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01 プロローグ (1)

 魔王を倒した勇者ライナスは、私の幼馴染みだ。

 共に将来を誓い合った仲でもある。


 確かにそのはずだった、のだけれど────。

 二年近くに及ぶ魔王討伐から凱旋してきたライナスは、私の知っている彼とはまったくの別人になってしまっていた。


 実を言うと彼はこれまでに二回、まるで別人のように人が変わったことがある。

 けれども三回目の今度こそは、ついに本当に別人になってしまったのだった。


 彼が変わってしまったらしいことは、実際に会う前に新聞記事から知っていた。

 魔王討伐に聖女として参加していらした王女さまと婚約の話が進められている、という記事だ。


 とはいえ新聞記事などというものは、言ってみれば他人からの伝聞にすぎない。だから実際に本人の口からはっきりしたことを聞くまでは、何とも言えない、と思っていた。

 けれども最終的に、本人の口から直接聞いちゃったわけだ。


「フィミア、ごめん。旅の間に姫に命を救われて、それで……」


 なるほど、なるほど。

 手紙のひとつでもくれれば十分だったのに、やつはわざわざ私の家までやってきた。きちんとけじめを付けようとするその姿勢は評価しよう。けど、何もやんごとなきお姫さまとそのお供までをぞろぞろ引き連れて来なくてもよくないか。

 まあでも、穏便に別れたことの証人がたくさんいると思っておけばいいか。


「うん。こうなるような予感はしていたの。きっといろいろあったんでしょう?」


 だって、やつが別人になってしまったのなら、私も別に未練はない。

 笑顔で別れを受け入れたことを、ちゃんとみんな目に焼きつけて行ってほしい。

 だから二人に対して私は、心からの祝福の言葉を贈った。


「別に謝ってくれなくていいから。どうぞお姫さまとお幸せに」


 ただし「元気でね」とは言えなかった。心にもないことは、言えないたちなのだ。

 今後やつが元気で過ごそうが、そうでなかろうが、私にはどうでもいい。


 私はライナスの左手の薬指に、ちらりと視線を向けた。果たしてそこに、指輪はなかった。魔王討伐に出立する前に私が渡した、手作りの素朴なビーズ細工の指輪。以前のままのライナスならば、この指輪をしていないなんてありえない。

 ああ、本当に別人になってしまったのだな、と私は虚無感に襲われた。


 ライナスたちの一行が帰っていくその後ろ姿を、完全に見えなくなるまで私はじっと家の前で見送った。

 別に、なごり惜しかったからじゃない。ちゃんとひとり残らず全員ここから立ち去ったことを、この目でしっかり確認したかっただけだ。ライナスは一度も振り返らなかったけど、王女さまだけが一度ちらりと振り返った。一応、お辞儀をしておいた。


 愁嘆場をさらしたりせず、穏便にきれいに別れたからには、多少は時間に余裕があるだろう。

 すぐに私を始末しに来たりはしないはずだ。

 でも、あまりゆっくりしている暇はない。


 こんなことになるのじゃないかと思って、前から少しずつ準備しておいてよかった。

 急がなくちゃ。旅支度を。



 * * *



 ライナスは私より一歳上で、この辺り一帯を治めるご領主さまの次男だ。

 ご領主さまは貴族だけど、たぶん貴族としては決して裕福なほうではない。暮らしぶりは、貴族にしては非常に慎ましかった。でも領民の話をよく聞いてくださるご領主さまは、領内ではとても慕われている。


 ライナスには五歳上のお兄さまがいて、ご領主さま似の優秀なかただと評判だ。

 お兄さまは背が高くがっしりとした体つきで、男らしい風貌だ。なのにいつもにこやかで人なつこいからか、いかつい印象はあまりない。誰にでも親切で優しく、だから当たり前だけど老若男女を問わず人気があり、特に若い女の子たちはみんな夢中みたいだった。


 ライナスも背は高い。

 ただし顔立ちはお兄さまとはまったく違い、お人形みたいにきれいな顔をしていた。


 家柄がよく背が高くて美形だというその条件だけ聞けば、いかにも女の子にもてはやされそうなものなのだが、現実は無情だ。幼い頃のライナスは、男の子からも女の子からもいじめられる存在だった。


 理由はいくつかあるけれど、まず足が遅い。運動神経が鈍いのだ。

 背が高いくせに、走るともたつくし、すぐ転ぶ。その上、泣き虫ときた。

 子どもの遊びなんて、運動神経がすべてだ。もたもたとしか走れず、簡単に転んでは泣くライナスは、誰からも馬鹿にされていた。


 鈍くさいくせに短気なのも、馬鹿にされる理由のひとつだった。

 足の遅いことをからかわれると、すぐにカッとなって手を振り上げる。しかし鈍くさいので、その手を振り下ろしても相手がよければ当たらない。追いかけようとしても、足が遅いので追いつけない。しかも転んで、そして泣く。


 手出しできないと口で攻撃しようとするのも、馬鹿にされた。

 ライナスは、興奮するとどもってしまう癖があった。頭に来て言い返そうとしているときに冷静なわけがないので、当然どもりまくる。それを真似してからかわれれば、さらに頭に血を上らせていた。

 そして手を振り上げ────、以下省略。


 極めつけは、ブラコンだ。

 何しろ自分に勝てる要素が全然ないから、相手に何か自慢しようとするとお兄さまを引き合いに出すしかない。泣きながら真っ赤な顔をして「ぼ、僕の兄さんは、す、す、すごいんだぞ!」と叫んでも、誰も感心してくれないし、それどころかさらに馬鹿にされるネタとなるだけだ。

 もう、目も当てられない。


 いくら顔立ちがきれいだって、しょっちゅう泣いて歪ませていたら台なしだ。むしろ「女みたいな顔」と、からかいの種になるだけで、ちっともよいことはなかった。


 ご領主さまは下の息子が村の子どもたちの嘲笑の的になっていることは、たぶんご存じだったと思う。でも「子どものけんかだから」とおっしゃって、いじめっ子たちの親をとがめるようなことはなさらなかった。いじめる側が出すのは口だけで、手を出そうとするのはむしろライナスのほうだったこともあっただろう。


 そんなふうに情けなくて、どうしようもなくみっともないライナスだけど、だからといってことあるごとに寄ってたかっていじめられているのは、見ていて気分がよいものではなかった。


 そういう場面に出くわすと、ライナスのあまりの情けなさに呆れてため息しか出ない。はやし立てる子どもたちを無視して歩み寄り、私はライナスにハンカチを差し出したものだ。


「いい加減にしなさいよ、いつまで泣いてるの。ほら、鼻かんで」


 そうすると罵る言葉が「女にかばってもらう、情けないやつ」と変わる。うんざりしながらいじめっ子たちに軽蔑の視線を向ければ、今度は「うわあ、こわい女!」と今度は私が標的になった。男の子たちははやし立てながら逃げていくし、女の子は馬鹿にしたようにくすくす笑いながら聞こえよがしに「お似合いね」とささやき合っていた。


 私は決してライナスに優しい態度で接したわけではないけれど、それでも彼は素直にハンカチを受け取り、涙を拭いて鼻をかんだ。のろのろと立ち上がると、しゃくり上げながらぼそぼそと「あ、あ、ありがとう」と礼を言う。


 こんなとき、たいてい彼はどこかしらけがをしている。転んで膝をすりむいていたり、どこかを打ち付けていたり。


「うちに来るなら手当してあげるけど。どうする? それとも帰る?」

「いく」


 私の両親は薬師で、家は村でただひとつしかない薬屋だ。

 私が家に向かって歩き出すと、その後ろからライナスはとぼとぼとついて来る。鼻をすする音は次第に間遠になり、だいたい家に着く頃には彼の涙はとまっていた。


 私には三歳下の弟がいる。

 この弟はライナスが大好きだった。弟とライナスは四歳の年齢差があるけど、精神年齢はちょうど釣り合っていたのじゃないかと思う。ライナスは図体が大きい割に、中身が幼かったから。


 ライナスが我が家に来ると、弟は大喜びでライナスにまとわりつく。ライナスはライナスで、いやな顔を見せることなくいつまででも弟と遊んでやっていた。相思相愛の仲だ。

 弟の面倒を見なくてよくなる私にとっては、大変都合がよかった。


 こうして何度か家に連れ帰るうちに、私はすっかりライナスに懐かれた。自分より年上の男の子に「懐かれた」と言うのはおかしいのかもしれないけど、あれはもう懐かれたとしか言いようがない。


 ライナスが家に来たときには弟の相手をさせて、たいてい私は窓際で本を読んでいた。

 ライナスは弟の遊び相手というより、まるで下僕のようではあった。弟を背中に背負って走り回らされたり、いいようにこき使われていた。息が切れるほど弟にこき使われていても、ライナスは機嫌よく弟の相手をしてくれる。


 あまり弟のわがままが過ぎるときには、さすがに私も叱ろうとするのだが、ライナスはにこにこして「いいよ」と言う。もしかしたら彼は、自分がお兄さまにそんなふうに遊んでもらったことがあるのかもしれない。憧れのお兄さまになりきったつもりで、弟に対して同じように振る舞っていたのだろうか。


 二人をほったらかしで自分の好きなことをしている私は、ほんの少しの罪悪感とともにときどき窓から外を覗く。そうすると二人はいつも、歓声を上げて私に向かって大きく手を振った。手を振り返してやれば、それだけで二人とも満足する。


 両親は、ライナスがしばしば我が家に出入りしていることについては、特に何も口出ししなかった。

 ご領主さまの子だからといって特別な歓迎をすることがない代わり、入り浸っても迷惑がったりはしなかった。ただ普通に、自分の家の子と同じように扱った。昼前から家に来ていれば、いつもと変わらない昼食を出したし、おやつを作ったときには同じものを食べさせた。


 やがてライナスは、私が連れ帰らなくても自分からうちに来たいと言い出すようになった。

 日曜学校が終わると私のところへやって来ては、頬を染めてもじもじしながら「今日、遊びに行ってもいい?」と聞いてくる。乙女か。


 私たちの村には、日曜学校というものがある。

 他の村ではあまり見ないものらしいけれども、ご領主さまの肝いりで運営されている。日曜日になると神殿に子どもたちを集め、神官さまが読み書きや計算を教えてくださる。それだけでもありがたいのだけど、さらにありがたいことに日曜学校に参加すると昼食が振る舞われるのだ。貧しい家の子などは、勉強よりもこちらが目当てで通っていると言っても過言ではない気がする。


 ライナスは日曜学校になど通わなくても自宅できちんと教育を受けられるはずなのに、なぜか休まず毎回通っていた。いじめっ子たちの標的になるとわかっていても、決して休まない。泣き虫のくせに、こんなところにだけ変に根性がある。

 ただし、学校が終わると毎回私の家に来たがるところがいただけない。


 そんなふうに女の子の家に遊びに行こうとするから、よけいにからかわれるんじゃないのか。

 そう指摘してやると、少しムッとした顔で「別にいい」と言った後、急に不安そうな顔をして尋ねてくる。


「行ったら迷惑になる……?」

「別にいいわよ」


 からかわれたり、はやし立てられたりしたときに、私だってまったく何も感じないわけではないけれども、それに屈して自分の行動を曲げるほうがもっといやなのだ。


 ただ、ライナスがうちに来てすることと言ったら、弟と遊ぶことだけだ。だったら私に聞くより直接弟に声をかけたほうが、からかわれるネタにされにくいのじゃないかと思うのに、何度からかわれても割と性懲りなく「行ってもいい?」と私に尋ねる。こういうところは、妙に頑固だ。


 そのうち日曜学校の後だけでなく、しょっちゅう我が家に入り浸るようになった。

 ご領主さまからすると、我が家がライナスを預かってくれているという解釈なのか、ちょくちょく彼は手土産を持たされていた。焼き菓子だの、燻製肉だの、瓶詰めの魚だの、いただいてありがたい食品が中心だ。さすが気配りのできる奥方さま。


 それとはまた別に、いつの間にかライナスは私を懐柔する方法を身につけていた。

 どういうことかと言うと、新しい本を持って来るのだ。ライナスが家に居たって全然相手をしてやらないくせに、彼が持って来て貸してくれる本はとても楽しみにしていた。我ながら現金だと思う。


 庶民にはあまり学ぶ機会のない魔法も、ライナスが持ってくる本のお陰で学べた。

 私には魔法の適性が多少はあったようで、回復魔法や解毒、浄化といった支援系の魔法を中心に、初級から中級までの魔法をいくつか覚えた。


 気がついたら、ライナスの姿が我が家にあるのがすっかり日常となっていた。あの忘れたくても決して忘れることのできない忌まわしい事件が起きたのは、そんな日常の中でのことだった。

 私が十四歳、ライナスが十五歳のときのことだった。

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