24 ボイクート観光
調査が終わった後は、観光をした。
ボイクート共和国の首都は「芸術の都」と呼ばれている。演劇や歌劇、コンサートやサーカスなど、劇場系の催しがとても盛んだ。
でも今回は、残念だけれども劇場系の観光は控えることにした。アンバーがいるからだ。観劇に行くと、往復にかかる時間や待ち時間を入れると、どうしたって三時間内には収まらない。アンバーにお留守番させられる時間を越えてしまうのだ。
かといって、観劇に連れて行くわけにもいかない。常識的に考えて劇場側からお断りされるだろうし、仮にアンバーの入場を認めてくれたとしても問題がある。
肝心のアンバーが最後までおとなしくしている保証が全くなかった。しんと静まり返ったシリアスシーンで「ミャーウ」と合いの手を入れるところが目に浮かぶようだ。おそろしい。
代わりに、私たちはアンバーを連れて街歩きに出ることにした。
「芸術の都」は劇場に行かなくても、大道芸が盛んだ。ちょっとした楽団から、コミカルなパントマイム、奇術や曲芸など、あらゆる演目がそろっている。それに大道芸なら途中でアンバーが鳴き声を上げたとしても、たいした迷惑にならないだろう。
観光には、アレックスやヒュー博士が付き合ってくれた。アレックスは単に大学で博士に師事しただけでなく、卒業後も研究室に入り浸って交流を続けていたようだ。もともとメリガン伯爵が研究の後援者だった縁もあったのだとか。博士が調査隊に参加したのは、そうした交流があった上でのことみたい。
ボイクートの街並みは、シャーロンと似ているようでいて結構違う。
屋根がオレンジ色なところは、シャーロンと一緒。でも、壁の色が違う。シャーロンと違い、ボイクートでは壁には漆喰を塗っていなかった。だから普通のレンガ造りなのだ。
レンガにも種類があって、それぞれ色合いが異なる。クリーム色からオレンジ色まで。ただし、リース王国やダーケイアに多い赤茶色のレンガは見かけることがなくて、もっと明るい色ばかりだった。
建物ごとに壁の色が違うから、白一色だったシャーロンと違って統一感はない。その代わりにカラフルだ。シャーロンの清冽な美しさと違い、温かみと躍動感のある街並み。そんな景色の中、そこかしこで大道芸が見られる。劇場に行かなくても、十分に楽しかった。
大道芸が多いからか、祭りでもないのに屋台も多い。
でも、買い食いは控えておいた。アンバーが欲しがると困るから。アンバーを抱いたまま食べたら、間違いなく欲しがる。与えても大丈夫なものならよいのだけど、屋台で売っているものなんて、たいていは味が濃い。仔猫に食べさせてよいものではなかった。
通りを歩くうち、ちょっと気になる人だかりを見つけた。
「あ、ジャグリング」
「見てく?」
「いい?」
「いいよ」
人だかりの切れ目に立って、演目を楽しむ。このジャグラーは、クラブを使ったジャグリングを披露している最中だった。
腕の中にいるアンバーが、身を乗り出す。クルクルと回るクラブが、気になって仕方ないらしい。回るクラブに合わせて、アンバーの顔が動く。ジャグリングよりアンバーを見てるほうが面白いくらいだ。チラチラとこちらに視線を向ける観客も結構いる。
演目が終わり、拍手してコインを投げ入れた。その瞬間、アンバーが跳躍する。あっと思ったときには、腕の中から姿が消えていた。おとなしくしていると思って、油断したせいだ。
アンバーは、まっすぐに私の投げたコインに向かって跳んで行った。その姿は、お世辞にも格好いいとは言えない。かろうじてコインをくわえたものの、空中でバランスがとれずに四本の足をバタバタさせていた。猫のくせに着地が下手くそだ。華麗に着地したというより、ただ単に地面に落ちただけ。
なのに、鮮やかに技を決めたがごとく得意げな顔で、コインをくわえたまま私のほうへ走ってくるじゃないの。そして足もとにポトリとコインを落とす。後ろでヒュー博士がお腹を抱えて笑っていた。
つぶらな瞳でじっと見上げるアンバーは、見るからに褒められ待ちだ。そればかりかワクワクした顔に「もっと遊びたい。また投げて」と書いてある。でも、ここは「取ってこい」をして遊ぶ場所じゃないのよ……。どうしよう、これ。
ところがここで、ジャグラーが思ってもみない行動に出た。観客に向かってアンバーを紹介するかのような手振りをしてから、拍手をしながら叫んだのだ。
「アンコール!」
観客もジャグラーに同調した。拍手しながら、口々に「アンコール!」と叫ぶ。えええ……。アンコールって、何のこと? 何を期待されてるの?
戸惑っている私の耳もとで、ライナスが「ほら、早くコインを投げて」とささやいた。なるほど、それか。
私が再びコインを投げると、アンバーは助走をつけて跳躍し、またもや空中でコインをくわえた。その瞬間、観客からドッと歓声と拍手がわき起こった。やっぱりアンバーは空中でうまくバランスがとれないようで、バタバタと四本の足を犬かきをするみたいに動かしている。不格好ながら、何とか着地を果たした。再び拍手が大きくなる。
知らない人間に近寄られるのは嫌がるくせに、知らない人間からでも褒められれば気分がいいらしい。アンバーはさっきにも増して得意げな顔で、しっぽをピンとまっすぐ上に立ててコインを持ってきた。
でもアンバーの遊びに付き合っていたら、きりがない。ひじでライナスをつつくと、コインを拾って投げ銭用の器に入れてきてくれた。投げてないから、アンバーも飛びつかない。でも「もう終わり?」とでも言いたげに、ちょっと不満そう。
かと思ったら後足で立って伸び上がり、前足を広げて抱っこを要求してきた。抱き上げたところ、再びジャグラーがアンバーを手で指し示し、拍手をする。観客は笑いながら拍手に同調し、コインを投げ入れていた。
さっきよりもコインの数が多い気がする。
もしかして、アンバーが飛びつくのを期待しているのだろうか。でも残念ながらアンバーは、知らない人とは遊ぼうとしない。チラリとジャグラーのほうへ視線を向けると、彼はウインクしてからきれいにお辞儀をしてみせた。私は会釈を返して、その場を離れた。
街歩きに戻り、ヒュー博士は笑いながらジャグラーを振り返った。
「あのジャグラーは、うまいねえ」
「そうですね」
ジャグリングの芸のことだと思って同意したけれども、すぐに自分の勘違いに気づいた。今の褒め言葉は、たぶん、ジャグリングについてのものじゃなかった。アンバーが引き起こしたハプニングへの対応について褒めたのだ。
確かにあれは、うまいやり方だったと思う。
私が気まずくならないよう、助け船を出してくれた。それでいて観客を楽しませ、そればかりか投げ銭も増やした。誰もがしあわせになれる、気の利いたパフォーマンスだった。
けれどもこの後はもう、私が大道芸にコインを投げ入れることはなかった。代わりに、ライナスに入れて来てもらう。フォローが必要になるような事故なんて、そもそも起こさないのが一番いい。
 




