第3奏 lonely child
あの出来事以来、私はまた仁君に話し掛けることが出来なくなってしまった。―――――――――――自己嫌悪でイヤになる。
勝手に憧れていておいて、勝手に近づき難くなっているなんて―――――――――――――
「まー仕方ないよ。あれはショックだって」
俯せて意気消沈している私に、一穂が励ますように声をかけてくれる。
現在昼休み。
あの出来事から二日ほど経った昼だった。
結局、あの後は恭也君が呼んだ救急車が来る前にその場を離れなければならなかったため、詳しい話を訊けなかった。
昨日問いつめると、「あれが仁だ」と言ったきり、恭也君は何も答えてくれなかった。
「あーあ。私、何がしたいんだろう」
高校生になって、偶然憧れていた男の子に出会って、わくわくして、描いた夢は現実と違っていて。
結局私は特別でも何でもなくて。
視界の端には、仁君と恭也君が映っている。
あの二人の世界に入り込むのには、思ったより厚い壁を越えなければならなそうだ。
放課後。
母に頼まれた食材を買うために、私は駅前のスーパーに来ていた。
帰り道、一穂は『初恋は破れるもの。乙女は恋してなんぼよ!』と励ましてくれたけど、私はまだこの想いを捨てたくはなかった。
でもどうしよう。
こんなはずじゃなかったんだけどなぁ。
憂鬱になりながら会計を済ませて、日が射す外に出る。
また恭也君にレクチャーしてもらおうかな。
でも、自分であの要塞を落とさなくてはならないような気もするし・・・・。
思考のループに嵌って悶々していると、不意に子供の泣き声が聞こえてきた。
・・・・・・・いた。
スーパーの駐車場の、車進入防止用の柵の近く。
幼稚園児と思われる男の子が、一人で泣いていた。
迷子かな。
近くに親のような姿はない。
道行く人々は、男の子などいないかのごとく、視線一つ向けようとしなかった。
私は歩み寄って、男の子に声をかけようとした。
その時。
「はぐれたのか」
私より先に男の子の傍に立っていた草葉君が、話しかけていた。
――――――――――――――――!!?
私は咄嗟に身を翻し、彼に見付からないように隠れた。
声が聞き取れるように近付き、様子を窺う。
男の子は泣き続けている。
しかし、仁君は気にする風もなく両手に提げた買い物袋を置くと、そっと男の子の頬に触れた。途端、男の子は泣き止み、仁君を見上げた。
「はぐれたのか」
仁君が繰り返し問いかける。
「うん」
「誰と?」
「ママと」
「いつ頃?」
「ついさっき、ここで」
「そうか」
相変わらずの仏頂面で、心底どうでも良さそうに仁君は頷いて言った。
「それならママはきっとここに来る。それまで一緒に待っていよう」
「・・・・・いいの?」
男の子は鼻をすすりながら尋ねる。
柵に寄りかかって仁君は答えた。
「いいよ。なに、すぐに来るさ」
それきり二人は何でもないことを話し始めた。
仁君が話を振り、男の子が答える。
男の子が自慢気に手を広げれば、仁君が笑って褒めた。
私は気付いた。
私が好きになった仁君は、こんな風に笑う彼だった。
例えどんな一面を持っていようと、私が好きな彼がいるならば、私が彼を怖がることはない。
仁君は何も変わってはいないのだから。
私は馬鹿だ。
勝手に逃げていたのは自分だ。
私は仁君のことを何も知らない。
それでいい。
今から始めよう。
私が迷路に嵌り込んだとき、導きをくれた温かな手。
その感触を思い出しながら、私は仁君と男の子の下に歩いていった。
男の子の母親は、すぐに現れた。
男の子を抱き締めて何度も謝った後、私たちにも何度も礼を言った。
何故か、母親がやって来た途端に仁君は後ろに退いてしまったので、私が受け答えをした。
母親に手を引かれて去っていく男の子を見送る仁君の目には、何の感情も浮かんでいない。
それでも、男の子が最後に手を振ったときには、小さく手を挙げて応えた。
やがて、親子の姿が見えなくなってから、ぽつりと仁君が口を開いた。
「意外だったか?」
それが、仁君が迷子の面倒をみるということだと気付いたとき、私は素直に答えていた。
「ううん。仁君が優しいってことは、前から知っていたから」
仁君は鋭い眼差しを私に向けてから、親子が去った方を向いた。
「・・・・子供は泣くことでしか助けを求める術を知らない。だから、気付いてやらないといけないんだ」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
「え?」
私が聞き返す間もなく、仁君は背を向けて歩き出した。じゃあな、という声が聞こえたときには、仁君の姿は喧騒に紛れて見えなくなった。
その晩、私はお風呂に浸かりながら今日の出来事を思い返していた。
その結論として、やはり水無月雪奈は彼に惚れている、という事実を再認識した。
・・・・・・・・・・・ ・・・///。
いやいや、恥ずかしがっている場合ではない。
この気持ちが本物だと気付いた以上、私も行動を起こさなければならない。
まずは、仁君を知る。
そこから始めよう。