよいだろう。日持ちのする焼き菓子は、できるだけ残しておくべきだ。
「何食分に分けたらいいんでしょうね」
私の疑問に、博士は「そうだねえ……」と言いながらバスケットの中身をのぞき込んだ。キッシュは昨日のうちに全部食べてしまった。残っているのは、ミートパイ、燻製肉、焼き菓子、チーズ。普通に食べたら、二人で二食分くらい。昨日食べた分を加えると、いかにたっぷり用意してくれたかがよくわかる。おかげでとても助かっている。
博士は少しだけ考え込んでから、「よし」とゆっくりうなずいた。
「四回分に分けよう」
「はい」
「明日の朝になっても状況が変わらなければ、ここを出る」
「わかりました」
ミートパイとチーズを少々ずつ分ける。量は物足りないけど、おいしい。そして水だけはたっぷりあった。ヒュー博士の仮眠中に、水魔法を使って地道に革袋を満たしておいたのだ。
食事の後、博士はあたりを見回しながらつぶやいた。
「何かこう、のろしのようなものが上げられるといいんだけどなあ」
「のろしですか」
「うん。転移が使えないなら、せめて居場所だけでも知らせないと」
「確かに」
図書室だから、火を付けられるものは大量に置かれている。でも、こんな閉じた場所で燃やしたら、合図になるほど外に煙りが流れ出る前に、自分たちが窒息死しそうだ。そもそも外の風向きや風量もわからないから、煙がきれいに上空に上がる保証もない。
「火の攻撃魔法でも使えれば、花火代わりになりそうだけど。僕は補助魔法しか使えないんだよね」
「私の火魔法は、これですから……」
指先に、ロウソクの火くらいの大きさの炎をポッと出してみせると、博士は吹き出した。
「うん、火起こしには便利そうだけど、のろしには使えないね」
「そうなんですよね」
「それにしても、回復魔法と補助魔法が使える上に、属性魔法まで覚えたってのは、すごいね」
「一応、全部の属性を覚えたんですよ。でも、属性魔法は適正ないみたいです」
「十分すごいよ。僕は補助魔法しか使えない」
たぶん威力や練度を別にして、使える魔法の種類だけなら、ヒュー博士よりも私のほうが覚えているものの数は多い。自分に使える魔法を、ひとつひとつ頭の中で挙げてみた。
「封印や封印解除のスキルみたいに、派手に発動する魔法があればいいんだけど」
自分で言いながら、思いついてしまった。思わず「あ」と上げた声に、ヒュー博士は眉を上げて「どうしたね」と尋ねる。
「試しに『解除』の魔法を使ってみます」
ヒュー博士に「解除」をかける。淡く白い光の柱が博士を包み込んだ。博士は興味深そうに魔法を眺めている。光の柱が消えてから、博士は私のほうを振り向いて要望を口にした。
「もう一度かけてみてくれるかね」
「はい」
言われたとおり、もう一度かける。ヒュー博士は天井を見上げて、うなずいた。
「これは、使えるかもしれない」
「だといいんですけど」
「この魔法は、自分自身に対しても使えるのかい?」
「使えますよ」
私の返事に、博士は「ふむ」とうなずいた。
「ひとつ試してみよう」
「何をですか?」
「君はここで、ゆっくり十を数えるごとに、十回まで魔法を使ってみてくれたまえ。僕は外に出て、光の柱がどこまで高く上がっているのか確認してこよう」
私は博士の提案にギョッとした。内容自体はとても合理的だ。でも、ひとりで外に出るなんて。危険だからここに立てこもっているというのに。
私が眉をひそめて反対しようと口を開く前に、博士は手を振りながら入り口の扉のほうへ歩いて行ってしまった。
「大丈夫だよ。現役を退いたとはいえ、これでも元は一級の魔獣ハンターだったんだから」
博士は扉の取っ手に手をかけて、私へ振り向いた。
「いいかい、扉が閉まったら数え始めるんだよ」
そう言うと、博士は私に何も言わせずに、するりと扉を抜けて図書室から出て行ってしまう。扉が小さく音を立てて閉まったのが聞こえ、私はあわてて数を数え始めた。
指示されたとおり、十まで数えるごとに「解除」を使う。
魔法を使ったときの光の柱は、まっすぐ天井まで届いていた。今までは、当たり前のようにそこで途切れていると思い込んでいたけれども、実際のところどうなんだろう。
ヒュー博士は、八回目の「解除」を使った直後に戻ってきた。見たところ、けがをした様子はどこにもなくて、ホッとする。
博士は私と目が合うと、満足そうに口の端を引き上げて、結果を教えてくれた。
「のろし代わりに使えるね」
光の柱は、天高くまでというほどではないものの、天井を突き抜けて空までまっすぐに見えていたそうだ。だから遠くからでも十分に見えるはずだと、博士は言う。
この検証結果を受けて、起きている間、私は三十分ごとに三回ずつ「解除」を使い続けることにした。ライナスが気づいてくれるといいんだけど。もし気づいてすぐに魔王城に向かってくれれば、夕方までには到着するはずだ。
明日の朝までにライナスが来なければ、明日の朝、最後の食事をとってから、決死の覚悟で博士と一緒に出口を目指すことになった。
こうして私と博士の、魔王城での二日目が始まった。




