11 最果ての村 (1)
魔王城に一番近い村は、「最果ての村」と呼ばれている。
規模が小さいながらも普通の村だそうだ。
村に着く前に、私たちには決めておかないといけないことがあった。
それは、ライナスの姿をどうするかだ。
実際の中身がどうであれ「勇者ライナス」は王都に帰還し、お姫さまと婚約したことになっている。なのに王都から遠く離れた場所でライナスの姿のまま旅をするというのは、どちらかはニセモノだと大きな声で触れて回っているようなものだ。もうそれだけで厄介ごとを招きそうな気がする。
だからそのままの姿で旅をするよりは、姿を変えておくほうが無難だ。だけどそうすると今度は、誰の姿を写そうか、という問題が出てくる。「姿写し」というスキルは便利ではあるけれども、ライナスの知っている人の姿しか写すことができない。私と二人で旅をしていても不自然でない人物であり、ライナスが顔を知っている人────。
「兄さんはどう? 義兄だから、おかしくないよね?」
「それだと姿を変えないのと一緒のような気が……」
お兄さまを義兄と呼べるのは、ライナスと私が結婚していることが前提だ。けれども王宮からの公式発表では、そのライナスがお姫さまの婚約者に収まっている。それに従うなら、ライナスのお兄さまと私は何の縁もない赤の他人でしかない。
そう説明すると、ライナスは眉間にしわを寄せて考え込んだ。
「なら、フィーの親族か」
「ごめん、いない」
「そうだよな……」
私の両親は駆け落ち結婚のため、親族との付き合いがない。
しかもその両親が、どちらもすでに他界している。だから私には、付き合いのある親族なんてものはいないのだ。付き合いのない親族ならどこかにいるのかもしれないけど、そんなのいないのと一緒だし。そもそもライナスが顔を知らないので、姿を写しようがない。
ライナスはしばらく考え込んでいたが、やがて「フィー」と名を呼ぶので振り向いた。彼はやや上目遣いで探るような視線を私に向けた後、ためらいがちに質問した。
「故人の姿を写したら、不謹慎だと思う?」
「別にそんなことないと思うけど。どうして?」
ライナスは少し間を置いてから、私の質問に答えた。
「おじさんはどうかな」
おじさんって誰だっけ、と少しだけ考えてしまったが、じきにその言葉が頭の中に染み渡った。
私が初めて「姿写し」のスキルのことを知ったときに考えたのと、同じことをライナスも考えたというわけだ。亡くなった家族の姿を写してもらうのは、頼んではいけないことのようにあのときは感じたものだ。けれども改めて今こうして提案されると、とても理にかなった選択のように思えた。
父と娘が二人で旅をするのは自然なことだし、体裁だって悪くない。
ただその父が、本当ならもうこの世にいないことだけを除けば。
「いい案かも」
「本当にそう思う?」
「うん。だってそれ以上の案は、私には思いつかないもの。だからそれが最善策よ」
ただ、姿を写せるほどライナスは父の姿を克明に覚えているだろうか。そんな心配をしたけど、それは杞憂だった。ライナスは、よくも悪くも記憶力がある。子ども時代に経験した不愉快なあれやこれやも忘れられないくらいに。
ライナスは集中する表情を見せてから、ふいに輪郭がぼやけ、次の瞬間にはそこに父がいた。
「お父さん!」
「フィーにお父さんって呼ばれると、何だか変な感じがするな」
「だってお父さんじゃないの」
一瞬、涙で視界がにじみそうになったけれども、父に見えてもやっぱり中身はライナスだとわかったとたんに、涙は引っ込んでしまった。一度そうわかってしまうと、もう「父の振りをしたライナス」にしか見えない。
不謹慎とか、そういう問題じゃなかった。必要があって父の振りをした。ただそれだけだ。
日が傾きかけた頃に、最果ての村に到着した。本当に小さな集落だった。
村の周囲は、結界魔法を施した柵で囲われている。
ここは魔獣ハンターたちの活動拠点となっていて、ハンターたちに宿と食事を提供するための村なのだそうだ。
村には宿屋がひとつだけある。どこかさびれた雰囲気の宿屋だった。
裏手にある厩舎で馬たちを休ませ、ライナスと私は宿屋に入った。
「いらっしゃい。お二人さまで?」
「うん。あと馬が二頭いるから、飼い葉を少しわけてほしい」
「裏に厩舎があるから、好きなとこを使ってください。飼い葉は、餌置き場のものを好きなだけどうぞ」
「ありがとう」
ライナスは慣れた様子で宿屋の主人とやり取りし、部屋をとった。
その様子を私は隣で見ていたのだけど、料金を聞いてギョッとした。目の玉が飛び出そうなほど高かったのだ。私の様子を見て、主人はすまなそうな顔をして理由を話してくれた。
「ここでは日用品も食材も、すべてが隣町頼みだから、輸送費がかさんでどうしても高くついちまうんですよ」
「輸送費を考えたら、これはすごく良心的な値段だよ」
「そう言ってもらえると、助かります」
ライナスの補足を聞いて、驚きを顔に出してしまったことを逆に申し訳なく思った。
「俺はライナス、こちらは娘のフィミアだ。ひと晩よろしく」
「おや、勇者さまと同じ名前なんですね」
「うん。まあ、珍しい名じゃないからね」
「確かに。今日はお客さんたちだけだから、貸し切りですよ。ごゆっくりどうぞ」
父の名前は、もちろんライナスではない。
父から借りるのは姿だけで、名前は借りないことにしたのだ。必要ない限りできるだけ嘘はつきたくないし、とっさのときに自分の名前をうっかり「ど忘れ」しても困る。
この宿屋はハンター向けの宿だけあって、飾り気はまったくない。けれども外からの見た目とは裏腹に、内部は古びてはいるもののよく手入れされていて小ぎれいだった。
この付近は魔獣の多い地域だったが、魔王討伐後は徐々に魔獣の数が減り、それに伴ってハンターの滞在頻度も減少傾向らしい。以前ならハンターたちでもっと活気があったであろう宿屋の中は、今は私たち以外に宿泊客がなくて静かだった。
ライナスと私は部屋に荷物を置くと、暖炉のある共有スペースでひと休みした。
ここには二組のテーブルとソファーが置かれていて、宿泊者なら誰でも利用できるようになっている。ライナスは、室内を見回すと「本当はこんな場所だったんだな」とつぶやいた。私は声をひそめて彼に尋ねた。
「遠征のときにも来たの?」
「うん。そのときは、何も置かれてなくてがらんとしてた」
そうしてライナスは、遠征中にお姫さまのわがまま放題から宿泊地の人々を守るためにこっそり早馬を出した話をしてくれた。
当事者のライナスは、さぞかし胃の痛む思いをしたことだろう。でも、しまいにはベッドもなくなって、お姫さまは自分の簡易ベッドを使わざるを得なくなったという話は痛快だった。思わず手を叩いて笑い転げてしまうくらいに。




