01 魔王城、中庭 (1)
ライナスを封印解除してから一夜明けた現在、私とライナスはまだ魔王城にいる。
せっかくの機会だから、この際に調べられるだけ調べ尽くしてから帰ろう、とライナスが言うからだ。食料は多めに持ってきたから、しばらく滞在してもたぶん大丈夫。
昨夜のライナスは、封印を解いた後から寝るまでずっと、私の後ろをついて回っていた。まるで親鳥の後ろをついて歩くひな鳥のように。もちろん力仕事は引き受けてくれるし、野営の準備だってほとんどライナスがしたようなものなのだけど、とにかく私から離れようとしない。
「どうしたの?」と尋ねると、何も言わずに抱きついてきて首筋に顔をうずめ、ぐいぐい頬ずりをしてくる。とんだ甘えん坊だ。
そんなふうに甘えたくなるくらい、いやなことがたくさんあったのだろう。何しろ封印されちゃったほどだ。何もなかったはずがない。きっとそれを、ひとりでずっと我慢してきたのだろう。そう思うと突き放す気にはなれず、ライナスの気が済むまで好きなようにさせておいた。
でもひと晩ゆっくり休んだら、ライナスも気持ちが落ち着いたらしい。今日はもう普通だ。
朝食をいただきながら、私はライナスが王都に発った後のことを話した。
ご領主さまは週に数日、店の手伝いをする人を寄越してくださった。それとは別に、見回りの人も頻繁に寄越してくださっていたようだ。もともと治安のよい村ではあるけれども、おかげで物盗りに狙われたりすることは一切なかった。
ライナスが留守の間も、私の生活は特に変わりはなかった。
ただし一応念のため、必要ならいつでも旅に出られるよう、小さく荷物をまとめておくようになった。
魔王封印の知らせがあったときも、まだそれほど心配はしていなかった。
封印水晶が使用されると、魔王や勇者が覚醒したときと同じように空の色が変わり、世界中の人々へ同時に知らされる。
魔王が覚醒すると、地響きのような音とともに空が赤黒く染まる。
勇者が覚醒したときには、空から光の粒が舞い降りてくる。
封印水晶が使われたときには、魔王が覚醒したときのように空が赤黒く染まっただけでなく、あちこちに雷光が走り、赤黒い血の雨が降ったようなまがまがしい幻影が現れた。あのときは魔王の断末魔なのかと思ったものだが、今にして思えば封印すべきでないものを封印したことに対する天の怒りが示されていたのかもしれない。
魔王が封印されたにもかかわらず、すぐにライナスが戻って来なかったときにも、まだ私はそこまでは心配していなかった。指輪を使って帰っておいでとは言ったものの、ひとりだけさっさと帰ってくるわけにはいかない事情もあるだろうことは、十分予想できたからだ。
でも、ライナスとお姫さまがよい仲になったといううわさが聞こえてくるようになり、初めて何かがおかしいと思い始めた。真剣に旅支度を始めたのは、このときだ。ご領主さまにも、ライナスにもし何かあったなら助けに行きたいと相談したところ、野営に必要なものを教えてくださった上で、すべて用意してくださった。馬を二頭も融通してくださったのも、ご領主さまだ。
そしてついに、ライナスがお姫さまを連れて里帰りした。
本当なら私も彼の帰還を祝う宴に招かれるはずだったのだろうが、招かれなかった。その代わり、ご領主さまから手紙が送られてきた。そこには、こう書かれていた。
『ライナスは末の王女殿下と婚約した。きみに贈られた指輪を返却したかったが、姫君との婚約のために外した後、なくしてしまったそうだ。申し訳ない』
ご領主さまは、私たちの結婚指輪が神殿で祝福されたものだとご存じだ。
にもかかわらず、こんな文面の手紙を送ってきたのは、万が一にも内容がお姫さまたちに漏れても困ったことにならないようにとの配慮だと思われた。伝えたいことはただひとつ、帰還したライナスの指に結婚指輪がないということだけだろう。
だから私は、あのライナスのニセモノに会う前から、やつがニセモノであることを知っていた。
知っていてもなお、ライナスとまったく同じ顔と同じ声を持つ男と会い、その手に指輪がないのを見るのは何とも言えないものがあったけど。
あの男は何者なのか、本物のライナスはなぜ戻って来ないのか、一緒に討伐隊に参加していたお姫さまはなぜニセモノに疑問も持たずに寄り添っているのか、私に封印解除のスキルが授けられたのはなぜなのか。
疑問点を挙げて考えれば考えるほど、最悪の筋書きが見えてくる。
そして指輪に願ってライナスのもとに送ってもらった私は、まさにその最悪の事態を目の当たりにすることになったのだった。
私の話を聞き終わると、ライナスはほっと安堵の息をついた。
「じゃあ、父さんたちももう事情はわかってるんだね?」
「うん。きっとうまく立ち回ってくださってるはず」
必要とあらば私の失踪も、適当に証拠をでっち上げた上で死んだかもしれないことにして処理してくださっているはずだ。村で唯一の薬師がいなくなって申し訳ないけど、多めに在庫を残してきたので何とかそれでしのいでほしい。
それにしても、あのお姫さまはきれいだった。
これぞ本物のお姫さまという感じで、まるで絵本から抜け出てきたかのように可憐なひとだった。────などという素朴な感想をうっかり口にしてしまったところ、どうやらライナスの逆鱗に触れたらしい。
「全然きれいじゃない。人間の皮をかぶった魔獣みたいな人だよ」
この上もなく不機嫌そうな顔で、うなるように低い声で言い放つものだから、その剣幕に思わずたじろいでしまった。ライナスが私に対してこんな声を出したことは、今まで一度もない。
でも彼はこのお姫さまに裏切られて封印されるという憂き目に遭っているわけで、そんな人の容姿を褒めるなんて、確かに配慮が足りなかった。
私はしょんぼりとライナスに謝った。
「無神経なことを言って、ごめんなさい」
「違う、フィーに怒ってるわけじゃない」
ライナスはハッとした表情になると、あわてて首を横に振った。
それからライナスは、遠征中のお姫さまの言動を詳しく語って聞かせてくれた。
お姫さまは、想像をはるかに越えたすごい人だった。もちろん悪い意味で。それをライナスは一年近くも間近で見続けてきたのだ。容姿よりも中身の醜悪さのほうが印象に残ってしまうのも無理はない。
きっと大変な思いをしているだろうとは思っていたけれども、私が想像していたのとはまるで違う方向性での大変さだったらしい。
ライナスは子どもの頃にいじめられていたせいか、もともと少し人間不信気味というか、軽く人嫌いなところがあり、あまり社交的な性格ではない。にもかかわらず、遠征中ずっと人間関係の気苦労に悩まされ続けていたみたいだから、それはもうつらかったに違いない。
かわいそうに。何だか少し甘やかしてあげたくなった。よしよし。




