06 勇者のまどろみ (3)
ひとりぼっちになったフィミアを、両親は引き取る用意があったようだ。
ただし引き取る前に本人の意思を確認するため、父は彼女にこう確認した。
「きみを養女に迎えたい、という申し出があったとしたら、どうしたい?」
フィミアは、できれば養子の話は遠慮して、薬師として彼女の両親の営んでいた薬屋を続けたい、と答えたそうだ。その意思を受けて、両親は彼女を養女にするのは諦めた。
その代わり、なるべく目立たない形で支援することにした。
フィミアの家は、村外れにある。
そんな場所に、まだ成人もしていないような少女がひとりで暮らすのは心配だ。せめて店を開けている昼の間だけでも誰か手伝いを出そう、という話を両親がしていたのを聞いて、俺は自らその役を買って出た。
「俺が行く」
しかし、両親も兄も渋い顔をした。焦った俺は、言いつのる。
「店の手伝いをしたこともあるから、勝手はわかってるよ」
「そこの心配はしていないよ。ただね、手伝いと言っても用心棒代わりでもあるから────」
父は最後まで言わずに言葉をにごしたが、言いたいことは伝わった。
俺では用心棒にならない。そう言いたいのだ。
実際そのとおりなので、ぐうの音も出ない。でも、諦めたくない。他のやつにその役を譲りたくないのだ。だから食い下がった。
「剣の稽古ももっと頑張るから」
必死な俺を見て、困ったように兄はため息をついた。
「お前は他の人間の何倍も頑張らないと、人並みにさえならないぞ。それでもやるのか?」
「やる」
父はこの件を兄に預けることにしたらしい。軽く眉を上げて俺の顔をじっと見てから、父はこう言った。
「そうか。なら、やってみなさい」
とはいえ、少なくとも当面俺は用心棒としては役に立たない。
俺が満足に剣を振るえるようになるまでの間は、護衛もできる使用人がお遣いと称して、うちから頻繁にフィミアの家まで見回りに来てくれることになった。
兄は翌日からさっそく稽古をつけてくれた。けど、剣は使わない。兄は、稽古を始める前に俺に質問をした。
「ライはよく転ぶけど、原因に心当たりはある?」
「うん。急に足が動かなくなることがあるからだよ」
「どういうときに動かなくなる?」
「誰かにムカついたとき」
俺の返事に、兄は「なんだ、ちゃんとわかってるじゃないか」と満足そうな笑みを浮かべた。
「まずそれをどうにかしよう。それだけで転ばなくなるんだから、やってみる価値は十分あるだろ?」
「でも、ムカつくものはムカつく」
ふてくされた顔で俺がそう言うと、兄は「誰だってそうさ」と声を上げて笑った。
カッとなったところなんて見たこともない兄さんでもそうなのか、と少し意外に思った。
「だけど、みんなそれを抑える方法を身につけて、大人になっていくんだよ。ライにだってできるはずだよ」
「どうすればいいの?」
そうして兄は、怒りを抑える方法を教えてくれた。
腹の立つ元凶からは、さっさと離れること。
ムカついたら、ゆっくり深呼吸すること。
頭に来たときは、何か言葉を口に出す前に十から一までカウントダウンすること。
それまで俺は、馬鹿にされたりからかわれたりしたときに相手から逃げたら負けだと思っていた。でも兄と話していたら、そうじゃないということに気がついた。
馬鹿にしてきた相手を無視してその場を離れても、別にそれは「逃げ」じゃない。むしろ無視せず相手に突っかかっていくことこそ、向こうの思うつぼだ。なのにこれまでの俺は、相手の仕掛けた罠に自ら進んで頭から突っ込んで行くようなあほうだった。
そう理解した後に自分の行いを振り返ってみると、もう言葉にできないほど恥ずかしい。もっと早く教えてほしかった。恨みがましい目で兄をにらむと、兄は苦笑した。
「何度も言ったよ。でも、そのときはライが聞く耳を持たなかったんじゃないか」
そうだろうか。そうかもしれない。きっと自分が都合よく忘れているだけで、兄の言うとおりなのだろう。
次に兄は、俺はもっと筋力をつけるべきだと言った。
「でも俺、力は強いよ」
「知ってる。でも理由はわからないけど、ライは他の人とは違うんだ。他の人と比べて力が強かったとしても、実際ライは手足が重く感じてるわけだろ?」
「うん」
「だから思い通りに身体を動かすためには、もっと筋力が必要なんだと思うよ」
兄の言うことは、確かに筋が通っていた。
「じゃあ、どうしたらもっと筋力がつく?」
「よし。そうこなくちゃ」
そして兄は、効率のよい鍛錬のやり方を教えてくれた。
週に二、三回は剣を使った稽古もつけてくれるが、それよりもまず筋力をつけるのが先だと言って、基礎的な鍛錬に時間を費やすことが多かった。
兄は、鍛錬に関しては少しも容赦がなかった。でも俺は生来の負けず嫌いで食らいついた。すると鍛錬を始めて三か月ほどで、自分でも効果を感じられるようになってきた。わずかばかりではあったが、身体を動かすのが軽くなったのだ。
一年も経つ頃には、見た目にもはっきりと体型が変わってきた。
俺の筋力に関する兄の見立ては、正しかった。
体つきが変わるくらいに筋力がつくと、動きもだいぶマシになった。
それでも人並みにはまだ少し劣るのだけど、動きが鈍い分はある程度なら力わざで補うことができる。それに俺は、頭に血をのぼらせさえしなければ、相手の動きを読むのに長けていた。相手の動きを先読みできれば、自分の遅さと相殺できる。そして力押しなら、俺が負けることはない。
この頃になると、兄からも用心棒として十分な能力がついたとお墨付きがもらえた。
ムカつくやつを無視することにしたら、腹を立てる頻度も格段に減った。
そうすると走っても転ばなくなった。
それでもしつこいやつはいたけど、ある方法を発見したら腹も立たなくなった。兄に教わった方法じゃなくて、自分で思いついた方法だ。もしその場にフィミアがいたら何と言うだろうかと想像してみるのだ。きっと彼女なら「くだらない」「馬鹿馬鹿しい」「相手にするだけ時間の無駄」と、うんざりした顔でばっさり切り捨てるだろう。
その様子がありありと頭の中に浮かぶから、腹が立つどころか相手が哀れで、笑えてくる。
やつらはいつも、俺が彼女と一緒にいるとよけいに絡んでくる。それがどういう意味なのか、いちいち腹を立てなくなったらわかってしまった。うん、実に哀れだ。でも、やつらにわざわざそんなことを教えてやったりはしない。