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(5)再会


 後半戦、応援するチームがもう一点ゴールを決め、私たちの席周囲が大歓声と拍手につつまれ、試合は終了した。

 トリコロール柄のユニフォームや応援Tシャツを着た人たちが笑顔で肩をたたきあったりして、勝利の余韻に浸っている。


 しばらくして、すこしずつ帰り支度をする人がでてきて、混みあってる席は、徐々に人の動きが徐々に外へと向き始めた。

 試合中は総立ちでフィールドに向かっていた周囲も、今はそれぞれが次の試合の段取りだとか、電車の時間がどうのこうのとか、スマホをいじったりだとか、いろんなざわめきが行き交う中でゲートに向かって歩いている。

 流れにそうようにして、由奈と私も荷物を身に着けてスタジアムの観覧席からゲートを目指した。


「あー最後、取り返せて良かった!!」

「彼氏さんにも、いい知らせができるね」

「スマホですでに結果チェックしてるだろうけどねーっ」


 笑いながら由奈はそう言って、私も「さすが、サポーター!」と答えたとき、通路の先に自販機が見えた。応援で思ったより大きな声を出して、もってきた小ぶりのマグボトルは空になったのを思い出す。


「由奈、ちょっと自販機寄っていい?」

「うん、もちろん。あ、いま、女子トイレ、列が短いみたいっ! 彩、私はトイレ行ってくるね」

「了解」

「ここで落ち合おう」


 由奈と軽く手を振って別れ、私は一人、自販機に向かった。

 冷たいお茶を買い、由奈が好きなメーカーのレモンティも冷えているのを見つけて、それも購入する。

 かがんで自販機からペットボトルを取り出し、塞がった両手のまま身体を起こそうとしたときだった。

 ちょうどゲートに向かおうとしていたらしいにぎやかな男女の集団が押し寄せてくるのが見えた、私はよけようと身体をそ壁側に引いたものの、間に合わなかった。集団の一人が背負うリュックと私の肩がぶつかる。

 リュックサックの角張った部分は思いのほか勢いよく当たったのだろう。一瞬の肩の衝撃で、私の腕の力がゆるみ、抱えていたペットボトルの一本が手から滑り落ちて少し転がってしまった。

 ぶつかった人はリュックに当たったくらいで気づかなかったのか気付かぬふりをしたのかわからないが、大勢の仲間たちとガヤガヤと話しながら去っていってしまった。

 私はちょっとため息をついて、転がったペットボトルを拾おうと、ふたたびかがもうとした。すると私が手にするより先にさっとボトルを拾い上げる、大きな手があった。

 男の人らしき細いけれど筋肉質な日焼けた手。

 驚く間に、私の前にボトルが差し出される。

 

「あ、ありがとうございます」


 拾われたお茶のペットボトルを受け取ろうと、私は相手に一歩踏み出し、顔をあげようとした。その瞬間、


「どういたしまして」


と声がかかり、相手の顔を見る前に――その声に、息が止まった。

 いっきに、まるで一瞬にして魔法にかかり、自分がゼンマイ仕掛けの人形にでもなったみたいに、固くぎこちなく、うつむき加減だった顔を相手の方へと上げる。

 

 まさかまさかまさか……。


 心臓がバクバクいう。

 目の前の人は、私と同じ青基調のトリコロールのユニフォームを着ている。記憶の彼に、そんな服装は一切ない。シャツの半袖から伸びる腕、明らかに日焼けした肌も身に覚えがない――……。

 

 だけど。この声は――……。

 

 思い切って顔をあげる。

 目が彼を捉えて、私の心は予感的中に悲鳴を上げた。歓喜なのか絶望なのか、わからない。ただ、ぎゅうっと胸が締め付けられた。

 記憶に色濃く残る、眼鏡は今の彼の顔上になかった。

 長めの髪は、ずいぶんと短くなり、肌も日焼けて全体的にずいぶんとスポーティなイメージの男性になっていた。

 けれど、鼻筋も唇も、見上げる背丈も、夢で繰り返し何度も見たそのまま。

 


 目の前の相手は、明らかに突然ギクシャクした動きになった私に、ちょっと怪訝な顔をして――……でも、目があったとたん――……相手もまた、驚きを隠せない表情となった。

 その表情の変化から、少なくとも、私という人間を忘れていなかったのだと悟る。

 そして、今、私が私だということに気付いたということも。

 

 私が呼びかけるより早く、彼の唇が開いた。

  

「……彩……」


 耳に響く、懐かしい声。

 スタジアムの喧騒の中のはずなのに、彼の声だけが私に届いたかのようだった。

 呼ばれて返事をしたいのに、唇がわなわなと震えて、声にならなかった。


 再会したら、もしあったら、すぐさまあやまりたいはずだった。

 万が一にでも会える日がくるなら、傷つけてごめんなさいと、駆け寄って、彼に全力をもってあやまろうと思っていた。


 でも、実際に彼を目の前にしたら、なんてことだろう、上手く声がでない。

 息がもれでるだけ

 言いたいことが形にならない。


「彩なのか?」


 確かめるように、問いかけられる。

 私は頷いた。いつのまにか、一本だけ手に残っていたペットボトルをぎゅっと握りしめていた。

 

「……矢野さん」


 絞り出すようにして、声をだす。

 目の前の彼は、私の声を聞いて、ほんの一瞬目を細めた。眼鏡をしていない矢野さんは、私の記憶よりもずっと鋭い目元と突きさすような強い視線をしていた。決して睨むような表情ではないのに、彼の視線は怖れさえ感じさせるような何か芯のようなものがあった。

 私の見たことがない表情。

 それを目の当たりにしてすくんでしまい、二の句がつげなくなった。

 

 互いにしばらく黙っていたけれど、ふいに彼は、私に拾ってくれていたペットボトルを差し出した。私はそっと受け取る。指先は触れ合わなかった。

 二本になった冷たいペットボトルを抱えたとき、彼と視線がはずれて、私はそのまま俯いた。


「久しぶり……。彩のこと、すぐには、わからなかった」


 俯いて彼の顔を見ずに声だけ聴くと、その声音はとても柔らかだった。

 

「7年……もうすぐ8年……か。彩は……元気にしてる?」


 問われて頷いて、「……矢野さんは?」と問い返す。


「まずまずといったところ。社内にサッカーの同好会があってそれにはまって……。おかげで体力的には健康かな」

「うん……スポーツ系な雰囲気になってて、びっくりした。まさかスタジアムで出会うと思わなくて」

「ん、俺も驚いた。彩も……そのTシャツ……」


 偶然にも、私も矢野さんも同じユニフォームだ。私と由奈が応援していたここがホームのチームを、矢野さんも応援していたんだろう。この広いスタジアムの中で、どこかで一緒に応援していたと思うと不思議な気がした。


「あ、このシャツは借り物なの……。矢野さんは、サポーター?」

「あんまり熱心とはいえないけど。こっちに戻ってきてるときに、うまく試合日程があると観に来てる。……今も、職場は向こうの研究所なんだ。でも、昨年から、こちら本社のメンバーと連携した研究開発が始まってね。月の半分ほどはこちらに出張で来てて、同僚にサッカー観戦も誘われて見に来るようになった」

「そうなんだ……」


 休日にサッカーで汗を流している矢野さんも想像つかないし、このトリコロールの上着でフィールドの選手たちに大声で声援をあげてる矢野さんも思い描くことができなかった。

 勇気をだして、もう一度顔をあげてみる。

 あらためて視界に入る矢野さんは、私の記憶にあるほっそりとして日焼けとは無縁な男の人とは違った。相変わらず細身ではあるけれど、それは日焼けの残る引き締まった上での細さで、サッカーユニフォームも違和感なく着こなしている。短めの髪もおそらくコンタクトレンズにしている顔も、優し気というよりは凛々しいという言葉が似あっていた。

 それによくみれば、8年の歳月で私の記憶よりもずっと雰囲気も落ち着きと貫禄がある。

 

「彩は……今も、こちらに住んでるの?」


 聞かれて、頷いた。


「実家は出て、通勤しやすいところに一人暮らし」

「通勤……仕事してるんだ」

「してるよ。経理担当、後輩もできたんだよ。……もう、24歳。誕生日が来たら……私、25歳になるよ」


 年齢を言うとき、また胸が痛かった。

 でも、今度は、偽らない年齢を言うことができた。

 ――もうすぐ、本当の私の年齢、出会った頃の矢野さんの歳になるんだよ。

 発することはできず、のみこんで、心の中だけで言った。


「25歳か……」


 矢野さんが、また目を細めて呟いた。


「若いね」


 彼の言葉が響いた。


 私には重ねて、年をとったと感じる「25歳」。

 17歳のときからの年月。

 でも、彼は25歳と聞いて、若いと感じる。

 それは過ぎ去る年月の重みに感じた。


 私が走り去ってからの矢野さんのおよそ八年間。どんな年月だったんだろう――……。

 女子高生に年齢を偽られてつきあった、騙されて19歳のシルバーを贈った……悔しく嫌な思い出を背負った年月だったのかもしれない。

 胸がくるしくて、ペットボトル抱える腕に力を込めた。

 

 今を逃したら、もう言えない。

 私はぐっと足とおなかにも力をこめて、勇気を振り絞って口を開いた。


「……ごめんなさい」


 彼の顔を見るのが怖い。でも、昔、彼の表情も見ずに怒鳴って叫んで走り去った。

 もう、繰り返しちゃだめ。

 自分を奮い立たせて、言葉をつづける。

 彼の目を見る。

 眼鏡越しではない彼の瞳は、驚いているようにも見えるし、私の真意を確かめるために見つめてきているようにも感じた。

 

「……あのとき、全部私が悪かったのに、ひとりで勝手に逃げ去って……連絡絶ってごめんなさい」


 矢野さんは、立ち尽くすみたいにして、じっと私をみていた。


「年、偽って、ごめんなさい。あのときの私、社会人が未成年とつきあうってこと、その意味を理解してなかった。自分の気持ちしか考えてなかった。……あやまってもあやまりきれないけど……本当に、本当にごめんなさい」


 そこまで言って、私は彼の視線の圧力に耐えかねて、また視線を落とした。

 彼のスニーカーが目に入る。ユニフォームシャツで違和感のない、足元。引き締まった足首。

 この年月が変えたもの。


 矢野さんは黙っていた。私も頭を下げたまま、黙っていた。

 しばらくして、


「……彩は……もう、会いたくなかった?」 


 と矢野さんは呟くように小さな声で言った。


 ――もう、会いたくなかった?


 その問いは、8年前に会いたくなかったから連絡手段を絶ってきたのか、という問いにも聞こえるし、今みたいな再会を望んでなかったのかを尋ねているようにも聞こえた。

 

 ――会いたかったよ。

 

 即座に心に浮かんだのは、そんな気持ちだった。

 8年前、自分から連絡を絶ったくせに、会いたい気持ちがずっとあった。だから、由奈が指摘するみたいに、7年もの間、夢を見続けてきたんだろう。

 今の再会を望んでいなかったわけじゃない。


 ただ――……会いたかったけど、会うことが、怖かった。


 会って、嫌われることが、責められることが、決定的な別れをつきつけられることが怖かった。

 自分ばっかり、可愛くて。私は矢野さんの気持ちと真正面から向き合うことを恐れてた。

 そんな揺れる自分がいたから、私は心の中に浮かんだ返事を口にするのをためらった。

 

 その一瞬のためらいを、矢野さんはどうとらえたのか、


「答えにくかったね……ごめん」


と、私が返事する前に、苦笑いして自分でまとめてしまう。

 矢野さんが何か誤解した気がして、私はそうじゃない、会いたかったんだと言いなおそうとした。


「矢野さ……」


 口を開いたそのとき。


「矢野くん、はぐれた? みんなあっちのゲートで待ってるよ?」


 後方から私たちに向かって放たれた声に、私は言いかけていた言葉を飲み込む。

 振り返ると、前髪長めのショートボブがかっこよくはまってる、すらりとした女性が立っていた。




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