えっせ
昔、母が夜中に私を起こして泣きながら、こう言ったのをよく覚えている。
「パパに、セックスしようって言われた」
私は小学生だったが、セックスという言葉の意味は知っていた。しかし言葉とその意味を知っているだけで、詳しいことは何も知らなかったので、どう答えてあげればいいのかはまったくわからなかった。
今から思えば子供にそんなこと言うなよと思うが、私は感謝している。母は私に考えることのタネをくれた。今でもどういうことだったのかと、考える。
父は愛人を囲っていた。母より若くて綺麗な人で、子供の私の目にはお姫様のように見えた。話しかけられた記憶はあるが、何を言われたのかは憶えていない。近寄り難い感じがして、私はいつも距離を置いて眺めていた。彼女のことは母も公認だった。泡の国のお姫様が沢山いるお店に勤める人で、父はその店に行くと大抵「行って来た」と母に笑顔で報告していた。
母はまるで大切なお客様をもてなすように彼女に接していた。
そんな美しい彼女もいる父からセックスを求められて、母はなぜ泣いたのだろう。父に会ったことのある同級生は「怖い」と皆が言っていた。挨拶をしたら無言で睨まれたのだそうだ。偉そうな職業に就いていることからのイメージも手伝って、確かに怖そうに見えるかもしれない。しかし、私が家業を継ぐことを拒んだ時、父は怒ったりしなかった。根は優しい人なのだと思っている。しかし母はセックスを求められて泣いた。
暴力でもふるわれたのだろうか。私は今、考える。それならば寝ていた私もさすがに悲鳴や怒声を聞いて起きたはずだ。
私は1人っ子だ。
母は私の後に子供を産まなかった。跡継ぎが必要なら男の子を作ればいいのに。なぜなのだろうと不思議に思う。アルバムには赤子の私を抱いて笑顔の母が確かに写っている。
私は今、時々考える。
私は本当に母の娘なのだろうか。