(8)再会の理由
夢と重なる。
けれど、夢とは微妙に違う。
待ち合わせ。
晴れた青空、秋の黄色いイチョウ並木、落ち葉の絨毯の歩道。時折頬を撫でてゆく風は、昔と変わらないのに。いつもの夢と似た風景だというのに。
3日前に仕事を定時で切り上げて寄った美容院で手入れした髪、慣れたパンプス、走ることとは縁遠くなった24歳の私は、夢の中では遠くからでも待ち合わせのベンチを見つめ、彼の姿を探してつきすすむのに、今の私は彼の姿を確認するのを怖れ俯きかげんだ。
どんどんと駅前のロータリーが近づいてきて、胸が早鐘を打つ。
とうとう待ち合わせのベンチが視界に入る。
7年の間に改装された駅前の壁は、記憶よりも明るい配色となっている。以前は各階テナントが入ってたビルが並んでいた一帯が壊され、大型スーパーとなっている。
変わらぬ風景と思っていても、実はさまざまな変化がある。
風景も、きっと人も。
ベンチに座るその人、歩いている私からは斜め後ろから見える彼の姿も、やはり過去と違った。短い髪も近づいてわかる、眼鏡のない顔も。
「お待たせ……しました」
微妙に語尾が不自然だなと思いつつ、私は笑みを浮かべて待ち合わせたその人を見る。
矢野さん。もらった名刺で連絡して、数度、今の近況を伝えるみたいなメールが交わされて、矢野さんがこちらの本社に来ている間に会おうということになった。祝日でお休みの日の、健全な昼間のランチの約束。
近況を交わしたメールは、事務連絡みたいな、連絡先と、ざっとした職種とかの当たり障りのない自己紹介だった。過去の件はもちろんこと、感情に触れてこないよう互いに気をはったみたいな、ビジネスで知りあった人の交換メールでしかなかった。
彼は近況報告の文中に、「独身」と書いていた。彼女の有る無しはわからない。同じく私も独身と伝えたけど、それ以外にはなにも書いてない。秋になるとあなたの夢をみるなんてことも、もちろん。
そんなビジネスライクなメールを交わした上で、今日会うことになって、この「会う」ということが、何を意味してるのか、まだ私は掴めていない。
「彩は時間通りに来てるよ」
彼は微笑む。その笑みは無理があるようには見えない。記憶にある彼の優しい笑顔と重なった。
矢野さんは、私が来るまでスマホを手にしていたようだった。記憶にある待ち合わせでは本を読んでいる姿はなかった。もちろんインディゴ色のブックカバーもみることはない。
「ランチの予約まで余裕があるけど、どこか行きたいところある?」
首を横に振ると、「じゃあ、天気もいいし、すこし歩こうか。たしか、この歩道、大きな噴水のある公園につながってたね」と自然な動きで彼はスマホを黒のトートバッグにおさめ立ち上がった。
矢野さんの服装は、スタジアムのときはユニフォーム姿でスポーツマンって感じだったけれど、今は濃紺のカジュアルなジャケットに中はライトグレーのVネック、くるぶし丈のアンクルパンツで全身をスッキリまとめている落ち着いたカジュアルだった。流行を追いすぎてもないし、かといって完全に流行をはずしてるわけでもない居心地良いスタイル、色もシックだ。それは昔の矢野さんと同系統のチョイスで、なんとなく安心している自分がいた。
私はどうなんだろう。
すくなくとも少しブラウンに染めた髪、秋色を意識したコーデは、基本は茶とオフホワイトでまとめている。張りのある生地のひざ下のフレアにカットソー、カーディガン。無難な上下を選んでいる。
なんとなくアクセは避けてしまった。手元は、カジュアルリングもなにもつけず、爪だけ手入れした。今はネイルを仕事に支障がない程度であれば、色も飾りも好きなものができる。17歳の高校生とは違って、学校前に色を落とす必要もない。
私の歩幅にあわせ、彼はゆっくり歩いてくれる。
隣を歩くけれど、少し離れている。手が触れ合ったりしないような、でも人一人は入らないような、微妙な距離。
駅前からはずれて、公園に向かう大通りになると、舗道は石畳になる。小さな子ども連れやカップル、ジョギング姿の人が多く行き交うようになる。並木道が広い公園に続いており、その先はこんもりとした緑、秋の紅葉の黄いろや赤の葉の木々が見える。
軽快にジョギングしている女性がすれ違っていくのを何気なく目で追っていると、
「彩は何かスポーツとかしてる?」
と問われた。
彼は、記憶と変わらず、私のことを「彩」と呼ぶ。
あまりに自然で錯覚してしまいそうになる。
夢の続き、過去の続き――……私が彼を裏切ってなくて、逃げてなくて、まだ、矢野さんに大切にされているみたい、な。
「特にスポーツは……。何度かヨガスクールには通って……。残業とか休日出勤の兼ね合いがうまくいかなくてやめてしまったの。今は寝る前に少しするくらい」
年上だけど、ですます調で話すのも違和感があって、結局、昔みたいに話す。
こうして穏やかに歩いて話していると、私と矢野さんがどういう間柄なのかわからなくなってくる
「矢野さんは、サッカーって言ってたね。時間のやりくり大変じゃない?」
「職場での同好会だからさ、仕事のスケジュールとうまく折り合いつけやすいんだ」
「近所でできるところがあるの? 予約とか混みあうよね、きっと」
「あぁ、今住んでいるところ、研究所と工場のある街、田舎だからさ。グラウンドとか安くで長時間借りられて、夕方から夜なんて予約も空きばっかり。豪華な体育施設とか建設されてるんだけど、実質、夏冬の都会からの合宿シーズンと秋の運動会シーズン以外に借り手少ないらしくて。地元の研究所とか工場とかのスポーツ系同好会が利用するの、施設職員から大歓迎されるんだよ」
彼の話に頷きつつ、彼が住む街を想像する。
7年前、遠距離恋愛が決まった時、『ここに住むことになりそう』と研究所と寮とその周辺の写真を見せてもらった。緑なす山々に囲まれた街。切り取られた写真の風景だけでは覚えがないけれど、彼が汗を流すグラウンドなどもあったんだろう。
離れていた距離、離れていた年月。
それが痛々しい時間ではなかったんじゃないかと錯覚しそうになる、今、私と矢野さんの間にながれる穏やかな空気。
このまま掘り返さないですませてしまいたい……なんて気持ちもよぎった。
でも、落ち葉を踏みしめながら、そういう自分じゃ駄目なんだとも思った。
なぜ私と会おうと思ってくれているのか、7年前の別れをどう感じているのか、流してしまえば、自分も矢野さんもなんだかこのまま曖昧な関係になってしまいそうな気がした。
よくわからないけれど――……過去の気持ちも今の気持ちもわからないまま、でもなんとなく、こうして歩いていると居心地がよくて……。
お互いどこかで相手がわからなくなってるのに、そばにいてしまう――そういう間柄になってしまいそうな、そんな気配がしたのだ。
昔のくすぶった炎がちりちりと自分の心の隅を焦がすから、すべてを預けられるわけじゃないのに、もし今、矢野さんがもし万が一にでも異性として私を求めたら応じずにいられなくなるような――……そんな直感。
自分の甘さ。危うさ。
――……もう、それは、駄目。
17歳って嘘ついて、それをダラダラ引き延ばして――……結果、傷つけた。
もう、それは駄目。
私はピタリと足をとめた。
公園の落ち葉が重なる石畳で急に歩みをとめた私に合わせて、矢野さんも同じように足をとめる。
「どうしたの、彩?」
やさしく尋ねられる。見上げると、矢野さんの眼鏡をかけていない瞳と視線が合った。
声は穏やかで何も震えていないのに、今、視線が合って気付いた。
矢野さんの瞳が、少しだけ、私を見定めるように、細められていた。
「矢野さん……あの……」
一呼吸おいて、一気にたずねる。
「どうして、私と、会おうと思ったの? 連絡先を渡してくれたの?」