第4奏 雪奈の観察記
翌日・朝。
教室に着くと、ちらほらとクラスメイトたちの姿があった。
一穂はまだ居なかったので、席に着いて読書を始めた。
しばらくして、仁君が到着。
不自然に映らないように観察する。
仁君、どこを見ているか分からない虚ろな表情で、私の隣の列の前から二番目の席の一つに着席。もちろん挨拶なんかない。
そのまま、ごとん、と机に倒れ込む。
その様は、正に「行き倒れ」という形容が相応しい。
またしばらくすると、ひょっこり恭也君が現れる。
恭也君は眠り込んでいる仁君をこずくと、仁君は蒼白い顔を上げてぼそぼそと談笑を始める。
これがいつも通りの光景。
このように朝から二人の世界が構築されるので、余所が入り込む隙がない。
恐ろしいことに、二人とも他のクラスメートとは滅多に交わることはないのだ。
・ホームルーム
「おはよう」
現国担当でもある我らが担任の登場である。
黒谷美織先生。長い黒髪の麗人かつ、竹を割ったような実にさっぱりした人柄で、ユーモアのセンスもあり生徒からの人気は高い。そして教師陣唯一の―――――――――――
「おはよう、草葉。今日も眠そうじゃないか」
―――――――――――仁君の居眠りを見破れる眼力の持ち主である。
仁君の居眠りは、端から見ればそうとは思えないほど巧妙だ。
一度正面から見たときがあるが、彼が居眠りを誤魔化そうとする際には、目は開けたまま(のように見える。いやそのはず。)で片肘を突き、正面を睨んでいる。
大抵の先生は、まんまと出し抜かれるか、目つきの悪さに声をかけることはなく、仁君は常勝無敗を冠していた。
しかし、我らが担任には適わない。
「おら起きろ」
必殺の教科書チョップを叩き込むと、無言でのた打つ仁君を見遣ることなくホームルームを進める。
「そろそろ新しい環境にも慣れてきたと思う。各自入る部活は決めたか?苦労もあるが、青春には欠かせないものだ。全員どっかしらには所属すること」
部活かぁ。
私はやっぱり・・・・。でも、仁君はどうなんだろう。
一限目・英語
仁君、爆睡
二時限目・数学
仁君、爆睡
三時限目・国語
仁君、美織先生がやって来る寸前に起き上がる。
授業中も辛うじて意識を保っていた。
四時限目・日本史
仁君、爆睡
「あ――――!!もう!!」
仁君寝てばっか!
遣りようのない思いを机にぶつける。
「あんなんでホントにいいの?」
流石にどんよりした顔で一穂が言う。
「大丈夫!あれは世を忍ぶ仮の姿だから!」
「恋は人を盲目にするわね」
呆れたように一穂が呟く。
「何か作戦を立てなくちゃね」
あの、一穂?そんなに頑張らなくてもいいのだけれど?
そんな思いも届かない。
けど、こんなのもいいかな。
ふふっと笑みが零れる。
「な、何よ。雪奈」
「何でもなーい♪」
「お、いたいた」
図書室の奥の一角、まるで隠れるように読書をしていると、恭也がやって来た。
「恭也」
「昼休みになるなりどっか行っちまうんだから、捜したぜ」
捜したと言っても、さしたる用があったわけではないのだろう。
本当に、こいつにも困ったものだ。
「にしても、図書室とはまたいい隠れ家を見つけたな」
それは同感。
何の特徴もない私立校かと思ったが、図書室の蔵書量とそれらのセンスはなかなかのもの。避難場所としては上級だ。
「とはいえ、飯も食わずに来ることはないだろ?」
「飯は忘れた」
「おいおい。金は?」
財布を広げて見せてやる。
そこにはサハラ砂漠もかくやという光景が広がっていた。
「・・・・・・。お前、無駄に意地を張らなくたっていいんじゃないか」
無言で首を振る。
嫌な方向に転がってきたな。さて、話を変えるか。
「時に恭也」
「何だ?」
「今日一日、ずっと視線を感じるんだが」
一瞬、恭也の顔に表情が浮かぶ。
演技が巧い奴はすぐに消し去ったが、俺はそれを見逃さなかった。
・・・・・何か知っているな。
「お前なんか見ていて楽しいのか?」
「さあな。とにかく不愉快だ。心当たりがあるなら止めさせてくれ」
「寝てばっかなのによく分かったな」
「忍者と呼んでくれ」
「ところで、部活やんのか?」
何でもないように、あくまでさり気なく恭也が尋ねてくる。
「やんね。バイトもあるし。お前は?」
「やんねーんじゃないかな。まあ、おめーと連んでた方が楽しいし」
「何その敗北宣言。彼女つくろうとかねーの?」
「バカ言え、そんな度胸はないね。そーゆーお前は・・・・ああ、もう居るもんな」
「それこそバカ言え。俺の愛は恋愛感情なんかよりよっぽど深いわ」
ああ、こんな馬鹿話に時間を食っちまった。
読みかけの本を手にして席を立つ。
「あー。飯、食い損ねた!」
恭也が奇声を上げる。
馬鹿め、人に構うから割を食うのだ。
「悪いな、お前が俺を振り回すはずなのに、俺が振り回してて」
そう言うと、恭也は微妙な顔をしてから、にっと笑った。
「へっ。何処までついてってやるよ」
いつの間にか放課後。
結局、仁君について分かったことはほとんどなかった。
「一穂~!」
思わず一穂に泣きついた。
一穂はうーんと唸っている。
仁君は、やっぱりホームルームが終わるなり飛び出した。
「なかなか強敵ね。もう逆に襲っちゃいなさいよ。あなた」
「何言ってんの!」
「そうだぞ。そんな事しても逆効果だ」
あっ、恭也君。
「どうしたの?」
一穂が胡散臭そうな顔をしている。
どうやら、恭也君がこの間の件について詳しく話してくれなかったのを良く思ってないらしい。
「一日中仁のこと見てたろ。あいつにバレてるぞ」
がーん!!
そんな、絶対変な奴だって思われちゃってるよ・・・・・。
「今日の六時にスーパーで安売りがある」
「え?」
「そこに仁は必ず現れる。あとは、君次第だ」
・・・・・スーパーの安売りにやって来る仁君。
・・・・・・・・。
そういえば、昨日会ったときも買い物袋を提げていたことを思い出して再起動。
「よし!私頑張る!」
タイムセールの鉄則。
まず、大体の当たりをつけて、その付近で感覚を研ぎ澄ませる。
そして、店員が張り紙を出した時にはすぐに駆け寄る。
当然、百戦錬磨のおばちゃんたちも猛然と迫ってくる。
後は、敢えて記すこともない。
己の全存在を賭けてモノを奪取するのみ。
「タイムセール、トイレットペーパーが一袋百円、お一人様三つまでです!」
わあああ。こぞってトイレットペーパーに殺到する主におばちゃんたち。
こういうのどこかで見たことあるね。ほら、日本史の教科書、石油危機のワンシーン。
するすると人混みをくぐり抜けながら迅速に脱出する。
振り返れば、ドラッグ売り場は戦場だった。
ふう。戦利品を抱え、気を取り直してレジに向かう俺の前に、彼女が現れた。
「お疲れ様、仁」
スーパーに着くと、私は行き違いになってしまってはいないかを心配しながらも、辺りを見回して彼の姿を捜した。すると、レジの方に仁君の姿が見えた。
「いた!」
片手にトイレットペーパーを二つ下げ、もう一方にはスーパーのビニール袋を下げている。
深呼吸一発、気合い一喝で準備万端!いざ!
・・・・あれ?
仁君の隣には見知らぬ女性がいた。
一見して仁君より背は少し低いものの年上。
そして何より、ものすごい美人だ!
背中まで流れた艶やかな波立つ髪。日本人離れした顔立ちと体つき。どれをとってもモデルとして通用する完璧さ。
そして仁君は、その女性と、普段恭也君と話している時でさえ見せないような笑顔で談笑している。
私は、膝をつきそうになる程の絶望に打ちのめされ、暗くなった世界の中、独り立ち竦んでいた。