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(2)冬と別れ

 

 

 夢の中だけど、寒くて凍えて、震えを感じる。夢見る私が震えているのか、ベンチに座っていた過去の私もまた震えていたのか――……記憶と夢が混ざる。

 ただ、はっきりしているのは、私はこの先の時間を恐れている。



 冬の夜の駅前のベンチに座る私たち彼の間に横たわる沈黙。それを破ったのは矢野さんの方だった。


『17歳、だったんだね』


 ツンと胸につきつけられる言葉。7年前の私は、この静かな問いかけを、詰問されていると捉えたはずだ。

 夢の私は膝の上でギュっと手を握る。握る手、右の薬指に、リングがまだ光る。


『すっかり……19歳だと思いこんでた。この前、一緒に過ごした彩の誕生日……11月23日、19歳になったわけじゃなかったんだね?』


 激昂するわけでもなく、かといって冷たく突き放すでもなく、ほんとうにいつもと変わらぬ口調で、矢野さんは黙り込む私に話しかけた。


 彼は怒りを表に出しはしなかった。すくなくとも、当時の私に見せはしなかった。でも、決して内気だとか弱気だとかではなかったんだと、7年たった今の私ならよくわかる。いつだって、彼は先を見ていて、当時の私が理解している以上のことをわかった上で、言葉を選んで声をかけてくれていたんだ。


 彼は、私の年齢がわかって――……「大人として」対応してくれたのだ。


 でも、あの時の私はそれが全然わかってなかった。



『……誕生日は嘘ついてない。 先週の11月23日が私の誕生日』

『うん』

『ただ……年を……嘘ついてた』


 私の告白を、矢野さんは静かに聞いていた。 

 すこし息をついた後、彼は『理由を聞いてもいい?』と小さく言った。それがとても寂し気な声で、私はさらにうつむいた。目に入る右の薬指のリングを左手でなでてから、口を開いた。


『初めてA大学の自転車置き場で出会って矢野さんが自転車出すの助けれてくれたとき、……大学生って思ってくれたでしょ? 本当はあのとき、盲腸で入院しちゃったお姉ちゃんに、貸し出し期限が切れてる図書を返却してくるように頼まれて行っただけだったの』

『自転車、ドミノ倒しの下敷きになってたときね』

『うん……。あの時、大人っぽく見られたの嬉しくて、まさか市立図書館でも再会するとか思ってなくて……つい、お姉ちゃんのプロフィールをあてはめて言ってしまった。A大の1年で国際学部とか、詳しく言ってしまったから……つきあい初めてから、嘘だとは言い出せなくなって。それに……』

『それに?』

『すこしでも釣り合いたくて、大人っぽくありたくて』


 そこまで言って、私は耐えられなくなって、ぎゅっと握る手に力を込めて叫ぶみたいに言った。


『17歳だったら、嫌? きらいになる?』


 すがるように聞いていた。


 今、過去を振り返れば。

 あやまるより先に「嫌いになる?」なんて詰め寄ってたのは、「そんなことないよ」と言ってもらえることを期待したからだと思う。こどもだった私は、すがれば、矢野さんが受け止めてくれる受け入れてくれると心のどこかで思ってた気がする。


 積み重なる小さなわがままを優しく叶えてくれたように――……全部、矢野さんなら受けて入れてくれるって。


 でも私の問いかけに、この時の矢野さんは即答しなかった。ただ少し小さな息をついただけだった。

 そのことに私は落胆した。


 あの時の私にはわからなかった。

 偽った年齢の重さに、当時の私は気づいていなかった。

 「嘘をついていたから嫌われてしまう、どうしよう」ってことばかりに私の気持ちは向いてしまっていて。

 大学院を卒業し社会人として就職したての彼が、「18歳未満の高校生とつきあうこと」がどういう意味やリスクを抱えるかなんて考えもしなかった。自分の偽った年齢の19歳と、未成年でまだ女子高生の17歳。

 たった二歳差、されど、その二歳差に社会的なラインが存在するとかまったく思いもよらなかった。

 私は自分の涙をこらえることに必死だった。自分のことしか見えていなかった。


 いや、正確にいうと、自分と矢野さんの都合のよい未来を手放したくなくて、必死だった。


 だから、私のすがる言葉に即答しない矢野さん、快い返事がないことに焦った。

 この時に気付いて一呼吸おけばよかったのに……私は焦りで、さらにすがった。


『あの……嘘ついてたこと、ほんと、ごめんなさい。 あの、でも、……別れたくない。 矢野さんが研修終えて、遠距離恋愛になるのは仕方なくっても……。でも、もうわがまま言わないから……嫌いにならないで……今までと同じように、一緒にいて』


 私の甘えを、懇願を、彼はじっと聴く。

 そして沈黙の後、はっきりと言ったのだった。


『今までと同じようには、無理だよ』

『いやだ』

『……駄目なんだよ。僕は大人だから……。ご家族にも了解をとっていないし……』


 今思うと、彼は考えながら、丁寧に言葉を選んでくれていたように思う。

 いや、これは、ただの願望? 夢? 嘘をついたのは私なのに、自分の罪悪感を軽くしたいがための都合の良い夢?


 でも、どちらにせよ7年前の私は、幼くて、なんにもわかってなくて。矢野さんの『無理だよ』『駄目なんだよ』を、彼の拒絶としてしか受け取れなかったのだった。

 私は苦しくって、彼と離れたくなくって、あがくみたいにして言葉を続ける。


『あのさ、ばれないよ、すぐに、すぐに18歳になる。一年半たてば、高校卒業するもの。矢野さんの近くに行けるし! だから、一年だけ隠して……つきあっ……』


 私がぶつけた提案に、矢野さんは首を横にふる。


『駄目だよ……。周りに隠しても、彩と僕自身が知っている。1年半っていうのは……高校生にとって、いろんなことが詰まってて……隠し事とか周囲を欺いて過ごすのはもったいないよ。』

『そんなの! 今までもバレてないし、これからも友達とか協力してもらえるから!』

『……バレてない……。そうだね。すでに、この三か月、彩にたくさん隠し事をさせてしまったのかもしれないね……ごめん』


 あやまるべきは私なのに。なぜか、彼が心の底からすまなさそうにあやまった。


『ごめん』


 これは、当時の17歳になったばかりの私の心を突き刺すには十分な言葉だった。

 会話の中、彼はとてもとても大切なことを言ってくれてたのに、そんなこと聞こえなくて――……。

 だって、「ごめん」とあやまるのは、中・高生が告白を拒むのに常套句だから。

 当時の私は、矢野さんの二回目の『駄目だよ』『ごめん』が、私を嫌いになったんだ、としか思えなくて。そこしか聞こえなくなっていた。

 私は「隠してつきあうしかない」と思い込んでいて、それ以外の方法を考えもしていなかった。だから、駄目だって言われて、『私とつきあいたくないんだ、つきあってくれないんだ、好きでいてくれないんだ――……』って、思って。


 年の嘘をついていたのは自分で、嘘をつくような自分に自分が自分で嫌で、でも矢野さんをあきらめられなくて―――それを説明できるほどに冷静さなんて何にもなくて。


 彼の大切な――私の年齢を考えて言ってくれた言葉に耳を傾けられないままに、感情で言い返してた。


『ごめんって……、矢野さん、単に私と別れたいんだよね?』

『……彩』

『そうだよね、こんな嘘つきなガキ、やだよね! それに、矢野さん、もともと6歳差でも気にしてたのよね。本当は8歳差でしたなんて、しかもこれから遠恋になるし、矢野さんにとったら私面倒な女だよね。嫌になるに決まってるよね! 同僚の同じ年代の大人の女性の方が断然居心地いいんだよねっ!』

『彩……そうじゃなくて……』

『何が『そうじゃない』よ! 隠れてつきあうのが無理なら、矢野さんの言うとおり、駄目ってことじゃない!』


 自分の言葉に興奮していく。

 夢なのに、あの時のバクバクと心臓が嫌な音をたてて全身がヒートアップしていくのを感じてしまう。


 駄目だ、言っちゃだめだ。

 もっと――……もっと、私、落ち着いて……。


 うなされるみたいに、今の私は思う。願う。

 けれど。

 夢は都合よく進んではくれない。いつもそうだ。悪夢は悪夢とわかっているのに、素敵な夢に自分の手で変えることができない。


 悪夢を悪夢としてしか受け入れる術がない。

 いくつかの噛みあわない会話が続いたあと、感情のブレーキがふりきれた私は叫ぶ。

 言われて傷つくくらいなら――……手負いの獣みたいにして、私は牙を剥く。

 一番言われたくない言葉を、自ら投げつける側になることで、自分だけの心を守って。

 相手のことを考えられなくなって。


『もういいっ、別れてあげるよっ!』


 ……駄目っ! ちゃんと、私、矢野さんを見て……。

 夢中で私は私自身に向かって叫ぶのに、全然、届かない。


 彼は――どんな表情をしてた?

 どんな気持ちを持ってくれていた?


 知りたいのに――記憶がないのだった。私は私の感情に囚われてすぎていて、彼のことが見えてなかったんだろう。

 隣にいるのに。

 小さなインディゴの文庫本を挟んだだけ、同じベンチにいるのに。

 まるでインディゴのブックカバーが私たちを隔てる大きな河でもあるかのように、私は彼をつかみ取れないままに、自分の心にだけ流されて、言葉を紡いだ。

 だから、7年経ってみる夢も私の叫びだけがこだましている。


 本当は、私はとても怖かったんだ。

 嘘をついていたことも、別れがきてしまうことも、矢野さんといる私を見かけた母が凄い形相で問い詰めてきたことも――……。


『お母さんも、スーツ姿の矢野さんと私が歩いているのに出くわして、まさかつきあってないよねって心配してたもん……しょせん、私たちなんて、誰にも歓迎されてないつきあいだもんね!』


 そう叫んだとき、彼の腕がビクッと震えたのだけは、はっきり記憶に残っている。でも、私はやはり彼の表情を見なかった。目を背けた。

 次の瞬間には、たたみかけるように、


『じゃあね、バイバイっ!』


と、トートバッグをひっつかんで、背を向けて走り出していた。


 だから。

 彼の表情は、本当に最後の最後までわからないのだ。

 夢でさえ、都合よく再現できないほどに――別れの記憶は、私の一方的な叫びばかり。



 それなのに、私はさらに「追いかけてもこない」と絶望していたのだから――……ほとほと呆れる。

 どこまでおこちゃまだったんだろう。

 矢野さんの優しさにぶら下がって。自分の偽りを棚に上げて。彼を騙していながら、まだ追いかけてほしかったなんて。 


 今の私はそう思いながら、悔いの涙を流す。、

 後悔の波にのまれてゆく夢は、涙の夢に変わってゆく。


 夢の私は、ただただその衝動で泣いている。

 家から逃げるみたいにして出てきてたから、普段履きのスニーカーで。彼に見せたことがない、取り繕ったところが全然ない、ただ幼くて愚かな私は、走りながら涙をながしている。



 8歳差……それが、そんなに悪いこと?

 17歳と25歳がつきあうのって駄目なの?

 べつに、8歳差のカップルなんて、あちこちにいるじゃない。

 矢野さんは、単に隠してつきあってくれる勇気がないんだ、矢野さんはそこまで私を好きだったわけじゃないんだ!

 嘘を許してくれないんだ!

 だから追いかけてもくれないんだっ! 


 自分を棚にあげて、そんな思いだけを抱えながら、矢野さんから逃げている、過去の私。


 今の自分が、駄目だ駄目だ、それはあまりに一方的すぎて違うんだよ……と必死に、夢の中の私をとめようと腕をのばすけど、届かないのだった。

 今の私の制止が届かぬままに夢は進む。


 夢の私は、泣きながら、スマホを出す。


 そして、夢の最後。

 慟哭の中、激情のままにスマホの矢野さんに関するアドレスやIDを消してしまうのだった。

 取り戻せない、彼との連絡手段。全部が立ち消える重みも悲しみも考えないままに、ただ一目散に逃げて、出会いを二人すごした時間を私は握りつぶしてしまう――……。



 とうとう、夢の終わりのシーンが来た。

 スマホのアドレスを消して、電源も一気に落として――漆黒の画面になる。

 その刹那、自分も全部が黒くなったみたいになって闇に包まれていく。

 黒く黒く黒く――……




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