35 勇者の婚礼 (5)
案内された先の控えの間は、比較的こぢんまりした居心地のよさそうな部屋だった。ただしこぢんまりと言ってもあくまで王宮の基準に照らした表現であり、庶民の感覚からすると全然こぢんまりじゃない。
招待者の中では最初に通されたようで、室内にはまだ王太子さまとジムさんしかいなかった。
「今日はお疲れさま。それと、結婚おめでとう」
「ありがとうございます」
祝福の言葉にお礼を返しはしたが、一瞬何のことだかわからず混乱した。
何しろあれだけ盛大な宴を催していただいた割には、結婚式をしたという実感がさっぱりないのだ。何と言うか、やっと何とか重大な任務をやり遂げたという疲労感と開放感ばかりで、本当ならもっとあってしかるべきな晴れがましい気持ちがちっとも感じられない。
ライナスも同じ気持ちのようで、横目で表情をうかがうと苦笑いしていた。
私たちの疲れた表情に遠慮したのか、ジムさんがためらいがちに質問してきた。
「それでさ、ちょっと教えてほしいんだけど、うちの愚妹はどこに消えてしまったのか知ってる?」
「ああ。魔王と一緒に封印されてましたね……」
「やっぱりか」
どうやら私とライナス以外の人たちには、封印されるその場は見えていなかったようだ。ジムさんもまぶしくて目を開けていられず、何が起きたのかは見ていないと言う。光が収まって目を開けたら、すでにお姫さまは消えていた。何か不測の事態が起きたことをその一瞬で察して、周囲にこの事態を悟られる前にと、即座に水晶を運び出させたのだそうだ。
この場に王太子さまとジムさんしかいないのは、この件に関して先に相談しておきたかったからのようだった。
今のところお姫さまが消えてしまったことについては、徹底して伏せている。現場にいて状況を察している者たちには、厳重に口止めしてあるそうだ。
ジムさんは大きなため息をついた。
「個人的には自業自得だと思ってる。けどあんなに不出来な妹でも、意外に民衆に人気があるんだよなあ」
王さまの度を超した多情ぶりを知る民衆は、贅沢三昧を隠すことない愛妾とその一族を憎んでいる。その逆に、敬虔で奉仕活動に熱心な王妃さまの人気は非常に高い。王太子さまとジムさんの優秀さも後押しして、王妃さまの血を引く王女さまがたは、民衆から同情的に見られているのだ。
その上「あの王妃さまのお子なら、きっとすばらしいお姫さまだろう」という思い込みがあり、見た目に愛らしい王女さまがたは人気が高いというわけだった。
人となりを知る前は私だって「きれいなひとだなあ」としか思わなかったし、貴族と直接的な接点のない民衆の感想なんて、そんなものだ。
そんなお姫さまが魔王と一緒に封印されてしまったことが知られると、封印した私の立場が悪くなることをジムさんは心配していた。たとえ事実をすべて明らかにしたとしても、「騙されただけの王女さまがかわいそう」と同情する声が広がれば、事実がどうであれ私を非難する声も出てくるだろう。
面倒くさいなあ。
うんざりした顔になったライナスと私に対して、ジムさんは遠慮がちに切り出した。
「それで相談なんだけどさ、封印を一度こっそり解除してから魔王だけ封印し直すってできないかな?」
「えーっと……」
どう答えたものやら困って首をたれ、ちらりとライナスを見やると、私の代わりに彼は首を横に振ってきっぱりと否定した。
「無理ですね」
そしてライナスは、無理と断定する理由を説明した。
理由は三つあり、ひとつはお姫さまが封印されてしまった原因がわかっていないこと。これがわからない以上、たとえ封印解除して封印し直すことができたとしても、お姫さまが再び封印されない保証がない。
次に、解除と封印はどちらも「こっそり」行うことは不可能だ。
誰にも見られない場所で行うことなら可能だろうが、その際に今回の封印のときと同じように、天が世界中に知らせてしまうだろう。魔王の封印を解除したときに何が起こるのかは実際そのときにならないとわからないけれども、想像するに、ライナスが封印されたときと同じか、それ以上に不吉な何かが起きるに違いない。
最後のひとつはもっと根本的な理由で、封印解除のスキルはどうやら五十年に一回しか使用できないらしいのだ。すでに一度ライナスを助け出すのに使ってしまっているから、次に使用できるのは約五十年後ということになる。
このことは、ライナスと一緒に大神殿でいろいろなものを鑑定板にかざしまくってみたときに発見した。スキルを授かったときにはなかったはずの「使用済み。再使用の待機時間は五十年」という説明が追記されていた。
それで今回はもうやり直しが利かないから絶対に失敗できないと思って、とても緊張していたのだ。
ライナスの説明を聞いたジムさんと王太子さまは顔を見合わせ、大きく息を吐いた。
王太子さまは表情を切り替えると、私たちに次のように請け合ってくださった。
「そうか。無理を言ってすまなかった。あの子は心に傷を負って引きこもったことにするしかないな。決して迷惑をかけることのないよう、こちらで対処するよ」
その後、食事会の参加者が次々と到着し、そろったところでホールに移動して食事が始まった。
お姫さまの件はもう話題に上がることもなく、みんな緊張から解放されてくつろいだ様子だ。これまでの協力について感謝とねぎらいの言葉が王太子さまから伝えられ、その後は和やかに世間話が始まった。
そんな中で、にこやかに何げないふうで王太子さまから尋ねられた。
「今後はやっぱり二人ともローデン家で暮らす予定なのかな?」
「え」
私は意表を突かれて、言葉に詰まる。私としては魔王を封印するのに王都に滞在する必要があってお世話になっただけだから、このままずっと居座ろうとは思っていなかった。「いえ」と口を開きかけると、伯父さまが目を見開いて焦ったように声をかけてきた。
「まさか出ていくつもりじゃないだろう? せっかく後継者としてお披露目までしたのに」
そう言われると、何だかいけないことを言ってしまったような気がしてきた。今まで「ローデン家の正統なる後継者」などと言われても全然ピンと来ていなかったけれども、考えてみれば後継者と言えば常識的には跡継ぎのことだ。
私はライナスと顔を見合わせる。ライナスは神妙に周りの顔を見回してから、正直なところを白状した。
「俺、村に帰って薬屋のおやじになる気満々だった」
「私も」
それを聞いて、王太子さまは「それは困るな」と吹き出した。
「勇者の領地で暮らすのか、ローデン家で暮らすのか、どっちだろうと思って尋ねたんだけど、まさか村の薬屋が選択肢に入ってるとは思わなかったよ」
ご領主さまはにこにこして「いいんだよ。帰っておいで」とおっしゃった。
伯父さまはそれに苦笑しながら「いやいや、この子たちにはうちを継いでもらわないと」と返す。
ご領主さまのあの嘘くさい笑顔は、どう見てもからかっておいでだ。つまり、私たちが本当に村に帰るとはさらさら思ってらっしゃらない。
王太子さまは二人を面白がっているような笑顔で眺めていらしたが、やり取りが落ち着くと私たちのほうを向いてこうおっしゃった。
「私としては、ローデン家に入るのでも勇者領で暮らすのでもどちらでもいいんだけど、できれば薬屋は諦めてくれるとありがたいかな」
私とライナスは顔を見合わせてから、おとなしく口々に「はい」とお返事した。
屋敷に戻ったら、伯父さまと今後のことについてお話ししよう。もちろんご領主さまとも相談して。




