第52狐 「修学旅行は恋の予感」 その8
「それでは皆さん。食事お楽しみ頂きながら『慈母天狐』様の伝承をお聴きください」
社務所の隣にある広い和室にお膳を並べ、皆豪華な昼食に舌鼓を打ちながら神主さんの語る物語に耳を傾けます。
慈母天狐様の伝承は、狐変化族と狸変化族との固い絆が結ばれたお話でございます。
「それでは……『雪原に佇む』でございます」
年配の神主が深々と頭を下げ、物語を始めました。
────
「父ちゃん寒いね」
「ああ、寒いな」
「なあ父ちゃん、母ちゃんは何処に行ってしまったんだい」
「ぽん太。母ちゃんはなぁ、遠くに美味しい物を探しに行っているんだよ」
「ふーん」
枯れ木に隠れた洞穴に、二匹の獣の影が並んでいる。
雪に閉ざされた野山を眺める為に、暖かい穴の奥から出て来たのだ。
「何もいないね」
「ああ、何もいないな」
「なあ、父ちゃん。こんな時はネズミや虫たちは何処に居るんだい」
「さあな。雪の下にでも隠れているんじゃないか」
「ふーん」
二匹はしばらく雪原を眺め、穴の中へと戻って行った。
「ぽん太。この雪が溶けて色んな虫や動物が出てきたら、お前は独りで狩りをするんだぞ」
「ああ、大丈夫だよ父ちゃん。こうやって獲るんだろ」
体がそれ程大きくない若い狸が、石ころに飛びつき狩りを真似る。
そうかと思えば、それを見守る父ちゃんに指先を向けグルグルと回し始めた。
「どう? 父ちゃん目が回った?」
秋にトンボの獲り方を教えた事を思い出し、父ちゃんは切れ長の目を更に細めて微笑んでいた。
「なあ父ちゃん、母ちゃんはこんなに雪が降っていたら、帰って来られないんじゃないのかい」
「そうだな。でも母ちゃんは、お前の為にいっぱい食べ物を獲ってくれているはずだよ」
「そうなのかい! 何だか嬉しいな。でも、母ちゃんはいつ帰ってくるんだい?」
「そうだな。今は雪で帰って来られないから、春になってお前が自分で狩りを始めた頃に帰って来るかもしれないね」
「そっかー、早く母ちゃんに会ってみたいなぁ。一体どんな感じなんだい? 父ちゃんに似ているのかい、それとも僕に似ているのかい?」
「そうだなぁ、どっちだろうな。しばらく会って無いから、ボヤっとしか思い出せないな」
「何だい父ちゃん。本当は母ちゃんに捨てられたんじゃないのかい? それとも僕の事が嫌いで、どっかに行っちまったとかさあ」
「そんな訳ないだろう。母ちゃんはお前の事が大好きだ。さあ、今日はもう遅いから寝なさい」
「はーい、父ちゃんお休みー」
雪解け水が集まり小川になる頃。
月明かりに照らされた木々の間を、二匹の獣が駆け抜けて行く。
体が大きくなった若い狸が飛び上がり、狙っていた獲物を捕らえた。
「見てよ父ちゃん! 上手いもんだろう」
「ああ、狩りが上手になったな。もう独りでもやっていけるな」
「な、なに言ってるんだい。俺は父ちゃんと一緒に母ちゃんが帰ってくるまで……」
そこまで言いかけた若い狸が、何かの気配を感じて振り向いた。
小高い丘の上に一匹の狸の姿が見えたのだ。
青い月明かりの下に佇むその姿は、若い狸の心を捕らえて離さなかった。
「と、父ちゃん、何だろう。何だか胸がドキドキするよ。何だろうこれ?」
「そうなのかい、だったら会いに行ったらどうだい」
「良いのかい?」
「ああ、行っておいで。捕まえた得物を渡してご覧よ」
「う、うん。い、行ってみるよ」
「ぽん太。もし、あの娘と一緒に行きたくなったら、父ちゃんの事は気にせずに、そのまま行くんだぞ」
「父ちゃん……」
「早く行け!」
ぽん太は小高い丘へと嬉しそうに駆けて行った。
そして娘の狸と仲良く過ごしているうちに、父ちゃんの事は忘れてしまい、そのまま娘と共に野山を歩き続け、幾日か過ごすうちに帰り道も分からなくなってしまった。
夏の気配が漂う森に、幾日も雨が降り続いている。
新緑の木々に隠れている洞窟から、切れ長の目をした獣が、雨に濡れそぼつ森の木々を眺めていた。
その獣が洞窟に近づいて来る者の気配を察し、おもむろに四肢を伸ばす。
しばらくすると、ずぶ濡れの狸が姿を現し、獣の前で頭を垂れた。
その口には小さな命が咥えられていた。
「父ちゃん……」
「……ぽん太、どうした」
「この子が育たねえんだ。兄妹の中で一番体が小さくて、乳にありつけねえんだ」
「……」
「なあ父ちゃん、頼むよ。このままだとこの子は死んじまう。父ちゃん助けてくれよ」
「全く、お前って子は……。分かったよ、置いて行きな」
「良いのかい!」
「ああ……でも、もう会いに来てはいけないよ。この子が不幸になるだけだからね」
「分かった約束は守るよ。父ちゃん……ありがとう」
父ちゃんが愛おしそうにぽん太の頬を舐めると、ぽん太も嬉しそうに舐め返し、父ちゃんの体に頭を強く擦りつけた。
「さあ、お行き」
ぽん太は何度も何度も振り返りながら去っていった。
父ちゃんは小さな命を咥えると、直ぐに洞窟の奥へと連れて行き、子狸の全身を舐め始めた。
「さあ、もっと鳴いて声を聞かせておくれ。もっとお前の匂いを嗅がせておくれ」
目を瞑ったままキュンキュンと声を上げていた子狸は、ふと乳の香りに引き寄せられて、獣の腹の方へと潜り込んで行く。
「さあ、たーんとお飲み。慌てなくて良いよ。お前の乳を横取りする奴はここには居ないからね」
乳を与え始めた雌の狐は、切れ長の目を更に細めながら、子狸を愛おしそうに腹に抱え、震える小さな命を温め続けた。
「父ちゃん寒いね」
「ああ、寒いな」
「ねえ父ちゃん。母ちゃんは何処に行ってしまったの」
「ぽん美。母ちゃんはなぁ、遠くに美味しい物を探しに行っているんだよ」
「ふーん」
枯れ木に隠れた洞穴に、二匹の獣の影が並んでいる。
雪に閉ざされた野山を眺める為に、暖かい穴の奥から出て来たのだ。
二匹の前には何処までも続く雪原が広がっていた……。
狸を育てる狐の話は、地元の猟師の間で長く語り継がれて来た。
ただ、その狐を見かけたという話は百年以上にも渡り続いていたことから、その狐はきっと神獣の天狐であろうと云われ、近隣の集落の者達が洞穴の住処の傍に祠を立て、この慈愛に満ちた天狐の石像を祀ったと伝えられている。
北アルプスにある稲荷神社の参道脇には、慈母天狐と呼ばれる狐の像があり。今もなお美しい雪原を眺めながら、苔むした姿でひっそりと佇んでいる。
────
「……如何で御座いましたでしょうか。この慈母天狐様をこちらの神社に祀ってございますので、お参り下さると幸甚にございます」
年配の神主が再び深々と頭を下げ、物語りを終えられました。
皆それぞれに感銘を受けた様子で、静様に至ってはハンカチで目頭を押さえられております。
「やはり狐は優しいのですね。素敵なお話でした。ありがとうございます! 狐の事がもっと好きになりました」
航太殿の『狐の事が好き』発言で美狐様の表情がパッと明るく成られました。
ところがその発言が波紋を呼び、静様や紅様、蛇蛇美や蛇澄美までもが騒ぎ始めます。
「こ、航太君、私ね『狸の恩返し』って素敵なお話を知っているのですよ」
「航太! 『艶やかに舞い踊る天女の如き紅天狗』の話を聞きたくないか? 衣装に着替えて振り付きで話すぞ!」
「ねえ白馬く~ん。『偉大な蛇様が十二支に選ばれた理由300選』って話を知ってる? 後で二人きりで話してあげる」
「Oh、コータ! 『ゴッドが与えしビューティフォーなニジヘビ伝承』を話しマース!」
部屋中が一気に騒がしくなり、美狐様が呆れたように首を振ります。
「騒がしいのう。折角の献上料理が台無しじゃ……。まあ良いか。航太殿、あーんじゃ、あーん」
頑なに航太殿の横の席を譲らなかった美狐様。
ちなみに、皆に振舞われている昼食は、天狐家に献上される由緒正しきお料理でございます。それを『あーん』とは……。
稲荷神社で極上のもてなしを受け、私達一行は宿泊施設へと向かう集合場所へと戻ります。
貸し切りバスに絶望的な表情をされる静様。
白馬君の横に座る為に違うバスから移動しようとする蛇蛇美達を蹴散らす紅様。
窓際の席に航太殿を押し込み、ちゃっかり横の座席を陣取る嬉しそうな美狐様。
修学旅行は始まったばかり。どんなハプニングが待ち受けているのやらでございます……。
今宵のお話しは、ひとまずここまでに致しとうございます。
今日も見目麗しき、おひい様でございました。
『ミコミコ』を読んで頂きありがとうございます!
今話はちょっと冒険的な事をして見ました。
短編『雪原に佇む』は如何だったでしょうか。
全く違うテイストに「違和感しかなかった」「面白くなかった」という事でしたら申し訳ありません。
もし「面白かった」「ミコミコの深みが増した」と思って頂けていたら幸いです。
(ちなみに、この作品は別サイトの自主イベント企画に投稿したものです)
皆さんの「いいね!」やコメント。☆評価にブックマークがとても嬉しい今日この頃です。
これからも『ミコミコ』を可愛がって下さると幸せです。
いつもありがとうございます。
磨糠 羽丹王




