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(4)スタジアム


 ******



「ほら、このユニフォーム着て。サイズ? 適度にダボダボなのが可愛いから気にしない。 後ろのナンバーは私の推しだよ。私も後で同じの着るからね。彩も好きな選手ができたら、買うといいよ。気持ち上がる! あ、スポーツタオルはバッグにいれるんじゃなくて首にかけて」


 誘われたサッカー試合の日。

 直接スタジアムで待ち合わせと思ってたら、由奈の家に来るように言われてたずねてみれば、あっというまに私の姿はまぎれもないサッカー観戦スタイルへと変身を遂げた。


 青白赤のトリコロールのサッカーユニフォームなんて、人生で初めて着た。

 サラッとした感触のシャツは、皺になりにくそうだ。濡れても乾きやすそうだなぁと裾をさわっていると、由奈も着替えて私の前に立った。

 私のと同じトリコロール。でも、由奈が着ているのは私のよりももっと大き目だ。見ると、背中の番号が私と違った


「お揃い? あれ、でも私の着てるのが由奈の推しの選手なんだよね?」

「あぁ、私が着てるのは彼氏の推しの選手のナンバーなの。彼の推しを応援してくれって頼まれててねー。とはいってもアイツ巨体でさ。彼氏のシャツをかわりに着るにはでかすぎるから、彼氏が推してる選手のユニフォームをちゃんと自分用に買ってるんだよ、私、健気だよね!」

「なるほど……。熱きサポーターカップルとなると、いろいろ物入りなんだね。えっと、彼氏、タカシさんだよね」

「うん、タカシ。サッカーファンが高じて、車も日産しか選ばない人だよー。物入り物入り。とはいえ、今日はタカシの分も全力で応援しなきゃ。彩は、試合の雰囲気を味わってくれたらいいからさ。大声だしたり、ボールの動き一つ一つに泣き笑いできるのって、思いのほか楽しいよ」


 由奈はさばさばとそう言って、リュックを背負った。私も今日はスポーツ観戦だからと選んだボディバッグを身に着ける。


「ルール、ここに来る前に本を読んでみたけど、あまりわからなかったけど大丈夫かなぁ」

「本だと余計にわかんないこともあるよ! それに、ほら、本のイラストって上から見た図でしょ? スタジアムでは横から試合を見るわけだからさ。もちろんサポーターズシートだからねー、全然違うし、頭でっかちにならず、楽しんだらいいよ! 行こう!」

「う、うん」


 由奈のさっぱりした笑顔に私はうなずく。

 最近、夢のせいで寝不足だったけど、由奈のこれからの試合に期待した爽やかな表情と晴れた秋の空が、私に力を与えてくれる気がした。

 ――……今日を楽しもう!


「ありがとう、由奈」


 心の底からそう言えたら、由奈は、ぱあっと向日葵みたいな明るい笑顔をくれた。




 ****



 

『ゴォォォルッ!』


 鳴り響く、大きなアナウンス。

 それに負けない、総立ちのファンの拍手と声援。秋の肌寒さなどまったく感じさせない、熱気。

 いつのまにか私も両手が痛むくらいに拍手をして、声をあげていた。喉がからからになって、ボトルの水を飲む。

 同じように水を口に含んでいた由奈と目があって、微笑みあう。


『楽しいでしょ?』


 そんな風に聞いてくるみたいな由奈の表情に、私も笑顔で返事する。ゴールを決めた後の興奮さめぬサポーターズシートでは、顔を寄せ合わないと互いの声が聞こえないくらいに音が声がこだましていた。

 想像以上にスタジアムというのは広くて大きくて、観客席もたくさんあった。そこに大勢の人が集まりたった一つのボールの動き、その動きを形作っていく選手たちの活躍に賛辞を捧げ、応援の声を上げる。

 まだ私は選手の名前もおぼつかない状態だったけれど、ボールがゴール枠をかすめてはずれてしまったときの落胆、選手たちのボールのせめぎ合いを追う興奮、相手のゴールへと攻め込む時の高揚は、同じような柄のユニフォームを着こなすファンの人たちと一緒に味わうことができた。

 

 由奈が彼氏といつも来るというサポーターズシートは、熱心なファンの席だからか、座席といっても、ほとんど座っている人がいない。立って、みんな手を握ったり腕を振ったりして全身で応援している席だった。

 もちろん隣の由奈も、立ち上がって声を張り上げている。

 そんな中、最初はおずおずとしか声を出せなかった私も、自然と周囲と同じように出せるようになっていく。


 大声なんて、久しぶりにだした。

 「あぁっ!」

とボールの動きにどよめきの声をあげたり、ファインプレーに嬉しくていつのまにか由奈と手を握ってたり、いつもの自分と違う自分がいた。


 そうして叫んでいると、由奈が誘ってくれたセリフ通りなんだか心がスッとした。


 もちろん、矢野さんとのことを悔いる自分がいなくなるわけじゃない。後悔して、次の恋もできないままに宙ぶらりんな自分は変わりないだろう。

 ただ、ずっと長い間出したことのない声を出したり、嬉しいと強く思ったり、落胆したり、人と一緒に喜んだりするうちに、異性を好きになること、仕事に没頭する以外にも、こうして「楽しい」「嬉しい」って感じる時間を過ごす方法があるんだって気づいた。


 そっか、こういう風な楽しみ方っていうか、生き方みたいなのも、あるのかな……。

 私、もう、恋はできないかもしれないけど、こういうエネルギッシュな中に身を置かせてもらって人生を楽しんでいく道もあるんだよね……。


 スタジアム中央にぽっかり見える青空。緑の芝生、全身で戦う選手たち。それを応援する、サポーターの熱気あふれる声。叫び。情熱。

 なにかに夢中になる人たちが集まる空間で、「あ、私、ずっとずっと、何かに夢中になれなくなってたんだ」って気づいた。矢野さんという、17歳のときに夢中になって大好きだった人との関係を自ら壊してしまって――……夢中になる心、忘れてしまってたんだって。 


 サポート達による大声援がこだまする中に身を置いていて、ふいに、肩の荷がおりるみたな気持ちになった。自然と涙腺がゆるんでくる。首にかけてたタオルで汗をふくみたいな仕草でごまかすと、隣から、


「彩?」


と呼ばれた。由奈の方をみると、私の顔をみた彼女の目がちょっと驚いたみたいに開いて、それから苦笑いのような、「仕方ないな」っていうような眉をくしゃっとした笑顔になって、ぎゅっと肩を抱いてくれた。

 耳元に顔を寄せてきたかと思うと、由奈が言う。


「過去の男のこと、思い出しちゃった?」


 図星に頷くと、由奈が私の肩を包む手が、ポンポンと軽く二度ほど私を叩いた。励ますみたいにして。

 それからしばらく私の肩を抱いたまま顔はフィールドを見つめていた由奈だったけれど、唐突にまた

私の耳近くに顔を寄せたかと思うと、周囲の声援の渦にまけないくらいにはっきりした声で言った。


「あのさ、私が言うのもなんなんだけどさ。……彩はさぁ、もう、自分を許してあげなよ!」


 由奈の声とともに、周囲がわぁぁぁッとジャンプするみたいにして万歳やらガッツポーズをした。

 唸り声みたいな声援が飛び交い、アナウンスが雄叫びみたいに激しいものになっていく。それに合わせるみたいにして、さらに大きくなった由奈の声が再び響いた。


「今すぐむりならさ、せめてさ、もう期限を決めたらいいよ!」

「期限?」


 由奈の言葉がわからなくて、私もまた大きめの声で聞き返す。

 

「25歳まで! 出会ったときの、その男の年齢になるまで! そこまでは後悔引きずり続けてもいいけど、25歳になったら、あんたももう自分のことを許して、過去はすっぱり忘れる! あきらめる!」


 由奈の叫びが私の耳に伝わる。

 今まで、聞き役だけで、意見することがなかった由奈。その由奈が、何かを思って私に伝えてくれた言葉は、トンと胸に届いた。


「あきらめられてないのかな……」

「うん。彩はぁ! 後悔もあるけど、未練もたらたらなんだよ。 別れたくないって気持ちが、忘れたくないってなって、夢で自分を縛ってるように見えるよ。 でも、それくらい好きだったんだなってのもわかる」

「……4か月だけだよ。私、馬鹿だったんだよ」

「17だったんでしょ? 初恋なんて、そんなもんだよ。 黒歴史なんて、誰だってあるよ!……あぁ、そこディフェンスーーっっ!!!」


 彩の言葉が声援に変わる。

 私の肩を抱いたまま、また彩はまたフィールドで空いた方の腕をふりあげ、タオルを回して応援してる。今、私に言ったことがなかったみたいにして。

 でも、伝わってくる。肩を守るようにしてそばにいてくれる手が、伝えてくる。これは、今、涙ぐんでる私を追い詰めないためだってこと。

 ぎゅっと肩を抱いてくれる手があたたかった。

 素直に受け入れられる気がした。

 

 そうだね。

 もう、あきらめるべきなのかもしれない。

 未練に浸っていたい甘い自分と、ちゃんと、訣別しないといけないのかもしれない。




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