26 裁きの天使 (3)
口をぱくぱくさせている王さまは無視して、先に進める。ただでも量が多いし、相手にするのは面倒だから「沈黙」を解くことはしなかった。
本当に多い。いったいどれだけ罪を重ねてきたのか。
ひたすら淡々と読み上げる。
文字を目で追っていくだけで、意識しなくてもよどみなく声に出して読み上げ続けていた。読み上げているのは自分なのに、まるで誰かが私の声で読み上げているのを聞いているような、不思議な感覚だ。
ページを繰る合間に横目でちらりとライナスを見ると、無表情に仁王立ちしたまま微動だにせずに私の読み上げを聞いていた。
気が遠くなるほどの長い時間、そうして読み続けていたような気がする。どれだけ時間がかかったのか、ついに最後まで読み終えた。私はやり遂げたことに安堵して息を吐いた。
「以上があなたの罪です」
王さまが何か言いたげに口を動かしているので、「解除」をかけた。「沈黙」だけでなく「麻痺」まで一緒に解除されてしまったけれども、もう後は適当に会話して撤収するだけだ。万が一、つかみかかってくるようなことがあってもライナスが何とかしてくれるだろう。
「沈黙」が解けたとたんに、王さまは声を張り上げた。
「すまなかった! 許してくれ」
「何をですか?」
思わず私は聞き返した。
悪いことなどしたことがないと言っていたはずの王さまが、手のひらを返したようにすがりついてくる。気持ち悪い。触れられたくなくて後ずさる私の前に、ライナスが王さまから私を守るように立ちはだかった。
「それは、その……、いろいろだ。悪かった」
反省の気持ちがつゆほども感じられない王さまの謝罪に、乾いた笑いしか出てこない。この人はただ自分が楽になりたいだけだ。自分が悪かったなんて、これっぽっちも思ってはいない。あれだけ自分の罪を突きつけられても、自分の何が悪かったのか理解できていないように見える。
苦い思いを噛みしめていると、私の口から勝手に言葉がこぼれた。
「許すことはできません」
「なぜだ? 謝っているではないか!」
いや、「ごめん」で済むのは命や人生のかかっていないような軽いもめ事だけでしょ。それだって、きちんと誠心誠意の謝罪でなくては許してもらえるものではない。そう呆れて言葉が出せずにいると、ライナスからはもっと根本的なことを指摘する言葉が投げられた。
「生きている間なら許すこともできたかもしれないが、私たちはすでに死んでいる。私たちが生き返ることができないのと同様に、死者に対してどれほど謝罪しても許されることはないのだよ」
「許されたいなら、まだ生きている人に謝罪することです」
「だが忘れるな。お前の生は、残りわずかだ」
「地獄に堕ちるあなたにとって、私たちと話す機会はこれが最後です。残りの生で、少しでも多く罪を償ってください」
ライナスと私が交互に王さまに声をかけているうち、部屋の入り口の扉をノックする音がした。
ライナスと視線を交わし、小さく音を立てて本を閉じてから手をつなぐ。ふわりと身体が宙に浮き上がる感覚があり、王さまが私たちを見上げて目を見張っているのが見えた。
こんな動きは、打ち合わせにない。驚いている間に、視界が暗転した。
いったい何が起きているのだろう。
それがわからない以上、よけいなことを口走るわけにもいかなかった。黙ったまま、ライナスとつなぐ手にぎゅっと力を込める。ライナスも手をにぎり返してきたのを感じて、少し気持ちが軽くなった。
息をひそめるようにしてじっと静かにしていると、突然視界が明るくなった。
しかも室内にいたはずなのに、どういうわけかここは屋外だ。
わけがわからず目をまたたいている私たちの前には、私たち以上に呆然としている伯父さまがいた。とりあえず、伯父さまに声をかけてみる。
「ええっと……、大変お待たせしました」
「フィミアかい……?」
「はい」
神官服に身を包んでいたことは伯父さまもよくご存じのはずなのに、なぜか確認された。
事態がさっぱり飲み込めない私は、ライナスのほうを振り返って尋ねた。
「ねえ、ライ。何をしたの?」
「いや、俺は何もしてない」
「え?」
首をひねりながら答えたライナスの言葉に意表を突かれ、私は目を丸くした。
「じゃあ、どうして私たちはここにいるの?」
「それは俺も知りたい」
てっきりライナスが、私の知らないスキルを使って何かしたのだとばかり思っていた。もちろん私は何もしていない。ライナスが何もしていないというなら、どうして私たちはここにいるのだろう。
そもそも、ここはどこなのだろう。
あたりを見回すと、王宮へ乗ってきた馬車が見えた。どうやら馬車止めの近くのようだ。
ライナスと私は二人して首をひねり、伯父さまはどこか放心したような表情を見せていた。けれどもいくら考えても、わからないものはわからない。とにかく王宮での用事は終わったことだし、馬車に乗って屋敷に帰ることにした。
馬車の中で、私たちは自分たちに何が起きたかを伯父さまに説明した。と言っても、自分たちも何が起きたかよくわかっていないのだけど。
とにかく天使の振りをして王さまの悪事を読み上げた後、本当なら扉が開いたらライナスのスキルで瞬間移動して部屋から出る予定だったのに、スキルを使うまでもなくなぜか視界が暗転して、気がついたら伯父さまの前にいたというわけだ。
私たちの話が終わると、伯父さまは呆然と「では、あれは本物のウィリアムだったのか……」とつぶやいた。
何をおっしゃっているのか意味がわからず怪訝そうな顔の私たちに、今度は伯父さまが体験したことを話してくださった。
王さまの部屋を退出した後、伯父さまは王さまの病状をご報告するために王太子さまを訪ねた。ところが王太子さまの居室に案内されている途中で突然、目の前に光の柱が現れて、その柱の中に天から二人の人影が降りてきた。それは私の父と母の姿をしていた。
伯父さまは最初それを、ライナスと私だと思ったそうだ。ライナスは父の姿を借りていたし、天から降りてきた二人が身につけている神官服は私たちのものと同じだったから。けれども、伯父さまは違和感を持ったそうだ。なぜなら父の姿はライナスが借りた姿より若く、伯父さまの前から姿を消して失踪したときと同じだったから。
そして母は、私とよく似てはいるけれども見間違いようなく若かりし日の母だった。




