14.会話
消えてしまった。刈谷さんが。
以前の私ならば気づかなかったかもしれないが、来座さんに教えてもらった今なら分かる。
この状況は、はっきり言って「異常」だ。
でも、どうすればいいんだろう。追いかけるにしても、どこへ? どうやって?
「居田毬花さん」
途方に暮れていたら、背後から声がかかった。振り返ると、あまり見覚えのない、自分より一回り背の低い女の子が立っていた。
見覚えはなくても、彼女のことは知っている。学校のちょっとした有名人だから。
「藤堂さん」
藤堂巡さん。彼女が了承したことなら、お願いされたことはほぼほぼ解決してしまう、先生からの評判は言うまでもなく生徒からの人気も軒並み高いひと。
そんな藤堂さんは今、話に聞く女神のような穏やかさというよりは、人生を悟ってしまった仏様のような静けさを湛えていた。
なぜ藤堂さんが……いや、そんなことを気にしている場合じゃない。刈谷さんを追いかけなければ。
私にどうにかできるとは思えないといえば、そうなのだけれど。
「藤堂さん、おかしなことを言うようだけれど、その、刈谷さんが連れて行かれたの。いま、目の前で」
「うん、わたしも見た。でも、大丈夫」
「大丈夫って」
「場所も、分かってるから、ちょっとだけお話しよう?」
あまりにも落ち着き払っている藤堂さんの言動は、私の苛立ちを募らせる一方で、不思議と安心感も与えた。
焦っていても仕方ない。彼女の言葉を信じて、ひとまず深呼吸して落ち着こう。
と、私が呼吸を整え終えた途端に、藤堂さんはこちらを一瞥してから大通り目がけてたっと歩き出した。急いで、ついていく。
冬休みの、真昼の空の下、日差しは温かく空気は冷たい。道を行きかう人たちは、当然ながら知らぬ顔で、各々の用事に没頭していた。
あまりに、日常だ。街を徘徊しているらしいペンギンも、校舎の屋上の射的も、友達を連れ去る謎の女の子も、そこには見当たらない。
妙な気分だ。
「……智代ちゃんから聞いたことはない? 未紗ちゃんが宇宙人にさらわれる夢を見たって」
小さくない興奮と緊張で思考が漠然としているところに、一歩先を行く藤堂さんの声が耳朶を打った。
予想していなかった角度の話題に少し混乱したけれど、確かに覚えている。
「ええ。刈谷さんと一緒に聞いたわ」
「それが、理由だよ。未紗ちゃんが安全な理由」
来座さんの予知した夢は絶対に実現しない。それは彼女の言葉を信じればこそで、たとえ信じていたとしても、本当に刈谷さんが安全である理由の証拠にはなりにくい。
「ごめんなさい。まだ、納得できない」
正直にそう伝えた。つもりだった。
「あれ?」
さっきまで視界にとらえていたはずの藤堂さんが、いつの間にかいなくなっている。都会ならいざ知らず、見失うような雑踏ではなかったのに。
「こっち」
自分の位置を示す声が、隣で聞こえた。反射で振り向くと、果たして藤堂さんは私の傍に佇んでいた。
速すぎる……というより、まるで初めからそこに在ったかのようだ。
つまり、尋常ではない。
「わたしこそ、ごめん。これから話すことも、心の底からあなたを納得させることはできないから」
「それでも、聞かせて」
知らなくては。どんな突飛な内容だとしても。
私の頼みに、藤堂さんは申し訳なさそうに微笑んで、頷いた。
「わたし、"跳べる"んだ」
「現在、過去、未来。それと、空間的な近くから遠くまで。どこにでも存在できるようになっちゃった」
いつの時代にも、どんな場所にもワープできる。
もはや驚く気力もないと思っていたのに、改めてスケールの大きさに打ちのめされる。
「どうして、その、力に目覚めたの?」
「きっかけなんて何もなかったよ。小さい頃、気が付いたら、あっちこっちに跳んじゃってた。砂漠の真ん中、雲を高く突き破っちゃう山、知らない人と街の中、海に放り出されたこともあったなぁ」
「……今でこそ制御できるようになったけれど、ほんとうに怖かった。なにより、自分を見失っちゃうことが」
ぽつりと零した彼女のその言葉は、察するに有り余るものだった。突然、人としての境界線を失ってしまう心細さは、少なくとも今の私では、到底はかり知ることなんてできない。
「そんな、どうしようもなくて、ずっと泣いてたときに、未紗ちゃんが助けてくれたんだ」
「それは、刈谷さんにも不思議な何かが……?」
私の推測に、藤堂さんはゆっくり首を振った。
「はっきりとは分からない。ただ、そのとき『一緒に遊ぼう』って誘ってくれた。それだけで、救われちゃった」
もし、私にも。己の手を差し伸べたことで、劇的に救われる人がいたなら。
二人には申し訳ないけれど、少しだけ、羨ましいと思ってしまった。
「話が脱線しちゃったね。えぇと、結局、言いたいのは、智代ちゃんの予知は本当だってこと」
「……来座さんの予知夢の内容は、時空間を跳躍できるあなたでも観測することができない。だから、刈谷さんは無事」
時空間とか世界とか、そうした諸々がどう進行しているかはまったく曖昧だし、抽象的にもほどがある話だが、要するにそういう結論になるのだろう。
「その通り」
「でも、さっき正に連れて行かれたんじゃ?」
「すごく感覚的な話になっちゃうけど、そこが定まった未来の分岐ではないっていう感じかな」
まぁ、そうなるか。
あとはなぜ、刈谷さんがさらわれたのか。非常に気になるけれど、今はそれ以上に。
「たとえ安全なのだとしても、やっぱり刈谷さんの迎えを優先しましょう」
「まだまだ尽きない疑問の解決は、それからでも遅くないと思うから」
つと、視線が交わる。藤堂さんは初めて、噂通りの柔らかい表情で、笑って頷いた。
「じゃあ、手を出して」
言われるまま、手を差し出した。
すると、神様と違わない力を持つとは思えない細い両手が、私の手を包みこんだ。
優しさにあふれた温もり。
麻酔のようなじんわりしたその温かさは、道行く人々をかき消し。音を虚空へ追いやって、周囲や遠景を明るい灰色に溶かしていく。
こんな景色を、ずっと一人で見ていたのだろうか。
「さぁ、行こう」
促されて、藤堂さんと一緒に、一歩を踏み出す。
阻まれた視界が再び開けて、靄が爆発にさらされたかのように勢いよく吹き払われる。
何もないところから、日常の、現実の世界が染み出して、絵具のようにあたり一面に街と自然の色が塗り込められ、光が差し込み、音がいのちを取り戻していく。
私たちが立っていた場所は、駅前を抜けた河川敷だった。