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(15)知らずにいた過去


 変な取り合わせで、ファミレスまで来てしまったとは思う。

 タカシさんは、手際よく矢野さんと私を隣同士に座らせたかとおもうと、向かい側に堂下さん、タカシさん、由奈の順で座った。しかも、あっというまに皆のドリンク希望を聞くと、注文を済ませてしまった。結局、コーヒー5つだったわけだけれど。


 堂下さんは嫌々って感じだったけれど、きちんと席についたところをみると、どうしたって私に何か言いたいことがあるようだった。

 矢野さんは私のことを心配そうに見た。何か言いたそうに口を何度か開いたけれど、結局、席につくまで何も言わなかった。


「では、どうぞ」

「……ファミレスでも、口喧嘩って恥ずかしいでしょ」


 タカシさんの開始の合図に、堂下さんがつっこみをいれると、タカシさんは肩をすくめた。

 

「スタジアムで大勢の観客が帰るときに立ち止まるってゆうのはですね、しかも長話になるってゆーのはですね、サッカーファンとしてマナー違反なのですよ、はやく帰りたい人の進路妨害、しちゃならんのです」

「ま、いいわ……。私、言いたいことあったから、この女に。というより、この女と、矢野くんに。いい機会と思わせてもらう」


 堂下さんが大きく息をついたので、私がびくっと肩を揺らす。

 怯えたのを感じとったのか、矢野さんが、隣でそっと私の手を握った。それから矢野さんが、背筋を伸ばしたかと思うと、言った。


「堂下さん、言いたいことがあるのなら、俺に言ってくれ。彩は知らないことだ」


 『彩は知らない』という部分がズキンとささった。何がなんだかわからない。

 

「矢野くん、あなたは黙ってて。そうやって、彼女を守ってるつもりなのかもしれないけれど、女は男のすべてを知りたいものよ。彩は知らないことって言われて、傷つくのは、あんたが守りたい女の心よ」


 堂下さんの言葉に私はびっくりした。そして隣の矢野さんも、私の方を見た気がした。


「彩を……傷つけた?」


 とても心配そうにたずねてくるその矢野さんの表情に、私は自分の思いを口にした。


「矢野さん、私、いま、こんがらがってる。でも、堂下さんが私に言いたいということを、ちゃんと聞きたい。知らないことがあるなら、知りたい」

「……そう」


 矢野さんの目が私をじっとみつめ、私も彼に想いが伝わるようにと見つめ返すと、彼は「……わかった」と頷いた。



 ****



 堂下さんは、テーブルに届けられたコーヒーを一口飲んでから言った。


「先にいっておくけど、私と矢野くんは男女の関係じゃない、今も昔も、ね。信じるか信じないかは、あなた次第だけど。でもね、昔は、私は矢野くのことが好きだった。完全な片思いだったけど」


 堂下さんは私を見た。その視線は鋭い。負けられないと思って見返す。


「私はね、矢野くんに、カノジョができるのを望んでたのよ――……だから、最近、付き合い始めたって聞いて、朗報だと思ってた。あなただと知るまでは。インディゴブルーのブックカバーを贈った女。年を偽ってつきあって、矢野くんが気付いて、それをつきつめたら逃げて連絡がとれなくなった女だと知るまではね。だって、あんた……どんなに矢野くんを追い詰めたのか知らないんでしょ? あんたが消えて、どれだけ矢野くんがショックから立ち上がるのが大変だったのか……話さない矢野くんもどうかしてると思うけど、再会してこんなにすんなり復縁できてハッピーになれるとおもってる脳内お花畑のあんたにも吐き気がするの、私は」


 彼女の言葉が、私の中をこだまする。


 ……ショックから立ち上がるのが大変?


「そ、それは……」

「矢野くんはね、あなたとの連絡が途絶えたあと、自分が悪かったんじゃないか……って、もっと整理してから話を聞けばよかったと自分を責め続けたのよ。自分の話し方が悪くて、そんなつもりはなかったのに責めてしまったのかもしれない、もうつきあえないって取られてしまったのかもしれない、自分の伝え方が悪かったのかもしれないって……悩んで悩んで。仕事場でそれを出そうとしないけど、家に帰ったら、食べては吐いて食べては吐いてを繰り返して……。げっそり痩せてふらふらになって。でも立ち上がって、仕事に行くを繰り返して。私も当時は同じ研究所配属になったけど、彼の面変わりにはみんながびっくりして……。悪夢にうなされて眠れなくて、睡眠導入剤使って。それでもきかなくなっていって」


 想いもよらなかった話に私は息をのみこんだ。


「もちろん、女に振られたくらいで悩み落ち込むのは、矢野くんのメンタルが弱かったともいえるわ。でも、研究所に配属されたばかりでそれだけでも大量の仕事を覚えないといけない、研究者っていう一癖も二癖もある連中と人間関係を築いていかねばならないときに、あなたとの一件があった。あなたも仕事をしてるならわかるでしょ? 新しい仕事場での自信喪失とか慣れるまでの辛さとか。そんなとき、どれだけプライベートでの信頼できる人が、心を憩わせてくれるか」


 問われて、うなずくしかなかった。


「その信じたものが、覆された。年齢の嘘だとかより、彼を追い詰めたのは、なんの説明もなしに消えたってことよ。誰よりも信じてたあなたとの別れ……それも、一番最悪という、唐突に連らくが取れないっていう別れ。せめて、別れ話くらいきちんとしてあげられなかったの? 笑顔でバイバイとまでいかないわ。でも、突然、すべてを断ち切るなんて……想いを込めてあなたとつきあってきた人にとって、あなたが生きてるのか死んでるのか、弔いもできないままに、ただ消えたら、自分が抱えていた想いをいったいどうしたらいいのかって、出口のない状態になるってわからない?」


 堂下さんの言葉は、どしんと響いた。

 男女どうこうというよりも、人として、あなたは人間として、その行動はどうだったの?と、この数週間、蜜月の中に私が逃げていたところを、再びつきつける問いだった。

 でも、絶句する私の手をぎゅっと握る人がいる――矢野さんだ。

 矢野さんはちょっと身体を堂下さんに向けるようにして言った。


「堂下さん、彩はあの時まだ17歳で……」


 彼がかばってくれるのがわかった。でも、その優しささえ辛かった。こんなに丁寧な人を私は……多分、彼が一番深く傷つくかたちで、断ったのだ。

 そんな矢野さんに、堂下さんは首を一度横に強く振った。


「黙っててっていったでしょ。17も19も、社会的にはどうであれ、本質的にはかわんないわ。相手のことを思いやれるか思いやれないか、きちんとけじめをつけるかつけないかでしょ。しかも、もしその十代のいたらなさで自分の罪から逃げちゃったんだとしても、今はどうなの? むきあえてるの? 違うじゃない、矢野くんは過去の苦しみを隠してつきあってるし、カノジョも、まったく疑いもしてないじゃない? でも、れっきとして苦しんだ時代はあったわ。苦しんだから、あんたは大して好きでもないサッカーで日焼けして、気乗りしてるわけでもない試合観戦に行って無理やり大声だして応援歌歌って、自分を鼓舞するために選手を応援してるんじゃないのっ!」


 堂下さんがそう言い放った。

 矢野さんが眉を寄せ、そして息をついた。


「堂下さん……それには……感謝している」

「感謝なんか無用よ。私はあんたがこの女のことをさっさと忘れて、私とつきあっちゃえばいいのにと虎視眈々と狙いながら、研究所の仲間たちとあなたのそばにいただけ」


 矢野さんと堂下さんの短い会話の中に、私と別れた後の矢野さんを支えたのが堂下さんであり、その研究所の仲間だったことがうかがえた。

 自分の甘さが突きつけられて、苦しい。

 その時、私の前の巨体、タカシさんがちょっと身体を揺らした。


「あのー、ひとつ、聞き捨てならない言葉がありまして」


 割って入ったタカシさん、由奈が隣から『タカシ、やめなさい』と青ざめた顔をしながらもわきをひっぱっている。けれど、由奈の制止はきかず、タカシさんが続けた。


「今の堂下さんの言葉に、大して好きでもないサッカー、気乗りしてるわけでもない試合観戦……ってのがありましたが……それはどういう。神聖なるフィールドを尊ばずして、矢野さんはボールを追いかけた……と?」


 タカシさんの言葉に、堂下さんがため息で返事した。


「あなた、サッカー馬鹿?」

「よく言われます」

「……あのね、別に矢野君はフィールドを軽んじたわけでも、サッカーを甘くみたわけでもない。ただ、あまりにボロボロで、生活がまともに送れてない状態だったから、当時の同僚たちが誘ったのよ、サッカー。お日様の下で身体を動かしたら、少しは気が晴れるでしょ? サッカー観戦で勝った負けたで喜んだり悲しんだりしたら……そこに自分の感情をのせて……泣けるでしょう?」


 堂下さんが言うと、タカシさんは納得がいったようで、「そうですな」と返事した。


「この人……泣けなかったのよ。泣かなかったの。私の前で、じゃなくて。同僚たち、男友達にも聞いたわ。矢野が感情を出さない、出せないって。もともと静かな奴が、もっと内側に入っちゃったって……」


 私は堂下さんの言葉で、もう自分が涙がにじんできそうで――……。


 わたし、なにやってたんだろう。

 どれだけ苦しめたんだろう。

 嫌われてしまったとばかりに自分自身のことばっかり想ってた……。


 矢野さんは、私を大事にしてくれた。

 私をいつくしんでくれた。とても深く。

 私を嫌いになる前に……私に怒ったりするまえに……私がいなくなって、彼は彼の気持ちを出す場を失って……。


「最初はぼんやりサッカーを見てるだけだったけど、矢野くも、だんだんと同好会で仲間と一緒にボールをけるようになった。身体が疲れ切るし、ふっきれる部分もあるでしょ……少しずつ食事や睡眠がとれるようになっていった。ちょうどその頃、私はまた配属がかわって、矢野くんがいる研究所を離れた。私は素材開発よりも、データ解析が専門だから自分のスキルもあげたかったし……どうしたって私の手に入ってこない矢野くんのそばにいても仕方なかったし……。それで別の職場になって、矢野くんのその後は、サッカー仲間の同僚から通じて聞くことはあったけど、サッカーにのめりこむようにして、順調に身体は回復してるみたいだってきいて、すこしずつ疎遠になってた。それが、昨年、矢野くんがこちらの本社に出張に来て再会したのよ。私は私でこちらでサッカー観戦仲間、男女問わずの集まりがあるから、紹介して……でも、私は未練ないの」


 堂下さんが腕を組んで息をついた。


「でもね、さっきも言ったけど、なんで、そんな苦しんだ矢野くんがやっとつきあう彼女が……またあんたなの? しかも平和ボケした、目の前の気持ちよい関係しか見てないような女なの?」


 まさにグサリとする言葉だった。


 頷くしかない。

 私、この堂下さんが矢野さんに差し出したほどの深い眼差しで矢野さんのそばにいなかった。

 矢野さんに求められて……求めて、そればっかりで。


 こんな私……。


 と思いかけたときだった。

 ダンっとテーブルが鳴った。


 見れば、拳をテーブルにあてた……由奈だった。

 青ざめた表情、震える唇。彼女がフラッシュバックした後にみせる、エネルギーの尽き掛けた状況。それでも彼女はキッと顔をあげ、タカシさんの隣に座る堂下さんの方に身体をむけるようにして言った。


「さっきから聞いてれば……堂下さんとやらが、矢野さんのことを好きで下心ありで立ち直る手助けしたのは、結果的に偉いことだとは思いますけどね……でも、聞けばきくほど、あなたの言い分って……彩が苦しんでない前提ですよね」


 びっくりした。

 腹の底からだすような由奈の声音。


「由奈……」

「彩が苦しまなかったはずないでしょう……。堂下さん、あなたはどうだかしらないけど、人には罪悪感ってものがあるんですよ。やってしまった取り返しのつかないことを……悔やんでくやんで……たしかに、あなたの言う通り、今の矢野さんと彩の関係はうわべなのかもしれない。でもね、言っときますけどね、あんたの好きな『矢野君』に苦しんだ時期があったように、彩も……ずっとずっと苦しんできたんだから。綺麗な子なのに、優しい子なのに、いっつも結局は自分がしたことの大きさを責めて、あやまる機会を自分で消してしまったことに悔やんで、”矢野さん”の幸せを願って……けなげに生きてきたんですからね! 私の好きな友人を”平和ボケ”だとか見下げるの、やめてください!」


 由奈はそう叫ぶと、ぜぇぜぇと息をした。

 タカシさんが、「はい、どうどう」と由奈の背をさすっている。


「……彩、苦しんでた?」


 ぽつんと隣から声が聞こえた。

 私を握る――矢野さんの手に力が入る。


「……彩を苦しめてた?」


 隣を見ると、矢野さんの瞳がこちらを見る。

 私は首を振る。


「苦しめてなんかないよ……ただ、ずっと……夢に見て……繰り返し見て……」


 私が言うと、由奈が前から言った。


「悪夢の間違いでしょ。別れるときの記憶、繰り返し繰り返し見て……うなされて、泣いて。新しく男と出会おうとしても、まるで呪いみたいに秋になったら、夢をみて引きずり戻される」


 由奈の説明の追加に、私を握る矢野さんの手の力がさらに強まった。


「彩……話してほしい」


 矢野さんの言葉が響く。同時に、私もまた思った。私の手を握ってくれる矢野さんの手の上に、私はもう片方の手を重ねた。


「私も……矢野さんのこと……私と別れた後のこと、矢野さんの口から知りたい」


 告げると、矢野さんのちょっとだけ辛そうに目を細めた。


「……うん」


 矢野さんの頷きと共に、前に座るタカシさんが、唐突にコーヒーをごくごくと飲み干したかと思ったら、言った。


「話し合うべきは矢野さんと彩さん、オレたち退散っすね」


 


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