47 その後の話
朝、目覚めるとき、ライナスに抱きついて寝ている私の首のあたりには、たいていフワフワのお尻が触れている。
アンバーだ。無理矢理ライナスと私の顔の間に割り込んできて、毛布に頭を突っ込んでいる。いつか本当につぶしそうだから、やめてほしいんだけど。私はため息をつき、そっとアンバーをベッドカバーの上に移す。
そう言えば、魔王可動体は「あなたたちを親だと刷り込んだ」と言っていたのだった。つまりこの子は、私がお母さんだと思っているのか。だから、やたら顔にくっつきたがるのかな。でも私は猫じゃないから重たくて、本当につぶしかねなくて危ないのよ……。人間の頭って重いからね。かわいいけど、やめてほしい。
いっそ寝るときにはケージに入れてしまおうか────とは思うものの、きっと無駄だ。この子は脱獄の天才だから。
マーニー海岸に転移したとき、アンバーがくっついてきた原因は判明している。ケージを抜け出してきたのだ。自力で。スキルでも何でもない。ただ普通に、格子の隙間からすり抜けていた。格子の間隔は、絶対にアンバーの顔幅より狭いはずなのに。
あのときまで脱出したことがなかったのは、単にケージの中ではほぼいつも寝ていたからというだけのことみたい。ケージの中にいても、私の姿が見えるとすぐに抜け出そうとする。
初めて脱獄の現場を目撃したときには、自分の目が信じられなかった。
「えええ……。これ、すり抜けちゃうの?」
ただ格子に頭を押しつけただけでは、幅が足りないから抜けられない。なのにアンバーは顔の角度をちょっと変えるだけで、するりと抜けてしまうのだ。まるで知恵の輪か何かのように。
細い隙間に首が挟まっている状態は、見ていて不安をあおられる。首が絞まっているようにしか見えないから。けれどもアンバーは気にする様子もなく、前足を隙間に突っ込む。そのまま四肢をバタバタさせるうち、どうしたことか全身がするっと抜けているというわけだ。
自分の目で見ていても、信じられない。仔猫じゃなくて、実はスライムなのでは。
アンバーは脱獄に成功すると、その現場をげんなりと見ている私に、得意満面でキラキラした目を向ける。誰の目にも明らかに、褒められ待ちである。でも褒めない。これだけは絶対に褒めないから。
冷ややかに背中を向ければ、アンバーは私の気を引こうと一生懸命に鳴く。
「ミャーウ。ミャーウ」
でも振り返らない。そして褒めない。
ほどなくアンバーは諦めて静かになった。そっと横目でうかがってみると、お座りして首をうなだれている。あからさまに哀愁が漂っていた。かわいくてかわいそうなんだけど、心を鬼にして放置。いけないことはいけないと、ちゃんと教えないと。ここで褒めようものなら、「脱出したら褒めてもらえる」と思ってしまう。
ちなみに、この状態で「ハウス」を指示すると、アンバーはがむしゃらにケージに戻ってバスケットに飛び込む。このときのすり抜けは、ちょっと笑っちゃうくらい必死だ。脱獄のたびに「ハウス」を申し渡せば、そのうちすり抜けないほうが得だと学習しそうな気はする。
でもあまりにも必死すぎて、そのうちけがをしそう。のんきなことを言ってないで、さっさともっと目の細かいケージに買い換えるべきかもしれない。普通なら大きくなれば自然にすり抜けられなくなるけど、この子は大きくならないんだもの。
「裁きの書」に現れた「グロリアーナ・リース」の項は、予想どおり王宮から文官が派遣されてきて書き写していた。
私は詳しく読んでいないけど、ライナスに聞いた話では、八割ほどは亡くなった王さまの項にも書かれていた内容だったそうだ。お姫さまがわがままをかなえたいとき、ねだる相手はだいたいお父さまである王さまだったから。
ところが、残る二割が問題だった。内容を知って、ジムさんが頭を抱えていた。
「うわあああ。この件も、うちの愚妹が関わっていたのか……」
「この件?」
「冤罪で投獄された者まで出た、大規模な横領事件があってさ。真犯人がわからなくて迷宮入りしてたんだよ。でも、これでしょっぴける」
どうやらあのお姫さまは、お父さまだけでなく悪徳貴族にも美しく微笑んでおねだりをすることがあったらしい。そうした悪徳貴族たちは、きっとお姫さまからお父さまへの口利きを期待して応じていたのじゃないだろうか。
魔王可動体いわく「美しく、純粋で、愚かな」お姫さまだったけど、そんなきれいな言葉で済ますのは、惚れた欲目としか思えない。ライナスから聞いた概要からだけでも、いろいろやらかしたことがひどすぎて、封印したまま放置するのもやむなしという感じだった。
何にしても、「裁きの書」にほとんど偶然のようにして現れちゃった項が役に立ったなら幸いだ。ぜひきちんと裏を取って、裁いていただきたい。
封印水晶は私たちが王都に持ち帰った後、大神殿の地下に保管されている。ただし、今回は神殿内部ではない。裏庭に新たに保管用の地下室を建設した。大神殿が大型魔獣に襲撃された経験を踏まえてのことだ。魔王可動体が話した内容を信じるならば、同じことはもう起きないだろう。それでも、あのときの被害規模を考えたら、安全策をとっておくべきだという結論になった。
魔王城では、新たな卵が生み出されていないか、定期的に見回りすることになった。見回り対象は、上層の寝室のような部屋と、前に卵を見つけた中層の部屋。中層の部屋ではこれまでに二回ほど、うずら卵よりひと周り大きいくらいの卵が発見された。まったく、油断も隙もない。見つけ次第、屋外に持ち出して日光を当てることにしている。
魔王城での工事は、あの後一年ほどで完成した。岩盤貫通要員だった魔獣ハンターたちは全体の完成を待たず、四か月ほどで仕事を終えている。
穴を開けるだけの工事にこれだけかかったのは、範囲が広かったから。早く魔王本体を消滅させるためには、どの季節、どの時間でも日光が当てられるようにする必要がある。それには、日光により影の出来る角度を計算して、傾斜をつけなくてはならない。
穴が深くなればなるほど、間口は広くする必要があるというわけだ。日光に当たった部分から、魔王本体は少しずつ縮んでいく。その分を見越して少し余裕を持たせ、深めに穴を掘ったので、工期も長くなってしまったそうだ。
任務を終えた魔獣ハンターたちを、リース王国は王都に招待した。
ついでとばかりに、協力してくれた各国の責任者たちも招いた。ダーケイア連合王国からは国王夫妻、シャーロン王国からはレジナルド王子、アムリオン王国からはジョゼフィン王女夫妻、そしてボイクート共和国からはメリガン総督夫妻が。
そう、メリガン総督なのだ。あのごうつく親父、もといコーウェン前総督は、今回の総督選で敗れた。大敗だったと聞く。
魔王本体に日の光を当てて、天から光のつぶが降り注いだあの日、各国から国民に魔王本体の討伐について正式に発表された。岩盤の穴開け要員として派遣された魔獣ハンターの名も公表され、今や彼らはどこに行っても英雄扱いだ。
もっとも、当の英雄たちは「ただの穴掘り職人さ……」と、しょっぱい顔をしているけども。でも実際の魔王討伐がどれほど地道だろうと、誇っていいと思う。だって、彼らのパワーなしでは成し得ないことを成したのだから。
その英雄のひとり、アレックスを送り出した家として、メリガン伯爵家はボイクート国内で大層もてはやされている。しかも前回の魔王城調査隊にアレックスとヒュー博士を派遣したのもメリガン伯爵だったと知れ渡った。コーウェン前総督がそれを却下したことも、同時に知れ渡る。
もともと人気が低迷していたコーウェン前総督にとって、これが致命傷となった。かくして人気沸騰中のメリガン伯爵は、これまでの誠実な施政が評価されたのと相まって、めでたく総督に選任されたのだとか。
交流会の宴席には、アムリオン王国の寄宿学校でジムさんの後輩だったという、ジョゼフィン王女の弟も参加した。そしてライナスのお兄さまも。お兄さまも実は、ジムさんと一緒に留学していたそうだ。知らなかった。てっきり王都の学校に入っているのだとばかり思っていた。
ジムさんとレジナルド王子は同級生だったと言うし、さながら同窓会のようだった。
ライナスのお兄さまは落ち着いて見えるのに、寄宿学校では案外やんちゃだったらしい。ジムさんやレジナルド王子からいろいろな武勇伝を聞かされて、面白かった。
この交流会は有意義だったと、どの国からも好評だった。今回は魔王討伐をきっかけとして、この交流会が開かれることになった。けれども今後は、それとは関係なく数年ごとにこうした交流会を続けていこうという話になっているそうだ。
* * *
魔王を完全に封じるまでの話は、これでおしまい。
だけど、うちには魔王の子がいる。
人間社会の中で生きたいと夢見た魔王が、自由に生きてほしいと願いを込めて命を吹き込んだ子が。いつまで経っても大きくならない不思議な仔猫は、今日も元気にトイレで褒められ待ちをしている。
「ミャーウ」
「よし」
ライナスがこれ以上ないほど雑に褒めても、アンバーは満足するらしい。
今はもうライナスも私も「大きくなったら野生に帰そう」なんて思っていない。だって、大きくならないし。そもそも人間を親だと思っているような仔猫が、野生で生きていけるわけがない。
この子は、うちの子だ。命を吹き込んだのが魔王だったことなんて、誰にも言う必要はない。
さすがに人間社会の中で一年以上も過ごせば、人間にも多少は慣れてきた。決して人懐こくはないけれど。
トイレから駆け出してきたアンバーは、私の前で「抱っこ」のポーズをした。抱き上げて、なでてやりながら声をかける。
「アンバー」
「ミャーウ」
「もうしばらくしたら、あなたはお兄さんになるのよ。赤ちゃんとも仲よくしてね」
腕の中でアンバーは、小首をかしげる。ライナスもトイレから出てきて、私の肩を抱きながらアンバーの頭をなでた。
「こいつ、絶対わかってないぞ」
「大丈夫よ。この子は賢いもの。ね、アンバー」
「ミャーウ」
ライナスと私は顔を見合わせ、一緒に笑い声を上げた。
魔王の子は、勇者と聖女とその子とともに、これからもずっとしあわせに暮らしていくのだ。
これにて完結です。
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新作の連載を始めています。
「二度目の余命300日」
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死に戻りものです。
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