43 しおりの使い方 (1)
何ともやるせない話だった。
だって世界の敵と目され、私たちたちが魔王と呼んでいた存在が、ただの奴隷にすぎなかったと言うのだから。封印されて初めて、本当の自由を得られたと言うのだ。哀れにもほどがある。
だからといって許せるかと問われれば、許せるはずもなかった。
封印される以前のおこないに関しては、情状酌量の余地が十分以上にあるように思う。しかし、封印された後がいけない。封印水晶を持ち出すために大型魔獣に襲われた神殿は、被害甚大だった。
それに魔王本体の力を削ぐためとは言え、魔獣発生ポータルの移動は人々の間に大きな被害をもたらした。
大陸内の移動ポータルを破壊するためであれば、ただ魔獣を使役するだけで事足りたはずだ。魔獣発生ポータルを移動して、それまで被害のなかった地域に被害をもたらす必要などない。
けれども、魔王可動体の気持ちもわからないではなかった。それだけ魔王本体への恨みが深かったのじゃないかと思う。
罪のない犠牲を生むのは百も承知の上で、それでも魔王本体に一矢報いたかったのに違いない。どのような手を使ってでも、ライナスと私をこの場に誘導したかったのだ。魔王本体を消し去る手段を教えるために。
魔獣発生ポータルの移動は、私たちをおびき寄せることに失敗した場合に備えてのことだろう。魔王本体を消滅させることができないなら、せめて今後の活動が少しでも不自由するよう、できる限りの手を打っただけのことだ。
しばらくそのまま、ライナスと私は言葉もなく立ち尽くしていた。
ところがここで、クマ型の魔獣が突然、咆哮を上げた。ランタンがビリビリと震えるような大音量だ。それまで曲がりなりにも人間の言葉を話していたというのに。
空洞内に反響するせいで、咆哮がより恐ろしく響き渡る。村で薬師として暮らしていた頃の私なら、きっとすくみ上がっていたと思う。でも魔王城の調査隊に参加したおかげで、大型魔獣の討伐は何度も経験した。ヒュー博士から補助魔法の効果的な使い方についても、指導を受けている。
わんわんとまだ反響の余韻が残っている間に、魔獣は私たちに向かって突進してきた。魔王可動体からの支配が解けたのだろう。本能のままに襲われてはたまらない。
でもたった二体なら、もうあわてることもない。一体に「麻痺」をかけ、もう一体に「速度低下」をかけた。
ライナスは聖剣を構え、危なげもなく「速度低下」をかけたほうを先に倒す。次に「麻痺」をかけたほう。倒して少しすると、どちらもすうっと死体が空気に溶けて消えていった。
クマ型の魔獣が消えた空洞内は物音ひとつせず、しんと静まりかえっている。
私はアンバーが隠れている隙間の前に行って、膝をつく。かがんで隙間の奥をのぞき込み、アンバーに声をかけた。
「アンバー、おいで。もう大丈夫よ」
「ミャー……」
弱々しく返事はするものの、隙間から出て来ようとはしなかった。まだ怖いのだろうか。これはアンバーの気持ちが落ち着くまで、もう少し時間をおいたほうがよいかもしれない。
私は立ち上がってきびすを返し、ライナスに声をかけた。
「怖がって出てこないわ。先にしおりを探さない?」
「そうしようか」
隙間の奥にいるアンバーは、しおりをくわえていなかった。それも当然だ。アンバーは裂け目からここに落ちた後、何度も私の呼びかけに応えている。くわえていたら鳴けないから、しおりはそのときに口から離したはずだ。
その直後に、魔獣に襲われそうになったのだ。命からがら、逃げるだけで精一杯だったに違いない。
私の提案に、ライナスはすぐ同意した。けれどもなぜか、彼は動こうとしなかった。代わりに頬を緩める。怪訝に思った私に、彼は私の後方を指さした。
「フィー、後ろ」
ライナスの指す方向を振り向いてみれば、アンバーが隙間からのそのそと這い出しているところだった。それからまっすぐ、こちらに向かって走ってくる。知らず知らず、私も笑みを浮かべていた。
足もとまでやって来たアンバーを抱き上げようと、手を伸ばす。
「アンバー、偉かったわよ。上手に隠れられたのね」
「ミャーウ」
ところがアンバーは四本の足をバタバタさせ、激しくもがいて私の手から逃げ出そうとするではないか。こんなことは初めてだ。驚いた私が手の力をゆるめると、アンバーは抜け出して地面に飛び降りた。
そして私を振り返り、アンバーはもう一度「ミャーウ」と鳴いた。それから駆け出す。今度は私から離れていく方向に。
呆然とする私を尻目に、アンバーは少し離れた場所まで行って足をとめた。そのままうろうろと何かを探すように歩き回る。やがて立ち止まると、壁と地面の隙間に頭を突っ込んだ。そして何やらゴソゴソし始める。いったい何をしているのかと見守るうち、アンバーはしっぽをピンと立てた。
しっぽを立てたままくるりとこちらを振り返り、再び走ってくる。でもその走り方は、どこか気取っているようにも見えた。口には何かをくわえている。
そのまま私の足もとまで駆けてきて、くわえていたものをポトリと落としてお座りをした。そこに落とされたのは、今まさに探そうとしていた「裁きの書のしおり」だった。
アンバーは期待を込めた目で、じっと私を見上げる。
「ミャーウ」
褒められ待ちである。
私はしおりを運んできたアンバーを抱き上げ、絶賛を惜しまなかった。
「アンバー、偉い! よく拾ってきてくれたわね。ありがとう」
「たぶん『しおり』って単語に反応したんだろうな」
ライナスはそう言いながら、アンバーがゴソゴソしていた辺りを見に行った。そしてうめき声を上げる。
「うわ。こんなところに落ちてたのか。これは俺たちでは見つけられなかったかもなあ」
「そうなの?」
「うん。ほら、ここ」
ライナスが指さす場所を、私も見に行った。アンバーが頭を突っ込んでいたのは、壁沿いにある細い溝のようなところだった。これでは彼の言うとおり、私たちだけで見つけるのは難しかったかもしれない。
私はアンバーをなでながら、もう一度「偉い!」と褒めておいた。アンバーはゴロゴロと喉を鳴らして、ご機嫌だ。




