9.少女
日曜日。たまの休日を家で堪能しようと思ったら、ノートを補充するのを忘れていた。
別に今すぐ行かなければならないという用事でもないし、何なら学校のある日に一日やり過ごして、帰りに買えばいい……のだけれど、体は動かせるときに動かさねば。健康第一。睡眠第二。
"思い立ったが吉日"のことばを忠実に遂行するために、さっと着替えて出発した。
差し込む日光が白く照らす路面をとことこ歩く。目的地は駅前の本屋。品揃えが悪くないし、なにより近い。
平日より多くの人が行き交う通りのなかへ、わたしもいち一般人として混ざっていった。多いといっても、かせい市は地方の都市だから、都会のそれに比べれば密度はすかすかに違いないだろう。
いくつかの右左折と信号を経て緩やかな長坂を下れば、かせい駅が見えてくる。
路線の数こそ少ないものの、ショッピングモールが複合したそこそこ大きな駅だ。上方はあらゆる方角の歩道に通じる広場となっていて、下がバスターミナル。その停留所のそばには、色んなお店や建物が面している。
「居酒屋、定食屋、花屋……」
さすがに、短期間で入れ替わっている物件はなさそうだ。いや、でも待った。確か、一件空きテナントがあったはず。
気になったなら確かめよう。どうせ、もののついでだ。
円周上になっているエリアをぐるっとまわり、端から端の方へ到達して。
「埋まってる」
わたしが覚えていたそのスペースは、きめ細かい、いかにも高級そうな、紫の分厚いカーテンで閉じられていた。ということは誰か、あるいはどこかが入っているらしい。だって以前は、窓ガラス越しに、真っ白けの空虚な部屋と、剥き出しになった配線が見えていただけだったから。
しかし、どういうお店なのか、そもそもお店なのかまったく分からない。看板も何もないのだ。駅前だから、まさかアヤシイお店ではないと思うけれど。
「いったい何が……」
「コンニチハ!」
「うわぁっ!?」
突然背後から声をかけられた。窓に気を取られていて、まったく気が付かなかった。
振り向くと、お嬢様学校を思わせる、仕立ての良い臙脂のブレザーに身を包んだ女の子が姿勢よく立っていた。背丈はわたしの頭一つぶんほど低く、おそらく年下。
「えっと、こんにちは」
「おねえちゃん、こんなところでどうしたの?」
「いやー、ここどんなお店が入ったのかなって」
なぜか答えがしどろもどろになってしまった。すると女の子は、見事な橙色の髪を揺らしておかしそうに笑った。
「お店というか、ワタシの家だよ」
「あ、そうなの」
まさかの住居であった。こんな場所を住居として使っていいのか甚だ疑問なのだが、まぁ、そういうこともあるだろう。
となると今度は内装が気になる……なんて考えていたら、女の子がこちらをじっと見つめてきた。なんだか最近、よく見つめられる。
「おねえちゃん、なんてお名前?」
「刈谷、未紗だけど」
聞かれたので、ちゃんと本名で伝える。相手はわたしより小さい女の子だから、まさか悪用されることはないだろうといったら楽観的か。
「ミサね。記録したわ」
「そちらは?」
わたしも興味本位で訊ねてみた。すると彼女は、緑に輝く大きな目をゆっくり閉じて、しばらく考え込む。
そして、今閃いたといった風に快活に言った。
「マリカ! ワタシ、マリカっていうの」
「いい名前だね」
「でしょ」
というか、何か聞き覚えあるような。
ともかく、マリカは微笑みを絶やさぬまま、人懐こい可愛らしさで頷いた。
「そうだ。ここで会ったのも何かの縁ということで」
手を出して、と言われる。素直に差し出したら、マリカの小さな手がわたしの掌の上にぽんと乗った。
見ると、銀の包み紙で覆われた丸いもの。開けてもいいかしらと目で問うと、どうぞというお返事。
出てきたのは、アメだった。透き通った紅色だ。
しかし、なぜアメ?
疑問符を浮かべているわたしに、マリカは、同じものを口に放り込んでから教えてくれた。
「このアメ、ついこのあいだ会ったおねえちゃんからもらったの。おいしかったから再現してみたんだ」
「へぇ」
「じゃ、また会えたら、そのときはヨロシクね」
「あ、うん。バイバイ」
どうやら自宅に帰るわけではないらしく、マリカはそのままさっそうと広場へ向かって離れていった。
「元気な子だなぁ」
踊るようなステップを眺めながら、もらった飴玉をわたしも口に含む。レモンとは違う独特の甘酸っぱさ……梅味とは、だいぶ渋い線を行っている。
喉につっかえないよう注意しつつ、改めて、本来の用向きである書店へ行こう。