第29狐 「巫女様、美狐様」 その4
「美狐様、お子が出来たのではありませんか?」
「「「「「ええええええええ!!!」」」」」
その一言で、教室内の変化族女子が大騒ぎです。
私も余りの事態に言葉を発する事が出来ません。
確かに変化族は子を宿すと子を産むまでは、その姿のまま変化が出来なくなると言われております。
しかし、まさか美狐様が……まさか。
「美狐様、いつの間に作ったニャ!」
「あらあら、真夏の恋の落とし物かしら? やっぱり夏は素敵ね!」
「美狐様、凄いっキュッ♡」
「美狐! 相手はまさか航太殿か?」
「美狐様、それは余りに酷いではございませんか……私はどうしたら良いのやら」
周りからは、次々と祝福と非難の声が飛び交います。
当の美狐様はというと、思いも寄らない事態にうろたえてしまい、二の句が継げないご様子。
ここは私がお救いせねばなりません。
「美狐様、落ち着いて下さいませ。こういう時は深呼吸でございます」
美狐様は私の顔を見て、目を丸くしながら頷きます。
「宜しいですか? “ひーひーふー”です! ひーひーふー、ひーひーふー」
私の呼吸に合わせて、美狐様も深呼吸をされます。
「ひーひーふー、ひーひー……これ、咲よ、これは深呼吸か?」
「はい、そうでございます。ひーひーふー、ひーひー……美狐様、これ違いますわよ」
「咲よ、落ち着かぬか」
「お言葉ですが、とても落ち着けませぬ。美狐様にお子が出来たなど、木興様がお知りになられたら……」
美狐様が目を瞑られ、深く溜息をつかれました。私の言葉を聞き何か考えられているご様子です。
「木興様だけではございません。美狐様のお母上であらせられます今上天狐様に何と申し上げれば良いのやら……」
「うむぅ……されど妾は航太殿に毎夜抱き締められ……」
「ああ、美狐様! その様なお話を聞かせないで下さいませ。耐え切れません」
普段は物事に動じない静様がへたり込んでしまいました。紅様も目を瞑り呆れたように首を振られています。
楽しそうな陽子ちゃんと桃子ちゃんとは対照的に、静様と紅様は気持ちが深く沈み込んでいるご様子です。
華ちゃんが気まずそうにしながら周りを見回し、時々私と目が合うと苦笑いをしていました。
「美狐様、先ずは木興様にご報告を致しましょう。これからの事も話し合わねばなりません」
「これからの事か……。子が出来たのであれば、高校も辞めねばならぬのう」
「ええ、婚姻の儀も進めなければなりません」
「そうか……」
美狐様が高校を辞めると聞いて、皆一様に悲しい表情になりました。
元々、美狐様を遠呂智族の襲撃から守る為に入学した者が殆どでございます。
これまで楽しく過ごして来たのですが、その理由が無くなれば、皆も高校を去りバラバラになってしまうのです。
「されど咲よ、抱き締められただけで子が出来るのであれば、紅や静にも子が出来ておるのではないのか?」
「えっ?」
「じゃから、妾は白狐の姿で航太殿に抱き締められておっただけじゃ。子というものが、かようにして出来るものとは知らなんだ」
美狐様の発言で、皆が怪訝そうな顔をしています。
「まあ、どうしましょう! それでは私にも航太殿のお子が……」
静様が顔を赤らめながらお腹を擦られています。
「「「うくっ!」」」
美狐様と静様の発言に、紅様と陽子ちゃんがお腹を抱えて笑い出してしまいました。理由が分かった者たちも一斉に肩を震わせています。
笑われたお二人はキョトンとした表情で、皆が笑う姿を不思議そうに眺めています。
「な、何じゃお主等は! 何がその様に可笑しいのじゃ!」
「いったい何でございますの?」
笑い過ぎて涙目の紅様が二人の肩を抱き締めました。
「美狐様、静様、それは一大事じゃ! 私も華ちゃんも航太殿に責任を取って貰わねばのう!」
「な、何と! そうなのか? お主等にも子がおるのか!」
「まあ、何と言う事でしょう。そう言えばお二人とも航太殿を抱き締めていましたわね……」
「全く困った奴だ! 美狐様が大好きな航太殿は、あちこちに子を為すなど、本当に好色な男の子じゃ」
「何じゃと! さ、左様なことは無い……」
「はいはい、みんな悪ふざけはその辺で止めましょう!」
流石に美狐様と静様以外は、お子が出来たのではないと気が付いた様でございます。
皆がクスクスと笑う中、お二人だけが首を傾げておいででした。
結局、美狐様が変化出来なくなった理由は分からないまま、皆帰宅の途に就きました。
美弧様は紅様に帰り道で散々からかわれていましたが、何故かいつもの様に追いかけては行かれません。
それどころか顔を赤らめてフラフラとしゃがみ込んでしまわれました。
「紅様、美狐様が可哀そうではないですか。おふざけもその辺でお止め下さい」
「初心な美狐じゃ! そんなに恥ずかしがらなくても……ん? 美狐様?」
紅様が慌てて美狐様に近づかれました。その途端、美狐様が紅様にしがみ付かれたのです。
「美狐様?」
「おい! 美狐、しっかりしろ……あ、熱い!」
紅様の言葉で美狐様の額に手を当てると、かなりの熱がおありでございました。慌てて二人で抱え上げ神社へと急ぎます。
「木興様! 木興様! 美狐様が……」
――――
「あれ? 静ちゃんに華ちゃんまで……。もしかして皆この神社で巫女さんのバイトをしているの?」
「あ、航太君ニャ! 急な人手不足で困っているらしくて、ちょっとお手伝いニャ」
「へー、そうなんだ。今日は咲ちゃんは?」
「あー、ちょっとお休みしてるみたいニャ」
「そうなんだ。ミコちゃんもしばらく学校休んでいたし、風邪でも流行っているのかなぁ」
「そうだね、航太君も気を付けるニャ!」
「ありがとう」
「おお! 航太君が風邪引ひいたら、私が胸で抱きしめて看病してやるぞ!」
「あ、うん……」
「……紅ちゃん、変な事言わないの……誰かが怒って出て来たら困るでしょ……」
社務所の外から航太殿と華ちゃん、紅様に静様の楽し気な話声が聞こえて来ます。
大きな和室で布団に横になっている私の周りには、狐の姿をした者や人の姿に変化したままの者が大勢寝込んでおり、隣の部屋では木興様も白髪白髭のお姿で安静にされておられます。
そんな中、やっと回復された美狐様が皆の間を走り回り、私どもの看病をして下さっていました。
『きつね風邪』、変化狐族だけが罹患する流行り病でございます。
古文書によると、この風邪を引くと快癒するまで変化が出来なくなるらしく、身を持ってその症状を体感している最中でございます。
この緊急事態に際し、狸族、猫族、天狗族の皆さんにお手伝い頂き、稲荷神社の運営を何とか賄っているのでございました。
「咲よ……航太殿の声が聞こえるのう……。会いに行っても良いかのう……ケホッ」
「なりませぬ。巫女のお姿から変化できぬまま、さらしを巻かずに航太殿の前には出てはいけませぬ……」
「風邪で胸が腫れておると言う訳には参らぬか?」
「お戯れを……。とにかく一刻も早くきつね風邪をお直し下さいませ……ゲホッ、エホッ……」
「妾の風邪をうつしてしまい、いと済まぬ事じゃ……」
「いえいえ、まだ治りきっていないご状態で、私どもの看病をして頂くなど、本当に申し訳ない事でござい……ゲホッ、エホッ……」
「ほらほら、無理をするでない。ゆっくりと休んでおれ」
天孫の皇女様に風邪の看病をして頂くなど、有り得ない事でございますが、美狐様は優しく全員の面倒を見て下さっています。
美狐様は巫女のお姿をされた天女の如きお方でございます……。
今宵のお話しは、ここまでに致しとうございます。
今日も見目麗しき、おひい様でございました。




