25 二度目の最果ての村 (5)
昼食もそこそこに、すぐに午後の作業に入る。北側の塀は南側より長いから、のんびりしていると作業が一日では終わらなくなってしまうのだ。
きちんとした食事をする時間が惜しかったので、宿屋の主人に頼んでみた。
「外で食べられる軽食を用意してもらうことは、できますか?」
「もちろん、できますよ」
「じゃあ、二人分お願いします。ゆっくり食べてると、今日中に終われないかもしれなくて……」
「ああ、そういうことですか。わかりました、出来上がったらお届けしますよ」
「ありがとうございます」
宿屋の主人は、快く引き受けてくれた。
届けてくれたのは、宿屋の奥さんだ。
「お食事が用意できたので、持ってきました」
「あ。ありがとうございます」
「いえいえ、ありがたいのはこちらですよ。こんな辺境に、結界付与のできる人が来てくれるなんてねえ」
こんな辺境でこそ、結界は真価を発揮するだろうに。
でも、結界が日常的に必要となるほど危険な土地には、結界付与魔法の使い手はなかなか寄りつかないものらしい。前回泊まったときに、せめて門にだけでも付与しておけばよかった、と少し後悔した。だけどあのときは、こんなふうに魔獣がちょくちょく村の中まで侵入するようになるとは思わなかったのだ。
宿屋の奥さんが届けてくれた食事は、少し大きめのバスケットに入れられていた。
ミートパイやキッシュなど、数種類の料理のほか、焼き菓子やナッツ、それにチーズも入っている。果実水の入った革袋と、木製のカップも入れられていた。食堂ホールで食べるよりも豪華な食事のような気がする。
量もたっぷりで、とてもヒュー博士と二人分とは思えない。というか、もはや軽食ではない。このままテーブルに並べたら、立派に晩餐と呼べる代物だ。
せっかくのすばらしい食事だったけど、結局、食べる暇がなかった。
ヒュー博士も私も、ほとんど休憩時間をとらないまま作業を強行してしまったから。バスケットの中身は、ほとんど減っていない。焼き菓子を少々つまんだくらいだ。
時間を惜しんでがんばった甲斐あって、何とか日が暮れる前に、村を囲む塀と門すべての結界付与を終わらせることができた。達成感と開放感に、両手を天に向かって突き上げる。
「終わったー!」
「お疲れさま」
ヒュー博士は笑いながらねぎらいの声をかけてくれ、そのまま最終確認に行ってしまった。私は宿屋に戻る前に、ちょっと馬の様子を見に行くことにした。ご機嫌取り用のおやつが手に入ったからでもある。バスケットの中の焼き菓子には、私の馬が大好きな、ハチミツで練って焼いたものも入っていた。小麦は馬によくないけど、これはオーツ麦の菓子だから、馬に与えても大丈夫。
もうこれは、馬のところに遊びに行けと言っているようなものだ。
このおやつは久しぶりだから、きっと大喜びするだろうな。バスケットを抱え、うきうきと厩舎に向かう。
厩舎の入り口から中をのぞき込んだとたんに、吹き出しそうになった。
だって私の馬が、身を乗り出さんばかりにして、馬房の柵から首を突き出しているんだもの。他の馬は、一頭たりともそんなことはしていないのに。匂いをかぎつけちゃったんだなあ。
前回宿泊したときにはガラガラだった厩舎は、今回は隊員たちの馬で埋まっている。
私の顔を見ると、馬は首を上下に振った。これは、甘えて何かを催促するときの動作だ。今の場合だと、明らかにおやつをねだっている。遊んでほしいときなんかにも、こうやって首を振る。
近づいていくと、カリカリと前足で地面をかくような動作をするのを見て、ついに私は吹き出してしまった。かわいいなあ、もう。そわそわしすぎ。この食いしん坊め。
露骨にバスケットに向かって首をのばしてくるので、中身をひっくり返されたりしないよう、届かない位置でバスケットを開けて、焼き菓子を取り出す。
「ほら、おまたせ」
バスケットを開けるのを見て、期待に胸を膨らませているのか、前足で地面をかく動作を繰り返している。でもそわそわしすぎて、もはやつま先を地面につけずに宙をかいている始末だ。おかしくてたまらない。笑いながら焼き菓子を差し出すと、鼻息も荒くかじりついた。「もっと、もっと」とせがむけど、甘いおやつの食べ過ぎはよくないから、三個までと決めている。
三個目の焼き菓子を食べさせた後、「もう、おしまい」と言いながら馬の目の前でバスケットの蓋を閉じた。馬は満足そうにパタパタと耳を前後に動かしながら、少しだけ物欲しそうにバスケットのほうへ首を伸ばす。でも「おしまいよ」と繰り返すと、それ以上はねだろうとしなかった。おりこうだ。
するとそのとき、視界の端で何かが小さくキラリと光った。何だろう。
「また明日ね」
馬に声をかけてから、何が光っているのか探しに行く。
光っているものが見えたのは、私が厩舎に入ったのとは反対側の出入り口の外側だった。扉が開け放してあって、外から光が差し込んでいる。
外に出てみると、そこにはヒイラギの茂みがあるだけだった。
もちろん、トゲだらけの葉がただ生い茂っているだけだ。特に何かが光っている様子はない。
茂みの葉に露でもついていて、光を反射したのだろうか。でも、どう見ても茂みは乾いていた。それも当然だ。もう午後も遅い時間だから朝露が残っているわけがないし、一日中よく晴れていて、雨なんて降らなかった。
不審に思いながら、ヒイラギの茂みの周りをうろうろする。
そこへ、結界の確認をして回っている途中のヒュー博士がやってきた。
「捜し物かな?」
「何か光ったものが見えた気がして見に来たんですけど、何も見つかりませんでした」
「そうか。残念だったね」
ヒュー博士は気の毒そうに微笑んで手を振り、確認作業に戻ろうとした。そのとき、また足もとでチラリと何かが光った。思わず私は「あ」と声をこぼす。その声に、再びヒュー博士は振り向いた。
私は腰を落として、ヒイラギの茂みの下をのぞき込む。するとそこには、まるで隠すようにして薄い円盤状のガラス板のようなものが置かれていた。何だろう。
でも、素手で触るのはためらわれた。というのも、そのガラス板のようなものは、うっすらと黒みがかった紫色をしていたからだ。そう、あの魔王と同じ色。不吉すぎる。それに、茂みの下に素手を突っ込んだら、ヒイラギの葉のトゲでけがをしそうだ。だからお行儀が悪いけれども、つま先で茂みの下から蹴り出した。
ところがその瞬間、なんと円盤がゆっくりと明滅し始めたではないか。ギョッとする私の足もとに、魔法陣が現れる。まるで、指輪や「裁きの書」を使って転移をするときのように。何これ。
小さな魔法陣が大きさを増していき、直径が私の身長と同じくらいにまで広がったところで、動きをとめた。
呆然としている私の手をヒュー博士がつかみ、ぐいっと引いた。
「それから離れなさい!」
ヒュー博士の焦ったような声に、私はハッと我に返った。魔法陣から出ようと、あわててヒュー博士のほうに走り寄る。けれども魔法陣は、私が動くのに合わせて移動した。逃げようとしても、逃げられない。
ヒュー博士は私の手を握ったまま、元凶の円盤を、勢いをつけてかかとで踏みつけた。パキッと硬質な音がして円盤が粉々になる。それと同時に、粉々になった破片からは色が抜け、完全に透明になった。でも魔法陣は消えない。
追い詰められた私が小走りにうろうろしているうちに、魔法陣の光が弱まり、私はどこかへ転移させられてしまった。ヒュー博士と一緒に。




