36 新たな旅路
結局、ライナスと私はそのまま伯父さまの屋敷で暮らすことになった。
ローデン家を継ぐ者として必要な知識を伯父さまから学ぶ日々だ。もっとも新しく学ぶことは、それほど多くはなかった。なぜならローデン家の家業と言っても、結局は薬師だからだ。「『村の薬師』だったのが『国の薬師』になるだけだよ」と聞いて、なるほどと思った。
ただし村にいたときと違い、自分で診察したり調薬したりすることはそれほどない。自分自身で薬師としての仕事をするよりは、薬師ギルドを統括する仕事のほうが圧倒的に多かった。
薬師にギルドがあることは、伯父さまから教わって初めて知った。父からギルドの話なんて聞いたことがなかったから。
当然ながら父はギルドに所属していない、もぐりの薬師だ。元はともかく、少なくとも名前を変えた後は実質もぐりだった。もぐりの薬師なんておおっぴらに店を構えることなどできないのが普通なのだが、ご領主さまの後ろ盾があったおかげで、父がもぐりだと疑う者なんて村にはひとりもいなかった。
ライナスと私の結婚は、貴族たちからも民衆からもたいした混乱なく受け入れられた。
もともと王太子さまが「勇者と聖女が結婚する」と広めていたおかげだ。それに加えて、これまで勇者を魔王と取り違えて封印し続けてきた歴史についても公表した。
ただし今回お姫さまが魔王と一緒に封印されていることだけは、伏せている。
やはり民衆の間では「魔王に騙されてしまった気の毒なお姫さま」との見方が多いようだ。
お姫さまが封印されてしまった理由については、結局わからずじまいだ。
神殿で「共に生きること」を誓ってしまった後だったからだとか、鑑定板に表示されたお姫さまの名前が真っ赤だったせいだとか、私が使った浄化魔法が上級だったせいだとか、いろいろ仮説は立てられたけれども検証する方法がない。
五十年後にまだ私が生きていたら封印解除を試してみようかと申し出てみたが、王太子さまは首を横に振ってこうおっしゃった。
「これがあの子への罰なんだと思う。勇者殿にしたことが自分に返ってきただけのことだからね」
まあ、仮に無事に封印から助け出せたとしてもそのときお姫さまは六十八才。本人の意識の上では、花も恥じらう十八才からいきなり老人になるわけで、救われた気持ちには全然なれないだろう。
いずれにせよ、封印し直したときにはまたお姫さまも封印されそうな気がしている。
確証がないので誰にも話していないけど、あの封印の瞬間、魔王が紫色の腕をお姫さまのほうに伸ばして抱き込んだのを確かに見た気がするのだ。
きっと魔王討伐で魔王の手を取ったときに、お姫さまの運命は決まってしまったのではないかと私は思う。
余談だけど、お姫さまは婚姻のときに「死が二人を分かつまで共に生きる」と誓ったそうだ。この言葉は、婚姻の誓いとしては最も一般的だ。
でもライナスと私は違う。「死が二人を分かつまで共に助け合う」と誓った。
私がライナスを助けに行った経緯が公表されたことにより、神殿での婚礼で「助け合う」と誓う新郎新婦が増えてきた、と大神殿の神官さまから伺った。
それとともに、これまで完全にすたれてしまっていた「祝福された結婚指輪」が一躍脚光を浴びることにもなった。
ライナスと私が手作りのビーズ細工の指輪を身につけていると知れ渡ったおかげで、庶民の間では指輪を手作りすることが流行っているらしい。一方で貴族向けには、ガラス細工や陶器製の指輪が作られるようになった。ビーズ細工のように壊れやすい素材でも祝福されれば壊れなくなるなら、ガラスや陶器でもよいだろうということで、腕に覚えのある職人たちがこぞって工夫を凝らしたものを作り出し始めたのだ。
祝福された結婚指輪を交換する夫婦が増えたことで、祝福を得るためにタペストリーの需要が跳ね上がった。もちろん自作すればよい話なのだが、いかんせんおそろしく手間暇のかかる代物だ。富裕層は大金を出してでも出来合いのものを入手したがる。
作成に手間暇はかかるが、製作材料はすべて庶民にも気軽に手を出せる程度のものばかりだ。だから庶民にとってタペストリー製作はよい副業となった。気候の厳しい土地の民でも安定した収入を得られるようになりそうだ、と王太子さまは喜んでいらした。
指輪の祝福を使ってしまっても、再度タペストリーを奉納すればまた祝福が得られることも、王太子さまは積極的に宣伝した。富裕層に指輪の祝福を使わせることで、タペストリー需要を増やす狙いだ。
すっかりいい感じに政治利用されているけれども、まったく不快には思わない。こんなことで生活に困る人が少しでも減らせるのなら、どんどん利用していただきたい。
王さまは、魔王を封印したあの日のひと月ほど後に崩御した。
病気が病気なので、安らかな死とはいかなかった。亡くなるまでの最後の数週間は、かなり苦しまれたと思う。不思議なことにライナスと私が天使に扮して会ったとき以降、治療に関して一切わがままをおっしゃることがなくなったそうだ。最初からそうしていれば、もっと長生きできただろうに。
これにより、王太子さまが新国王にご即位なさった。
ただし戴冠式は、ご即位から半年ほど後に予定されている。
愛妾たちとその一派は、もともと実家に帰された時点で王宮内での影響力を失いつつあったけれども、新国王さまのご即位とともに影響力を完全に失った。
それどころか新国王さまは過去に遡って罪を暴き、被害者があれば相応の償いをさせているので、影響力だけでなく財産までもを急速に失いつつあるらしい。国外に逃れようとする者もいたようだが、裁きが終わるまでは王宮から管財人が派遣され、財産は生活費をのぞいてすべて差し押さえられているため、身ひとつでの逃亡となる。楽な暮らしはできないだろう。
ライナスと私は、ふた月ほど伯父さまに付きっきりでローデン家のあれこれを教わってきた。
やっと何とか、だいたいのところを把握できたと思う。
そして今、私たちは再び旅支度をしている。
魔王は無事に封印できたものの、魔王城に残してきたものが気になるので一度確認してきたい、とライナスが主張したためだ。確かに私も、それは気になる。
伯父さまに計画をご報告すると、「一緒に暮らせるようになったばかりなのに」としょんぼりした顔をなさった。そう言われると申し訳なくなって、「旅の途中でも『裁きの書』と祝福された指輪を組み合わせればちょくちょく顔を見せに戻れますよ」と説得した。
新国王さまにも旅に出ることを一応報告したところ「別の者を派遣するのではだめなのか」と聞かれた。しかし、それではだめなのだ。魔王城の入り口には罠が仕掛けられていて、聖剣を使わないと回避ができない。だから魔王城の中を調査するなら、ライナスは外せない。
そう説明したところ、調査隊が組まれた。
隊長はライナスだ。隊員が全員私たちより年上だろうと、隊長は隊長だ。
私と二人きりで旅をするつもりでいたライナスは渋い顔をしたが、王命なので仕方がない。人数を最低限に絞ること、移動に馬車は使わず馬で行くことを条件として受け入れた。
「今度こそちゃんとした新婚旅行にしようと思ったのに……」
旅支度をしながら、すねた表情でライナスがそうこぼすので、思わず私は吹き出した。そんなことを企んでいたのか。
「いいじゃないの、新婚旅行。ちょっとおまけの隊員がついてくるだけよ。しっかりね、隊長さま」
「隊長」と呼ぶと、ライナスは少し照れたような顔をする。
大丈夫。どんな旅だって二人一緒ならきっと楽しい。ライナスに旅の順路が記された地図を手渡しながら、私は彼の頬にキスをした。




