03 プロローグ (3)
魔王復活の知らせと前後して、それと勝るとも劣らぬ重大な知らせに村中が大騒ぎになっていた。
なぜなら村の神殿内に「試練の石」が現れたからだ。
「試練の石」とは、勇者にしか抜けない聖剣が刺さっているという、誰でも知っているあの「試練の石」だ。そんな世界の行く末に関わるような重要なものが、こんな片田舎の神殿に現れたというのだから、驚きもする。
我こそはと思うものはさっそく挑んでみたらしいが、誰にも抜けなかった。
「ライは試してみないの?」
「行かない。無駄だもの」
「まあねえ。何かの間違いでライが抜いちゃったら、世界滅亡待ったなしよね」
「うん」
私はもちろん、当の本人さえ剣が抜けるとはつゆほども思っていなかった。
けれども知らせを受けた王都からたくさんの人々が送り込まれ、名だたる騎士たちが次々と挑み、そして敗れた後、村人は老いも若きも全員が挑んでみるようにとお触れが出た。おむつが取れたばかりの幼児も、ぎっくり腰を患っているようなおじいちゃんたちも例外でないとなれば、もちろんライナスだって挑むほかない。
せっかくなので物見高く付いて行って、ライナスの挑戦を見守ることにした。
まるで野次馬に配慮したかのように、「試練の石」は祭壇の正面に置かれていた。ライナスは聖剣の柄に手をかけると、振り向いて私の姿を探す。私はちゃんと見ていることを知らせるために、笑顔で小さく手を振った。
私に手を振り返そうとしたのか、ライナスは聖剣を握ったのと反対の手を挙げかけたのだが、その拍子にあり得ないと思っていたことが起きた。
聖剣がするりと石から抜けたのだ。
私は驚きに目を見張り、思わず「えっ」と声がもれてしまった。
私以外、誰もライナスには注目していなかったのに、私の声に気づいた周りの人々の視線がライナスの手もとに集まる。そして、どよめきが起きた。
ライナスはまだ自分が何をしたのか気づいていない様子で、周りの人々の様子に怪訝そうに眉をひそめた。首をかしげながら自分の手もとを見やって、やっと彼は抜き身の聖剣に気づいたらしい。手もとを二度見し、焦ったような表情を見せた後、何を思ったのかライナスはそっと聖剣を石に戻してしまった。何やってるの。
彼の「なかったことにしたい」という無意識の意思表示に対して、残念ながら天は慈悲を示さなかった。ライナスが「試練の石」から離れる前に、荘厳な白い光の柱が彼を包むように立ち、きらきらと光のしずくが降り注いだのだ。
この光の柱は、その場に居合わせた人々だけでなく、村民全員が目撃することになった。神殿の屋根を突き抜けて、光の柱は天高くそびえ立っていたと、後で聞いた。
これは勇者の覚醒を示す現象なのだそうだ。
歴史の本によれば、これまでの勇者たちは全員「試練の石」から聖剣を抜くことで勇者の資質を示し、その後の鍛錬により十分な実力が身についたときに覚醒していた。聖剣を抜くと同時に覚醒した例は、ひとつもなかった。
おそらくずっと鍛錬を続けてきたおかげで、聖剣を抜いたときにすでに十分な身体作りができていたのだろう。ライナスは史上最短で覚醒した勇者となった。
このときを境に、ライナスは再び別人のように変わってしまった。
運動神経の鈍かったライナスは、もういない。
勇者と呼ぶにふさわしい素早さと機敏さを身につけていた。どうやら勇者というものは、覚醒する前には身体的な能力に制限がかかっているらしいのだ。理性の育っていない幼いうちから常人をはるかに越える身体能力を持つと、自分も周囲も傷つけてしまうから、それを防ぐための仕組みなのだと言う。
変わってしまったのはライナス自身だけでなく、周囲の目もだ。
むしろそちらの変化のほうが、私にとっては大きく感じられた。
あれほどみんな馬鹿にしていたくせに、誰もが彼をちやほやする。特に女の子たちの手のひらの返し方がすごかった。「本当は前からずっとかっこいいと思ってたの」などと何人もから言われたらしい。
子ども時代に馬鹿にしたことなど、彼女たちの中では「なかったこと」になっているようだった。でも、馬鹿にしたほうが忘れたとしても、されたほうはそう簡単には忘れられないものだ。しかもライナスは、割と根に持つたちだ。
ライナスが勇者として覚醒したとき、実は私にもひとつの変化があった。
私の上にも同時に光の柱が立ったのだ。けれどもそれは、私以外の誰の目にも映ってはいない様子だった。ライナスに聞いてみたら、見ていないと言った。
そうは言っても気にはなるので、人がいないときを見計らって、神殿に置かれている鑑定板に手をかざしてみた。この鑑定板は、手をかざした人に関する「神殿が関わる情報」を表示してくれる。たいていの人は名前と年齢、そして既婚者であれば婚姻した相手の名前が表示される。
勇者みたいに特殊な人物に限って、授けられた神聖スキルが表示される。
ライナスも、覚醒後はずらずらとたくさん神聖スキル名が表示されるようになったらしい。
そして予想どおり私の情報にも、神聖スキルがひとつ追加されていた。
────「封印解除」
聞いたこともないスキル名だ。何だろうと思って、小さい文字の説明を読んでみると次のように書かれていた。
────「封印された対象の封印を解除し、全回復する」
何の役にも立たないどころか、何だかやばそうだ。
だって「封印」と言ったら、聖剣とともに天から授けられた封印水晶を使った封印のことだろう。魔王を倒して封印するのが魔王討伐なのだから、こんなスキル絶対に使っちゃだめじゃない? こんなスキルを持ってることを知られたら、危険人物認定された挙げ句に抹殺されそう。
ライナスにだけは話したけど、誰にも教えるべきじゃないと、二人の意見は一致した。
勇者として覚醒した日、ライナスは自宅に戻らず私が家に帰るのに付いてきた。
きっとご家族がお祝いしようと待ち構えているに違いないのが気にはなったけれども、ご領主さまはライナスがうちに入り浸っていることを容認してくださっている。だから本人がそうしたいならまあいいかと思って、私からは何も言わなかった。
家に着くと、ライナスはなぜか顔を赤らめてもじもじしている。
これは何か言いたいことがあるけど、言い出しあぐねている顔だ。彼が口を開くのを、私は辛抱強く待った。
「勇者に選ばれたから、そのうち魔王討伐に行かなくちゃならない」
「うん」
この話のどこに頬を染める要素があるのかわからないまま、私はうなずいた。
「だからね」
「うん」
「だから、討伐から無事に帰れたら、結婚してほしい。待っててくれる?」
「え、なんで?」
心に浮かんだ疑問をついうっかりそのまま口に出してしまった瞬間、ライナスの顔から血の気が引いた。しまった。激しく失言してしまったことには自分でもすぐ気がついたので、絶望した彼が逃げ出したりしないよう、急いでしっかり抱きついてから口を開いた。
「ごめん、勘違いさせちゃったね。結婚するのはいいの。でも、なんで討伐から帰ってからなの?」
「え?」
「結婚するのが後でも先でも、帰りを待つのに変わりはないでしょ? だったら先でよくない?」
私の言葉が頭の中に染み渡ると、一瞬ライナスは目を丸くしてから顔を輝かせ、「うん!」と私を抱きしめてきた。
「ちょっと、ライ。痛い痛い痛い! この馬鹿力!」
覚醒したてでまだ力の加減がわかっていないライナスに思い切り抱きしめられ、肋骨が折れるかと思った。
ただ、ライナスはこれでも一応貴族の子だから、ご両親に反対されないかだけは気になった。けど、ライナスから「うちの家族はとっくにフィーのことを嫁だと思ってる」と聞いて力が抜けた。そうだった、そういうご一家だった。
私が討伐の前に結婚したかったのには、理由がある。
私だって討伐準備に忙しいこの時期に、結婚式を挙げようなどとは思っていない。二人で神殿に行って、誓いを交わすだけでいい。式や披露宴なんて、それこそ帰って来た後でいい。
ただ、祝福された結婚指輪を、互いに身につけておきたかったのだ。
今はもうほとんどすたれてしまった風習だけど、結婚指輪は神殿で祝福してもらうことができる。
指輪を祝福してもらうには、神聖文字を刺繍したタペストリーを神殿に奉納する。ただしそのタペストリーに刺繍する必要のある文言がうんざりするほど長い上、書体にも細かく決まりごとがある。要するに、作るのがものすごく大変なわけだ。
にもかかわらず、祝福の効果がそこまでありがたいものじゃないところが、すたれた理由じゃないかと思う。
効果は二つあり、ひとつは婚姻継続中かどうかがわかること。
片方がこの世を去ってしまったり、あるいは神殿で離婚を宣言したときには、指輪は二つとも壊れて消えてしまう。でも普通、こんなことは指輪に頼らなくても本人たちにはわかっている。何より離別や死別で消えてしまうという点が、指輪に資産価値を求める人々からは敬遠された。
もうひとつの効果は、婚姻中に一度だけ、相手のいる場所に瞬間移動ができること。
そう聞くとものすごく便利なように錯覚しがちだけど、実は使いどころがあまりない。結婚相手となんて普通はそうそう遠く離れるものじゃないし、瞬間移動できると言ってもたった一度だけだ。しかも相手を呼び寄せられるわけでなく、自分から相手の場所に飛べるだけ。
でもこれから魔王討伐に出るライナスには、この上なく使える効果のはずだ。
そして私には、母が遺してくれたタペストリーがあった。
「指輪は手作りでもいい?」
「いいよ。フィーが作ってくれるなら、どんなのでも」
かくして私とライナスは神殿に向かい、私が手作りしたビーズ細工の結婚指輪を祝福してもらって、神官さまの立ち会いさえなく二人だけでひっそりと結婚の誓いを交わした。
「これで、討伐が終わったらすぐに帰還できるわよ」
「さすが、俺のフィー。最高だ!」
ライナスは私を抱きしめて、キスの雨を降らせた。
そしてライナスは、魔王討伐に出た。
史上最短で覚醒した勇者ライナスは、討伐に出立したのも史上最短だった。
* * *
ライナスが魔王討伐に出ている間の二年間、私は少しずつ旅支度を進めた。
何もなければそれでよいけど、自分の持っているスキルを考えると、不測の事態に備えておくべきのような気がしたのだ。ライナスの覚醒と同時に授けられたスキルだというのも、気になる要因だった。
そして討伐から帰ってきたライナスは、すっかり別人になっていたのだった。
私のことを愛称でなく「フィミア」と呼び、結婚指輪を身につけていないあのライナスは、いったい何者なのか。
私のライでないことだけは、間違いない。
だって私の指輪は、ちゃんと私の指にまだはまっているのだから。あれは一度身につけたら、指輪が壊れて消える以外に外す方法がない。つまり一方の指輪だけが残っている状態というのは、ありえないのだ。
私はライナスもどきと王女さまが帰って行った後、大急ぎで旅支度をした。
ご領主さまにだけは、簡単に事情を説明する手紙をしたためた。
支度が終わった頃には、とっぷりと日が沈んでしまっていた。
自分にどれだけの荷物が運べるのか見当もつかないけど、よろよろするほど荷物を背負って馬にまたがり、もう一頭の馬の手綱を握りしめて、指輪に強く願った。
「ライナスのところへ連れて行って!」
私の願いに応えるように、足もとに淡く光る白い魔法陣が現れた。魔法陣の光は徐々に増し、全身が真っ白い光に包まれた後、景色が暗転した。背負った荷物と馬は、無事に運べたようだった。
暗がりに目が慣れてくると、すぐ目の前に大きな透明の球体があるのに気づいた。その中心に、傷だらけのライナスが目を閉じて宙に浮いている。左手の指を見ると、ビーズ細工の指輪がはまっていた。私のライだ。
私は馬から降りて、球体に両手を当て、封印解除を強く願った。そうすると、手を当てた部分からじわじわと少しずつ半透明に白く光る部分が広がっていく。光る部分は、ゆっくり、ゆっくりと広がっていき、やがて球体全体を覆い尽くした。一時間以上もそうしていたように感じたけど、たぶん実際には五分かそこらだったと思う。
球体を覆った光は、中にいるライナスも包み込み、見る間に彼の傷が消えていく。すべての傷が消えると、今度は光が弱まっていった。中にいるライナスは、瞬きをしてから目を開き、私のほうを見た。やっと本物のライナスに会えたことに安堵して、私は笑みを浮かべた。
「助けに来たわよ、お姫さま」
「そこはせめて、王子さまにしておいてよ」
ライナスは笑いながら球体の中から飛び降りてきた。
「はいはい。助けに参りましたよ、封印されちゃった間抜けな王子さま」
「ひどい」
ライナスが飛び降りると、球体は一気に手のひらに載る大きさにまで縮んでから地面に落ちて、光が消えた。私は地面に転がった封印水晶を拾い、荷物の中に大事にしまった。
「来てくれてありがとう。本当にフィーには救われてばっかりだ」
そう言ってライナスが抱きついてきたので、私は「どういたしまして」と返してキスをした。
ライナスによれば、ここは魔王城の最奥らしい。
野営の準備をしてから、たき火をおこし、討伐のときに何が起きたのかをライナスから聞いた。
最終戦で魔王とライナスの一騎打ちになったとき、魔王は戦闘の途中からライナスの姿を模倣し始めたそうだ。どちらも完全に力を使い果たして倒れ込んだとき、本当なら王女さまが封印水晶を使って魔王を封印するはずだった。
ところがそのとき、魔王が言葉巧みに王女さまを丸め込んでしまった。
魔王の言葉によれば、魔王と勇者はほぼ相打ちの状態で、どちらも力を使い果たして普通の人間と変わらない状態になっている。だからどちらを封印しても結果は変わらないが、自分なら勇者として王女と結婚した上で一生大事にしよう、と約束したのだそうだ。
どう考えても口先だけの嘘なのに、王女さまはそれに乗ってしまった。
ライナスは「あの王女、俺にはフィーがいるって言ってるのにベタベタしてきて気持ち悪いと思ってたら、最後はこれだよ」とぼやく。本物が手に入らないから、まがい物の話に乗っちゃったのか。
「ねえ、ライ。これまでずっと百年くらいごとに魔王が復活してたのって────」
「うん。フィーの考えてるとおりだと思うよ」
つまり、毎回勇者が裏切られていたってことだ。しかもその裏切りは記録に残らない。逃げ延びた魔王は百年ほどかけて力を戻し、復活する。一方の勇者は封印されたまま、誰にも知られることなく朽ち果てていた。ひどい話だ。
封印解除のスキルを与えられた者もいただろうに、結局使われることはなかったのだろう。
私だって祝福された結婚指輪がなければ、ひとりでここにたどり着けたかあやしいところだ。きっとたどり着く前に魔王に見つかって、抹殺されていたに違いない。私ひとりを始末するだけなら、力を失った魔王にだって簡単なことだ。
騙された王女さまには気の毒だけど、おそらく彼女がライナスもどきと結婚できることはない。
彼女はきっと、封印解除のスキル持ちを魔王が探す間の隠れ蓑にされているだけだろう。だって神殿の鑑定板に手をかざせば、ニセモノなのはすぐばれることだ。結婚という形で神殿に関わってばれる前に、魔王は遁走するに決まっている。あまり彼女に明るい未来が待ち受けているようには思えない。
まあ、それも因果応報か。
それはさておき、私は自分たちのこれからのことが気になった。
「ところで、来るときは一瞬だったけど、帰るのに一年近くかかるんじゃない?」
「いいじゃないか。長い新婚旅行だ!」
ライナスがうれしそうに笑ってキスしてくるので、私もつられて笑ってしまった。
ライナスは封印解除のスキルのおかげで完全に勇者の力を取り戻しているし、弱体化した魔王に負ける要素は何もない。今度という今度こそ、二度と復活することのないよう魔王を本当に封印できるはずだ。
新婚旅行と呼ぶにはちょっと野性味にあふれすぎている気はするけど、ライナスと一緒ならきっとそれも楽しい。