28 ヒュー博士の過去 (1)
図書室の本棚は、あちこち本が抜き取られて、歯抜けになっている。ライナスと私が、目ぼしい本をあらかた持ち帰ってしまったからだ。
そんな本棚でも、ヒュー博士には興味深いらしい。割と時間をかけて、端から端まで眺めていた。
一方の私は、前回、この部屋を数日かけて探索し尽くしている。挙げ句に目ぼしい本を略奪して行ったくらいだから、もう見るべきものなど何も残っていなかった。
それでも博士が本棚を見て回っている間は、邪魔をしないよう静かにしていた。
だけど、ライナスはなかなか現れない。
何もすることがなく暇で、そして不安で、次第に落ち着かない気持ちになってきた。
「ヒュー博士」
「何かな?」
博士が本棚から離れたのを見計らって、声をかけてみる。
「博士の以前の名は、ヒューバート・ローデンでした?」
私の質問に、博士は驚くでもなく、ただ眉を上げてみせただけだった。
「ウィリアムから聞いたか」
「いえ、父からは聞いてません。というか、つい最近まで父の本当の名がウィリアムとは知りませんでした」
ヒュー博士は「そうなのか」と意外そうだ。
「ウィリアムは、いったいどこに行方をくらましていたのかね?」
「ライナスのお父さまに、かくまっていただいたようです」
「ああ、なるほど。そういう縁だったのか」
それからヒュー博士に問われるがままに、私は故郷で暮らしていた頃のことを話した。村外れの家で、薬屋をしていたこと。三歳下の弟がいたこと。ライナスとは子ども時代から一緒に育ったこと。
続いて、ライナスが勇者に選ばれたことや、その後のいきさつも。
ライナスの「姿写し」のスキルについて伏せたまま話したので、一部は割愛した。具体的には、魔王城から戻る途中、王都で伯父さまと遭遇した部分だ。
それにしても、ヒュー博士のことを聞こうとしていたはずなのに、どうして自分の話をしているんだろう。何だか不思議な気持ちになりながら、魔王を封印したところまで話した。
今度こそヒュー博士の番だ。
「博士は、どうして国を出たんですか?」
「うーん。まあ、簡単に言うと、嫌になったからかな」
簡単すぎて、全然わからない。
「何が嫌になったんですか?」
「何もかもがだよ」
やっぱりわからない。私が眉尻を下げて、首をかしげていると、ヒュー博士は小さく笑った。
「具体的に話すと、長くなるけど。どこから聞きたい?」
「じゃあ、最初の最初から。どうせ時間は、たっぷりありますから」
博士は「面白い話でも何でもないよ」と前置きをして、話し始めた。
* * *
知ってのとおり、僕はローデン公爵家の次男として生まれた。
秀才の兄と、天才の弟にはさまれて、何の才もない次男坊には何も期待されていなかったから、よくも悪くも自由に育ったよ。
え? 補助魔法が得意だろうって?
そんなものは、ローデン家にあっては何の意味も持たないのさ。あの家では、回復魔法がすべてなんだ。回復魔法の適性がなければ、家に居場所なんてありやしない。
その点、兄さんはすごいよ。
適性が乏しいのに、努力だけであそこまで使いこなせるようになったんだから。あれはとても真似できるものじゃない。少なくとも、僕には無理だね。やっぱり、自分に適性のあるものを学ぶほうが、楽だし面白い。
そんなわけで、跡継ぎ候補からは早々に脱落していたんだ。
そもそも、ウィリアムの才能が子どもの頃から突出しすぎてて、張り合うのもばかばかしかったからねえ。にもかかわらず、兄さんは努力し続けたんだから、本当にすごいと思う。
脱落したからと言って、別に親から冷遇されたとか、そういうことはないよ。ただ単に、期待されなかっただけだ。ローデンの者としては生きていけない子だから、好きなようにさせようって感じかな。ただ、やっぱり、何の期待もしてくれない親とは、どうしたってぎくしゃくしちゃうよね。
それでも、兄弟の仲は悪くなかったよ。
兄弟それぞれ顔はあまり似てないんだけど、僕とウィリアムは声がよく似ててね。声だけ聞くと、聞き分けられないらしくて、親でもよく間違えてたんだ。でも性格の違いが話し方にも出るから、兄さんと同じで真面目なウィリアムは、僕とは話し方が全然違う、と思われてた。
ところがある日、珍しくあいつが冗談で「ふざけんじゃねーよ、ばかやろう」みたいな品のない言葉遣いをしたことがあったんだけどさ。
声を聞いて飛んで来た母から「なんて言葉遣いですか!」って叱られたのは、僕だった。
あはは。ひどいだろ?
もちろん、僕じゃないって抗議したよ。だけど「ウィリアムがそんな言葉遣いをするわけないでしょ」って、さらに叱られただけだった。あわててウィリアムが「本当に僕です。ごめんなさい」って援護してくれたんだけど、これがまた事態を悪化させただけでさあ。「弟にこんな嘘までつかせるとは、なんてことですか」って、ますます怒られた。
本当に僕じゃないのに。
え、なんでそこで君が謝るの。
ははは、そういうところは親子だねえ。ウィリアムとそっくりだ。
あのときも、ウィリアムが「兄さん、ごめん。僕のせいで怒られて、ごめん」って半泣きで謝ってくれたんだよね。それを見て、やっと母も本当にウィリアムだったと理解したらしい。ものすごくきまり悪そうな顔で、目を泳がせながら「あ、あら、ごめんなさいね」って謝ってくれたものだ。
兄さんにこの話をして愚痴をこぼしたら、大爆笑さ。「それが『日頃の行い』ってことだ」ってね。それを言われちゃうと、僕のほうも返す言葉がないわけよ。あの当時は腹も立ったし、ふてくされもしたけど、時が過ぎれば笑い話でしかない話だ。
この歳になって、やっと親の気持ちもわかるようになったかな。いつだって行儀よく聞き分けのいい下の息子と、やんちゃで目を離すと何をしでかすかわからない真ん中の息子と、どっちが信頼できるかって言ったら、そりゃあ決まってるよねえ。
ちょっと脱線したけど、一事が万事、これが僕のあの家での立ち位置だった。
親に悪気がなかったのは、わかってるんだ。回復魔法の適性重視なのも、仕方なかったと理解してる。国の中での家の役割を考えたら、そうせざるを得ないからね。ただ、理解できたからって、心の底からきちんと納得できるかというと、やっぱり子どもの頃は無理だった。
割り切れるようになったのは、大人になってからのことだよ。




