第七話 恨む者、惑わす者
「失礼しますよ」
「ゴホッ、ゴホッ!うう……今日は医務室を使う人が多いね……」
訓練場のすぐ近くにある医務室の扉を開けると紙に何かを書いている黒髪に深い隈が特徴のしわしわの白衣を着た若い男咳をしながらが椅子に座っていた。
アスキュレピオス=アイスクラー。
元軍医であり凄腕の医で研究者。そして俺の正体に気がついた人間の一人。別段隠している訳でもないが、言う必要もないため言っていないだけで、俺の正体を知っている人間は先の戦乱で防衛の任務に従事していた人間の多くが俺の正体に薄々感ずいているだろうからな。
俺としては敵対しなければ別にどうでも良いからな。敵対すれば、容赦しないけど。
「やれやれ……『血濡れの悪鬼』はやはり学校に馴染めなかったか」
「おい、酷いことを言うなよ」
抱き上げている軽蔑しながら酷い事を言うアスキュレピオスに軽くツッコミしながらローズをベッドに眠らせる。
『血濡れの悪鬼』。それは、俺に付けられた敵性暗号名である。
ディスティニア戦乱の際、俺はディスティニア帝国側の少年兵として活動していた。
最低限の訓練を終え実戦の舞台に送られた際に味方側の兵士たちを惨殺。すぐに軍の命令を無視して様々な場所に赴いては帝国も同盟も兵士も民間人も関係なく殺しに殺していった。
そしてある偶然から自分の素質に気がつき、それを実戦で高めていった。より効率よく、より確実に人を殺せるように。その結果があの驚異の殺人術に豊富な知識、第六感である。
その結果、戦争後期からはたった一人で同盟側、特にペンドラゴン王国の半分を血の海に変え甚大な被害を出し、知られてはいないが帝国側にも深刻な被害を出した。
その結果、同盟側での要危険人物として『血濡れの悪鬼』と言う敵性名で俺の事を記載されている。
「だが、君の本質は何も変わっていない」
「……殺されたいのか?」
「……止めておくよ」
アスキュレピオスの軽口を殺気で押さえ込むと空いているベッドに座る。
この男とも何度か相対し殺そうとした。医者がいるのは、極めて厄介だからだ。だからこそ、こいつの守りは固く、何度攻めてもこいつだけは殺すことが出来なかった。
「僕としても、君には恨みはあるんだよ。―――僕の目の前で約50万人にも及ぶ兵士たちを殺した君には」
「……俺の考えを理解しているのなら、その恨みが無意味で無価値な物だと気がついていないのか?」
「ああ、気がついているとも。だからこそ、恨めしい」
アスキュレピオスの怒りの籠った視線をどこ吹く風と言う雰囲気で受け流す。
こいつには、たった一度だけ俺の『命とは価値なきもの。故に躊躇うことを知らず』と言う本質を目の前で口にしたことがある。だからこそ、自分の恨みは何一つとして意味をなさない事を理解しているのだ。
それなのに、こいつは俺を恨み続ける。意味が分からない。だって、恨むだけのエネルギーは無駄なのだから。
何を言っても無駄。何を言っても止まらない。何を言っても歪めない。何を言っても変えない。何を言っても守る。俺はこの考えを歪める気も変える気もない。そんな相手に恨むのはエネルギーと時間の無駄でしかない。
「それじゃ……俺は戻らせて貰うよ」
「ああ、君に一つ聞きたい事があった」
ベッドから立ち扉の取っ手に手を付けるところでアスキュレピオスが再び話しかけてくる。
授業の方はどうでも良いのだが、さっさとこの部屋から出たい。俺は薬品の匂いは好きじゃないんだ。
「君がクリアさんを心配しているのは―――贖罪?それとも利用?」
「そんな分けないだろ。ただ、見捨てる事が出来なかった。それだけだ」
アスキュレピオスの問いに答えると扉を開け勢いよく閉める。
贖罪……俺は俺が行った事に罪の意識なんて感じたことはないし後悔もない。利用……確かに素質は優秀だがあいつと俺は対等な立場。利用出来ない。
俺はただ、命の価値に絶望しただけだ。
◇
「ふわぁ……」
遅れてきた授業でのんびりと終えると昼食のサンドイッチを食堂で一人で食べる。
ここの学舎の食堂は地下に作られており、装飾や家具も最高級。それでいて全学年が入れるだけのスペースがあるためその中から一人を見つけるのは難しい。そして、俺は平時は気配を薄め覇気を消しているため見つける事は至難の技だ。
「前……良いかな」
「……別に構わないよ」
のんびりとサンドイッチを食べていると前の席に金髪の美丈夫がトレーをテーブルに置いて座る。
何、このイケメン。周りがキラキラ輝いているように見える。
「えー、ルアン様~。今日も一緒に食べましょうよ~」
「何よ、今日は私たちの班と一緒に食べるのよ」
「………………」
「あー、今日は彼と約束していたんだ。黙ってごめんよ、子猫ちゃんたち」
「「いえ、大丈夫ですわルアン様」」
金持ちの気配がする二人とイケメンの茶番を見せられながらサンドイッチを押し込む。
こんな女たらしの男に付き合っている理由は何一つとして存在しない。さっさと校舎内の探索に戻らせて貰う。
「やれやれ……自分に好意を抱いていくれている少女たちを御するのは難しいね」
「ああ。そして、それを利用するお前は本当に嫌いだよ、誘惑者」
困ったような苦笑をするルアンに俺は瞳を見ながら容赦のない罵倒をする。
さっきの会話の際の少女の瞳はハートマークが浮かんでいるように見えたし少女たちはルアンの言葉に疑う事なく従っていた。
元少年兵だったから分かるのだが……人間は状況を整えれば他の人の思考をコントロールする事が出来る。俺は元々効きにくかったが何かしらの極限状態になればなるほど思考のコントロールがしやすくなるのだ。これをマインドコントロールや洗脳と呼ばれる。
こいつは、それにとても近しいこと……自分が女性に喜ばれる理想の男性を演じる事で女子の思考をコントロールしているのだ。
そう言った行動が情報収集の効率が良いのは理解しているが、それで無意味に人の心を奪うのは俺の趣味に合わない。
「おや、あれだけで気づいていたのかい。『落第者』と言うのは嘘だったのかい?」
「生憎と、それを嘘とも本当とも言うつもりはないよ。それで、何のようだ」
「それはね―――クリア嬢の警護を君に求めたい」
腰に携えた刀に手を伸ばしていたがルアンの提案に動きを止める。
クリアの―――警護?何かしら危険な事でもあるのだろうか。
「僕は君の察したように女子に喜ばれる理想の男子を演じる事が出来る。そうすることで、貴族の淑女たちから好かれその思考を操って守っているんだ。けれど、それには例外がある」
「例外……?」
「僕のは相手の恋愛感情を利用するもの。逆に言えば、相手が他の人が好きだったりしたら意味を持たない。それに、性癖の差もあるからね」
「それで、何故俺がその護衛に抜擢されたんだ?」
「それは勿論、君が優秀だか」
「嘘だな。魔力が揺らいだ」
ポーカーフェイスの張り付いた笑みで理路整然と話すルアンに真実を告げる。
魔力は魂より生まれる。感情も魂から生まれる。そのため、嘘をつけば魔力が揺らぐのだ。どれだけ偽ろうと魔力まで偽る事は出来ない。
今、こいつの黄色い魔力が揺らいだ。つまり、明確な嘘をついたのだ。
「ははは……やはり持っていました『血濡れの悪鬼』さん」
「……そう言うお前はこの国の諜報機関の人間か」
「ええ、そんなところです」
(……やはりか)
ルアンの言葉に嘘をついていない事を魔力で見て確認し納得する。
女性に好かれる男性を演じ女性の好意を利用して思い通りに動かす……言い方を変えれば色仕掛けだ。使い方によっては諜報活動が出来る。
俺は大体殺していったから諜報何てしたことないが……こう言った人間か。本当に一般人の中に紛れ込んでいるせいで判別できないな。
「『静寂』。それが僕が所属している組織だよ」
「噂には聞いたことがある。先の戦乱時、同盟側の存在しているとされた大規模諜報機関。下らないと一蹴したが……実在したとはな」
「ええ。その通りですよ」
「それで、俺を捕まえに来たのか?」
「いえいえ。悪鬼を捕まえる事は不可能ですので。事実、あまりに危険なので各国が君が行った行いのほぼ全てを無かった事にしてますよ。君の正体を知っているのは軍のトップと国の代表、そして君の姿を見た被害者だけですよ」
「それなら良かった。価値は無く躊躇いもないが一々消していくのは面倒なのでね」
端から聞いた会話は物騒だが穏やかな雰囲気で話を進めながら互いに腰に携えた武器に手を触れる。
魔眼にも欠点がある。嘘を嘘だと理解していなかったり思い込みが強ければ嘘でも魔力のオーラは揺れない。
だが目線や頬の筋肉の動きから考えて嘘をついている訳ではないようだ。……信用は何一つとして出来ないが。
「それで、本当の目的は何だ」
「……クリア嬢の出生、分かってますよね」
「……分かってる」
逆に分かっていなければならない。俺はそこら辺はしっかりと覚えている。
「彼女の父親は帝国に強い恨みを持たれてます。そして、父親やその一族がほぼ全員が殺されやり場のない怒りが残された娘に向けられているのです」
「……どうしようもない奴らだ」
嘘のないルアンの言葉に俺中で少しだけ怒りの感情が沸き上がる。
『命とは価値なきもの、故に躊躇うことを知らず』。これは俺が生まれつき持った物ではない。これは俺が狂う事になった理由より端を発している。そして、それを生み出したのは帝国だ。帝国の愚かな行いにより俺らは壊れた。
この男は俺やクリアを利用しようとしているのだろう。俺はそんな思惑には乗らない。
「……拒否する。俺は俺の意思でクリアを守る。お前らの命令は一切聞かない」
「手厳しい。でも、助かるよ。それじゃあね」
怒りの籠った声音で拒否するとルアンはやれやれと言った苦笑で席を立って人混みに紛れてどこかに行ってしまう。
やはり、相手は諜報機関の人間、あっさりと見失ってしまった。心底ムカつく奴だ。だが、俺はクリアを守ると宣言したのだ、何かあったら守らないとな。