悪役令嬢と魔法少女
「こ、この世界にきゅきゅたんを知ってる人がいたなんてええええ」
「せ、先生!?」
号泣しながら、先生はその涙をシャツの袖で拭った。汚いなぁ!
私は近づいて、ハンカチを貸した。先生は一瞬迷ったあと、それを受け取って涙を拭いた。
「き、君たちの言う通り、僕には前世……らしきものの記憶があります」
少し落ち着いた先生は、ぽつりぽつりと話し出した。
「私たちにも、あるんです」
「……きゅきゅたんを知ってるってことは、そうなんでしょうね」
先生は寂しそうに言った。
「ぼくにこの記憶が戻ったのは、大学生の時でした」
ぽつり、と話し出す。
「とても混乱して……怖くてですね。それに、この世界にきゅきゅたんはいなかった。それが悲しくて悲しくて」
しくしく、と先生は泣く。
「自分でグッズを作ったり、マンガを再現しようとしたり」
「すみません、その前にきゅきゅたんってなんでしょう」
私は手をあげる。
「魔法少女らりっくきゅきゅたん、っていう深夜アニメだよ」
「大人気アニメです……」
先生にじとりと睨まれた。うう、男性向け(深夜だし女児向けではないでしょう)はほとんど知らないんだもん!
「主人公はピンチになると魔法のポーションを飲んで、らりらりになって酔拳を使うの」
「なにそれ人気出てたの……?」
「大人気! アニメ! ですっ!」
めっちゃ睨まれた。怖いよ先生。
「そんな訳で」
ふう、と先生は息をついた。
「君たちも、驚いたでしょう」
少し先生らしいことを言ってくれた。
「はい、まぁ、急に乙女ゲームの世界だったし、悪役令嬢だしで」
私が言うと、先生はぽかん、と私を見つめた。
「? 乙女ゲーム?」
「え、先生気づいてなかったですか」
「え、あ、はい。どういう?」
私と千晶ちゃんは顔を見合わせて、それからこの世界と原作のゲームについて話した。
一通り聞き終えて、先生はふらりと立ち上がる。
身体はふるふると震えていた。
「せ、先生?」
「ふ、ふふふ」
な、なぜ笑う。
「ふふふふふふふ」
「どうしたんですか先生!?」
先生は大変良い笑顔で笑った。
「とても良いことを聞きました」
「?」
先生はなぜかフラリと舞台の欄干へ向かう。
「なるほどなるほど」
先生は欄干を握りしめ、下を覗き込む。
「これならいけますね」
明るい声で、そう言った。
「せ、先生?」
「何してるんですか……?」
「え?」
きょとん、と先生は私たちを振り返った。
「死んだら二次元の世界に行けることが実証されました。ぼくは何度でも死ぬ。そして生まれ変わる。きゅきゅたんがいる世界に」
「きゅきゅたんがいる世界はダークマターに飲み込まれたでしょ!」
千晶ちゃんが叫ぶ。えっなに、そのバッドエンディングは……。
「構わないさきゅきゅたんに直接会えるなら!」
にっこりと満面の笑み。
「だ、だめですー」
「また生まれ変わるなんて確証はないでしょ!?」
私たちはワタワタと先生に近づいた。
「ほっといてくれ、三次元の女に触れられても嬉しくない!」
え、そういうタイプの人だったの!? で、でも!
「ある意味二次元ですよ私たち!」
「ここが現実である以上、君たちは三次元だっ」
「じゃ、じゃあきゅきゅたん? の世界では、きゅきゅたんも三次元なのではっ」
「そこは愛で乗り越える!」
「えぇ……」
なんか疲れて来たぞ。でも、今にも飛び降りそうだし。
「じゃあさようなら。君たちの幸福を祈ってます」
にこり、と欄干から身を乗り出そうとした先生。
「ぎゃー!」
「うわわ先生、落ち着いてっ」
さすがに千晶ちゃんと縋り付いて身体を支える。
「は、はなせ三次元! 汚れるっ」
「めちゃくちゃですよう!」
私は先生の服の裾を掴む。周りの観光客もざわついたけれど、誰も寄ってきてくれない! た、助けてよう!
「だれかたすけてーーーー!」
「助けなんか呼ばないでください!」
「死んでも何にもなりませんよ!」
「死んだら次元が超えられる!」
「分かんないじゃないですかぁ!」
次の瞬間、数人の男の子が先生を欄干から引き摺り落ろした。ぺたり、と座り込む先生。
「何があった、華!」
「い、樹くん」
樹くんとアキラくんと真さん。もう胎内巡りは終わったんだろうか? 如月くんとひよりちゃんも、手を繋いで慌てて駆けつけてくれた。……あれ? 手を繋いで?
(気になるっ!)
けど先に、桐山先生だ。なんて危ないことしてくれたのー!?
樹くんは「先生!? 何をされているんです!」と声をあげた。
「みてわかるでしょう! 次元の壁を越えようとしてるんです!」
「自殺にしか見えませんが!」
「何があったか知らへんけどですね先生、死んでも何にもならへんで!?」
「なるんだよなるんだよおおお」
暴れ出す先生。
「うう、死なせてくれ」
未練がましく先生の手は宙を掴む。真さんは観察するみたいに先生を見つめていた。うーん、相変わらず何考えてるんだろう。
おっとり刀で警備員さんたちが駆けつけてきて、私たちを取り囲んだ。
「先生」
千晶ちゃんが先生の前にかがみこむ。
「死ぬ前に生まれ変わった意味を考えてみませんか」
「生まれ変わった意味……?」
「どうした鍋島」
「樹くんは黙ってて」
私が言うと樹くんはハテナ顔。ごめんねちょっと入り組んでるんだ……!
「先生は、きっとこの世界できゅきゅたんを産むために来たんですよ」
「きゅきゅたんを……僕が……出産……?」
「違います」
千晶ちゃんはフラットな表情のまま言った。
「創作物としてです」
「創作」
「あなたのオリジナル作品として世に出せばいいじゃないですか」
「僕がきゅきゅたんを!?」
「ですです」
千晶ちゃんはにこりと笑う。
「この世界できゅきゅたんブームを作りましょうよ、先生。魔法少女らりっくきゅきゅたんブームを」
先生はしばらくぼんやりした後、こくりと頷いた。さすが千晶ちゃん。
「……き、きゅきゅ……?」
無言だった樹くんが不審そうに呟いた。その言い方がちょっと面白くて、私は笑ってしまったのだった。