1.放課後
「これで、よし」
特になし。日誌の"今日あったこと"という欄をそう埋めて、紙面をパタリと閉じた。
授業が終わって、夕方。空はまだ少し明るいけれど、まもなく暗がりを帯びてくるだろう。秋が冬の支度に取りかかっているのだから。
なんとなく、教室をぐるりと見まわしてみた。珍しいことに誰もいない。いつもは、居残って会話をしたり何かの作業をしている生徒がちらほら目につくはずなのに。
今この場に自分一人だけ。その事実が、わたしの鼻をくすぐった。
「ふぁ……はっくしゅ!」
あや待たず、派手なくしゃみが出た。
体調の如何に関わらず、たださみしさを感じると、どういうわけかくしゃみが促される。物心ついた時には、そんな体質になってしまっていた。
医者にかかって治るものでもなく、別段困ることがあるわけでもなし。だから、気にしてはいない。いないのだが……。
目が合った。戸口に立つ女の子と。
シャープな弓を描く瞼の下の、丸い瞳。愛らしさとつめたさの入り混じった不思議な感じ。例えるなら、猫が近いのだろうか。
くしゃみを見られたわたしの気恥ずかしさなど構わず、女の子はさっと自分のものらしい机から忘れ物だろう教科書を取り出して、バッグに収めた。
そして、再び戸口へ。
そのまま去っていくのかと思ったら、一瞬足を止めて、こちらに振り返ってきた。
「おだいじに」
淀みない声が紡がれる。もしここに幽霊みたいな存在がいて、あのひとがそれに話しかけているのでもなければ、その言葉は間違いなくわたしに向けたものだった。
どう答えたものか。困ってしまい、わたしはかろうじて頷くばかり。
すると彼女もゆっくり頷き返して、今度こそ教室を出ていった。
「はぁ」
動きに合わせて揺れる、きれいに纏められたポニー・テールを見送る。
わたしも、さっさと帰ろう。
日誌を教卓へ置き、バッグを提げて。抜かりなし。
最後の仕事に、教室の明かりを落とした。
パチリというスイッチの音が、やけに大きく響いた気がした。